プロフィール

9thNUTS

Author:9thNUTS
音楽を聴いたり、そして達郎さんのコピー・バンドでライブ演奏したり・・・・
音楽が・・達郎さんサウンドが大好きな人間です。
長崎の街から達郎さんを応援しています。

このブログについて

免責事項

since May 2009


カテゴリ


最新記事


最新コメント


最新トラックバック


月別アーカイブ


FC2カウンター


サンソン、メール可否


FC2投票


FC2投票


フリーエリア


フリーエリア


山下達郎さん NHK-FM『サウンドクリエーターズ・ファイル』2012年9月23日


さまざまな世代のサウンドクリエイターが月替わりで登場、作品にまつわる秘話や影響を受けた音楽を、こだわりの選曲を交えて紹介するNHK-FM『サウンドクリエーターズ・ファイル』。
9月2日(日)  21:00 - 23:00
9月16日(日) 21:00 - 23:00
9月23日(日) 21:00 - 23:00

今回の放送でもデジタル録音の難しさを力説していましたね。
ゲストの東山紀之さんの話も、うむ、なかなか面白かった。

そして「仕事」についての達郎さんのコメントも説得力あります。

達郎氏:

『だから初めから仕事ってのは、ほんとに超一流の仕事がね、出来るわけがなくて。

僕らみたいにアンダーグラウンドから上がってきた人間は、初めはやっぱり正直言って、あんまり質の良くない仕事でもやらなきゃなんないわけですよ、食うためにね。

例えば、"こんな曲でな"って思うような事をアレンジしなきゃいけない、編曲しなきゃなんない時にも、そういう時はだから、何を考えるかっていうと、曲は酷かったけどアレンジは良かったとかね。』


このブログでは前半部分の一部をテキスト化しています。
誤字脱字は、ご容赦くださいませ。

第1回の前半部分は、こちらをどうぞご覧ください。


第2回の前半部分は、こちらをどうぞご覧ください。

◎ 冒頭

達郎氏:

みなさんこんばんは。
山下達郎です。

サウンド・クリエーターズ・ファイル
この番組は様々な世代のサウンドクリエーターが月替わりで登場。
作品にまつわる秘話や影響を受けた音楽を、こだわりの選曲を交えながら紹介するプログラムであります。

9月は私、山下達郎が担当させて頂いておりますが、
今夜は3回目。
私が担当をさせて頂く、いよいよ最終回になります。
宜しくお願い致し申し上げます。

今日も、この方にお付き合い頂きたいと思います。

平田毅:

はい、NHKアナウンサーの平田毅です。

達郎さんね、今年の夏、たいへん忙しかったんじゃないですか?

達郎氏:

この一年半くらいは、とんでもなかったですね(笑)
37年やってますけど、こんなに忙しかった一年間はありませんね。

平田毅:

シアターライブも非常に順調に・・・

達郎氏:

お陰さまで。
予想を大幅に上回る動員で。

平田毅:

去年はテスト的になさったですよね。

達郎氏:

あれは、要するにオマケみたいなもので。
販促活動ですね(笑)

平田毅:

今回はほんとに本格的に始まって大好評。

達郎氏:

お陰さまで。

平田毅:

これは、どうなんですか。
たぶん、もっとやってくれって声があると思うんですが。

達郎氏:

う~ん、ま、機会があれば、また。
ただ、結構大変なんですよ、構成とかね。

あとリマスタリングがね、たいへんなんで。
ものすごく時間が無い時にやってたので、少し詰めてやったので、もう少し、ちょっと色々とまた・・・

平田毅:

またあるかも・・・しれない

達郎氏:

はい。

平田毅:

それから、山中湖野外フェスティバル

達郎氏:

一昨年、一回やりましたんで、今年も。
なかなかね・・・
いつも3時間くらいやってるでしょ。今回65分だったんですけど。
そうすと、あんまりやった気がしない(笑)

平田毅:

やっぱり野外って感じが違うもんですか。

達郎氏:

お祭りですからね。
昔と違って、何て言いましょうかね、老若男女っていいましょうか・・・
家族連れとか、そういう方々もたくさんいらっしゃいますし。

僕にとっては・・・

野外ライブって若い頃たくさんやったんですよ。
あんまり、いい想い出がないんですけど(笑)
一昨年、北海道でやった時に、ほんとに時代が変わったなっていうか、皆、和気あいあいと聴いてくれてるので、

じゃもう一回やってみようかと。
今度は関東地区でいってみようか、と。
そういう感じでやったんです。

お陰さまで若い人も沢山、ご覧になって頂いたし。
いい時代になりましたね(笑)

平田毅:

それから、まもなく発表になるオールタイム・ベストアルバム。
これも選曲したり、リマスターしたりと、相当忙しかったんじゃないですか。

達郎氏:

そうですね(笑)
でも、一番ベストアルバムで大変だったのはノイズ取りです(笑)

バグ取りって言いますけど。
むかーしの、特にアナログ時代の音源っていうのは、ほんとに、LPの場合は溝に切って、それを針でひっかくでしょ。そんな判んなかったもんがデジタルで、物凄く音量が上がってるのでね。

そうすると例えば"さしすせそ"とか、あとリップノイズって、こういうヤツね、ピチャピチャってやつ。
これが物凄いんですよね。

ピチャっていうのはデジタル・リマスタリングするとバチーッってくるんですよね。
それを取る作業っていうか、それに一番時間かかりましたね(笑)

平田毅:

相当細かく拾わなきゃだめですね。

達郎氏:

そうなんです。
2トラックの出来あがってるマスターなので、やれる事限界があるんです。

あと、夜明けにミックスしてるんでシンバルがでっかいとか。
そういうようなものは、どうしようもないので(笑)

結構そういうものをリマスタリングで補正するっていう作業が苦労しましたね。

平田毅:

今年は達郎さんのソロデビューから35周年ということで、今月のサウンド・クリエーターズ・ファイルは、達郎さんのソロ35年プラス、シュガーベイブ時代2年。

37年の活動期を3つに分けまして、当時のエピソード、曲作りについてお話を伺ってます。
3回目はですね、今夜は1995年、平成7年から2012年、現在平成24年までの17年間。

達郎氏:

今回の3回はベストアルバムのディスク1,2,3、それに準じてやっております。

平田毅:

最初が7年間あって1975年から82年。
82年にムーンに移籍すると、いうとこからが一人になって。

最初は7年、13年、17年と。

達郎氏:

だんだん、だんだんインターバルが長くなってきましたね(笑)

平田毅:

さて、今夜のゲストは少年隊の東山紀之さんなんですけれども、まずは達郎さんと話を進めていきたいと思います。

最初の曲、ご紹介ください。

達郎氏:

ディスク3の一番頭に入っています。
『ヘロン』

♪ ヘロン

◎空白の数年間 「COZY」から「Ray Of Hope」

平田毅:

前回は1995年、アルバム「TREASURES」までの話を伺いました。
今回「COZY」から「Ray Of Hope」っていう事なんですけど、この17年間っていうのは達郎さんにとって、どういう時代・・・

達郎氏:

一番大変な時代っていうか(笑)

平田毅:

40代、50代っていうことですよね。

達郎氏:

「ARTISAN(1991)」作って「SEASON'S GREETINGS(1993)」っていうクリスマス・アルバムが出るんですが、その後にベストが出るんです。

ベストが出たあとに96年にアルバムを出そうと思ったんですが、ここから先がね・・・
数年間、なかなか上手くいかないところが始まるんですね。

自分では空白の数年って言ってるんですが。

いろいろな原因があるんですけど、主にレコーディング・メンバーとライブのメンバーっていうのが思う様に組めなくなってきて。

メンバー同士とか、あと健康状態悪化した人とか(笑)
色んな理由がありましてね。

そうすと、ちょうど40になった時なんですね。
1993年に40歳迎えるんですけども。
40代ってのはね、ミュージシャンにとって結構、いろいろな意味のターニングポイントなんですよ。
それまでのような作品を、どういう具合の継続していくかとか、イメージチェンジとか、体調が変わって来るとか、そうした人間関係が変わってくるとか。

これは非常に見えない、リスナーの方には見えないアレなんですけど・・・
スタッフが変わるんですよね。
スタッフが止めるとか、ビジネス的なものを支えるものってのは、結構変貌する時代なので。

40代ってのは、音楽的にもビジネス的にも色々な意味で日本でも国際的にもそうですけど、転換点になるんですね。

そこを、だから上手く切り抜けないと、なかなかそれから作品を思う様に作ったりライブをやっていくのが辛くなってくるんですね。

丁度そういう時期が40代のあたまくらいにあったので。
それで98年の「COZY」まで数年間なかなかアルバムも出来ないしライブも出来ないという、そういう状態が数年間続くんですが。

平田毅:

1995年までのところで、丁度20年あるんですよね。
20年経ってくると音楽的には達郎さんの・・凄く色んな人に受け入れられるようになって、したい事も出来るようになってきたと思うんですけど。

そういう中で、やっぱりこう・・・
40代になると少しイメージチェンジしようとかいう事も含めて・・・

達郎氏:

歌いたい事が変わってくるのと、デジタルレコーディングになってから、それまでのアナログレコーディングで作っていた音像が作れなくなると。

あとはテクノですよね。
マシン・ミュージック。

シンセサイザー、楽器の方も変わるわけですよ。

昔はだから普通のエレキギターとベースとキーボードも生キーボードで、ドラムで、ストリングス、ブラスだったのが、それにシンセサイザーが入ってきて、それがデジタルレコーディングになって、マシーンになって・・・

そういうような、色々な変化があるんですよ。
それに合わせて道具が変わるので、音楽も変わるわけですよね。

それをどう変えていくのか、自分の体質にフィットしてるのか、キャラクターに会ってるのか。
そういう事を皆、僕に限らずみんな悩んで作るわけで。

そういう事の変化が・・・
やりたい事が出来るようになってきてるのか、実はやりたい事がだんだん出来ないよにうになってきてるのか、難しところなんですよね(笑)

そういうところを紆余曲折、悩みながらやったのは90年代なので。

平田毅:

結果的に「ヘロン」は96年に出る予定だったのが98年に、2年経って出たと。

「COZY」の中にはヘロンが入ってたり、結構多彩な曲が入って、また新しい音になったなって感じが。

達郎氏:

7年ぶりのアルバムなので、どうしようもないですね、それは。
2年に1度くらい出していければアレなんですけど。
結局7年ぶりですから、ありったけ詰め込むしかないですし。
あと雑多な曲調になるのは、仕方がない。

何度も申し上げるように、楽器、レコーディング法がごろごろ変わるので、それに合わせる曲調とか、いろいろ模索してるんですよね。

"こういう曲調だったら、どうだろう"
"こういう曲調だったら、どうだろう"

って、そういうような模索の歴史ですね。

今は「Ray Of Hope」みたいなのは、そういう事が一段落してますからアレですけど。
「COZY」は特に、そういう意味では「GO AHEAD!」に近いですかね。
楽曲主義っていうか。

平田毅:

逆に苦しんだ4年間があったから、また今の「Ray Of Hope」に繋がってるという・・

達郎氏:

そうですね、でも一番苦しんだのは2000年代かもしれませんね(笑)

平田毅:

「COZY」からもう一曲お送りしましょう。

♪ DREAMING GIRL

◎「RARITIES」2002年

平田毅:

98年「COZY」から2002年「RARITIES」というアルバムが出ますけれども、この企画というのは、いろんなものが入ってきたアルバムですよね。

達郎氏:

あのですね・・・・ま、はっきり申し上げて・・・
レコード会社の事業計画なんですよね。

とにかく出さされまくったんです。
ほんとはだから、オリジナルアルバム制作してたんですけど、毎年なんか出せと。
そういう時代だったんで。

しょうがないので、それまでのシングルのB面とか、レア・アイテムですね。
なので「RARITIES」っていうんですけど。

ほんとは、だから、これを出さないでオリジナルアルバム出したら、もうちょっと早く「SONORITE」よりも前に出せたんですけど。

そうやって、こう・・・毎年毎年要求されるので。
だんだんネタが無くなってきたという(笑)
ですから、これに入ってる「君の声に恋してる」とか、そういうシングルアイテムがあれば、もうちょっと違う形で作れたんですけど。

まあ、そんな事今頃言ってもしょうがないんですけど(笑)

平田毅:

ただ、これまで聴きたかったけど、アルバムに入って無かった曲が入って嬉しいという声が随分ありました。
ああ、ようやく出たかというかね。

達郎氏:

これもチャートNo.1でしたからね。
こういので大丈夫なのかなと思いましたけど(笑)

平田毅:

「君の声に恋してる」っていうこの曲は、どういうシチュエーションでお書きになったんですか?

達郎氏:

これは、要するに遠距離恋愛の歌なんで。
携帯電話というか、そういう携帯電話を使った遠距離恋愛の歌なんですね。

「君の瞳に恋してる」ってありましたけど、それの"もじり"ですけど。
でも、声だけでコミュニケーションとらなきゃなんない、遠距離恋愛の恋人たちっていうものの、一つのツールとしての携帯電話っていうものの・・・歌ですね。

自分じゃ結構気に入ってるんですけど(笑)
ちょっと・・・携帯電話というインフラの近代性にはちょっと曲調がレトロ過ぎたっていうのが自分の反省ですけど。

こういう曲調が、もうね、そろそろ出来なくなるんじゃないかって。
「DREAMING GIRL」なんかも同じなんですけど。

こういう曲がもう、レコーディングしても、こういう音像が出来なくなるんじゃないかって恐怖感が物凄くあって。

平田毅:

携帯電話は別にしても、遠距離で恋し合ってる男性と女性の素直な気持ち・・・
なんとなく、色々言いたいけど言えないような感じってのは、曲調によくあらわれているように、私なんかは思いますけどね。

達郎氏:

もうすぐ50なので、なんか言葉いじるのが段々つまらなくなってくる。
単刀直入な感情表現っていうんですかね、そういうようなのが、やりたいっていう。

だから非常にシンガーソングライター的なアレかもしれないんですけど。
職業作家みたいな、そういう詩の作り方だと、なんか疑問が・・昔からあったんですけど。
そういうのが歳とってきて強くなってきたっていうかね(笑)
そういうことですね。

さっきの40代どうするかっていうのと同じで50代に、そういう自我っていうのが出てくるので。
非常によく反映してます。

メロディー的には、すごい好きなんですね。
編曲的にもね。
なんですけど、なかなかね・・・
やっぱり、その時代の趨勢に合わないっていうか、そういう感じは今聴くとしますけどね(笑)
曲に罪はないので。

平田毅:

前回、2回の時も、鈴木おさむさんと詩の話を、ちょっとしましたけど。
私がはじめお会いした1981年、2年頃は達郎さん、"詩は苦手だし。自分の感情出すのはカッコ悪いな、恥ずかしいな"ってこと仰ってましたけど。

やっぱり年代とともにストレートにそういう出せる余裕というか・・・
どういう事なんでしょうね。

達郎氏:

でも、やっぱり詩は難しいですよね。

詩はね、内容で済むんだったら、そんな楽な事はないんですよ。
どんな事を歌いたいかって、それで作れるならアレなんですけど。
どうはいかないんですね。

サウンドってのが、あくまであって、どういうアレンジで、どういうサウンドにするかっていうのが、あっての詩なので。

だから、しばしば全く合わない言葉つけちゃったりすると、それはサウンドと合わないが故に、物凄く違和感がでるんですよね。

だから一番重要なのは、歌っててサウンドに溶け込む言葉の世界っていうか・・
内容じゃない、実は。

何にも言ってないのが、ほんとはいいんですけど。
でも、何にも言わないような歌よりも、なんか言ってる歌の方がいいやっていうのが、歳をとるっていう事なので。

平田毅:

トータルで達郎さんは詩を書き、曲を書き、自分で歌ってアレンジをして。
しかもマスタリングまでされるわけですから、トータルで表現できるわけですよね。

そこが強みなんじゃないですか。

達郎氏:

でも詩は最後です。

デモテープ作った段階では"ラララ"で、なるべくオケがアレンジ的に完成すれば、するほど、そこのところまで詩を待ちたいという。

そうすると、その音世界っていうのが、色合いっていうのがね、トラックの色合いっていうのが見えて来るので。
それに、どういう言葉を乗っけるかっていうのが一番フィットするかっていう。

フィット感なんですよ!だから。

平田毅:

最初にでも、お書きになる時には、漠然とテーマはおありになる。

達郎氏:

漠然とありますけどね。

平田毅:

こういう感じのものを書きたいと・・・

達郎氏:

でも、それが全然ダメだったりもしますからね。
付けてみると。

そう簡単には・・・

で、そういう漠然としたテーマに合わせて編曲とか、そういうのは努力しますけど、ダメな時もあります(笑)

平田毅:

この「君の声に恋してる」は、ピタッと詩が入ったんですか?

達郎氏:

比較的。

でも・・・もう半音上げてもよかったなって、ボーカルを(笑)

♪ 君の声に恋してる

◎「SONORITE」2005年

平田毅:

続いては2005年、アルバムの「SONORITE」ですけども。
これオリジナルアルバムとすると「COZY」から7年

達郎氏:

そうですね。

平田毅:

このころのファンとすると、ゆったり待つ気持ちになってましたね。
10年にいっぺんでも出てくれば嬉しいなというような気持で待ってましたね。

達郎氏:

ほんとに、目に見えないところで、いろいろねゴターとね・・・
そうするとね、モチベーションさがりますよね(笑)

平田毅:

「SONORITE」というのはフランス語で"共鳴"という意味なんだそうですが、これはどういったメッセージなんですか。

達郎氏:

「SONORITE」って音楽の時の響きなんですよね。
"いいソノリテしてるね"って、言うんですよ。

それは要するに楽器同士の共鳴がいいとか、声がいいトーンだとか、響きが綺麗な時に"いいソノリテだ"って言うんです。

それは昔から「SONORITE」っていうタイトルを考えてたんです。
そういうのを、書きとめて持ってるんですが、今回はそれを使おうと。

平田毅:

相当、この頃は機材で苦労したと。
さっき仰ってましたけど。

達郎氏:

そうですね。
Pro Toolsっていうハードディスクレコーディングですね。
それまではテープレコーダーだったんですけど、それがハードディスクになったんですけど。

それがまあ、あの・・・実は凄く・・・
それまでのテープレコーダーは一個で3千万円とかね。

レコーディングコンソールみたいなのが、それこそ一台で1億円みたいな、そういうものが、非常に高価な・・レコーディングスタジオってのは高価な機材がないと出来ないという時代がずっと続いたので。

それこそレコーディングスタジオみたいのがプロじゃないと使えない所だったんですけど、それがPro Toolsって非常に安価なね、ん百万円くらいの初期投資で出来るものなので。

それこそマンションの一室でレコーディングが出来る時代が来たんですよ。
ほんとの意味でのデジタルが・・・スペックが、性能が向上してきたので。

性能が向上するってのは、果たしていいことか・・・どうかっていう。
ハイエンド・オーディオってよく言いますけど、今だったら、例えばクラシックなんかがね、いかにそれでいい音かってあるんですけど。

ロックの場合は、いい音が必ずしもグッとこないんですよね。
いってみれば優しいっていうか、ガッツがないっていうかね、音にね。

そういうようなアレがあるので、それまでの自分たちがやってきたレコーディングで聴こえる音と、全然違うんですよ。

平田毅:

綺麗になっちゃう感じですね。

達郎氏:

なので、それが物凄く違和感があって。
ほんとはだから、3年か5年早く導入すれば良かったんですけど。
どうしても昔の拘り、昔の経験則につかざるを得なかったので。

それでちょっと導入が遅れたので、更に墓穴を掘った(笑)

「SONORITE」ってアルバムね、曲はね、全然別に、愛着ある曲ばっかりなんですけど、それがレコーディングするとちっとも・・・それまでの感じにならないんですよね(笑)

それがほんとに大変でね(笑)

で、50代の頭なので、どういう具合にこれから先やって行くかって、新しい基軸とかね。
年齢に合った曲調とか、そういうようなものも考えちゃうでしょ。

それは、やっぱり20代の・・・がいやだから・・・
そういう事を考える(笑)
だからグチャグチャになって(笑)
ほんとに大変でしたけどね。

それがなければ今のアレがないので。
自分がね。

平田毅:

機材をなんとか上手く使っていい響きの音も出来た。それから先ほど仰ったようなスタッフの事とか、ミュージシャンの事とかレコード会社のこととか、もろもろあった事が何となく解決してきていい響きが出てくるというメッセージ・・・が「SONORITE」

達郎氏:

ま、そう言いたくてアレしたんですけど。
現実的にはなかなか、こう・・・

「POCKET MUSIC」っていうアルバムの時は、一回ミックス全部しなおしたんですけど。
これは、もう一回全部やり直してもいいかなと思ってたんですけど。

でも歳ですね。
今はもうそういう事はしない方がいいやと、前向いて進もうって。

だからもう10歳若かったら全部やり直して、もう一回同じもの作りますね。

平田毅:

でもその時に固定化された音っていうのは、愛おしい部分もあるでしょ。

達郎氏:

ん~
でもこの時、でもやっぱり、そういう悩んだ記憶の方が大きいので。
そういうのがうず高に積ってるっていうかね(笑)

平田毅:

「SONORITE」から一曲お願いします。

達郎氏:

この曲は、ほんとに50歳になった時に、いつまで声が持つかって考えたんです。
明日出なくなんじゃないかって、不安になって。

声が出てるうちに、歌える曲を今やっとかないとダメなんじゃないかと。

昔からねカンツォーネやってみたかったんですよね。
しかもマイナーメロディーのカンツォーネ。

ジャンニ・モランディみたいに。

カンツォーネだって思って・・・
だけど、なかなか機会がなかったんですけど、NHKでアガサ・クリスティの名探偵ポワロとマープルっていうアニメの主題歌を書いてくれって。

これダーッと(笑)

超異色の曲なんですよね。
自分じゃ、結構気に入ってるんですけど、やっぱりキャラがね、今聴くとやっぱり僕のキャラでは歌いきれてない。

平田毅:

詩をまりやさんにお願いしてましたよね

達郎氏:

こういう曲、詩かけませんもん、自分で。
だから、まりやに頼んで詩書いてもらったんですけど。

カンツォーネぜんとした歌手の方に歌ってもらったらね、もっといい。
完全に作家的な曲です。
正直言ってロック歌手の自分では歌いきれてないってのが自分の本音です。

♪ 忘れないで

達郎氏:

平田さん、もうアレですね、私のファンの方達に名前が浸透してますね、これでね。
2年続けて。

平田毅:

実は去年の三昧の時も、羨ましいという声がね、たくさんあったんですけど。
これ、3回出ると、なかなか皆さんからね、怒られそうだな(笑)

ソロデビューしてからの35年プラスシュガーベイブの時代の2年あわせて37年ありますけど。
念の為、ご紹介しておきますと、

初期と称するのは1975年、昭和50年から1982年、昭和57年までの7年間。

中期と称するのは1982年、昭和57年から1995年、平成7年まで。

そして今日お送りしている後期は1995年、平成7年から2012年、平成24年現在まで、

と言うことになります。


◎「Ray Of Hope」2011年

続いては昨年の「Ray Of Hope」ですけども、これは「SONORITE」から6年ぶりのアルバムと。
これは、あれですよね。
アルバムの発売を少し遅らせて「Ray Of Hope」にタイトル変えたですね。

達郎氏:

「WooHoo」ってタイトルだったですけど。

平田毅:

達郎さんご自身、こういう経験はない・・・

達郎氏:

無いです。
前代未聞です。

でも、私だけに限らず、日本の全体の・・・
日本人全員が、やっぱり前代未聞の経験ですからね・・・

2011年はね・・・

平田毅:

アルバムが遅れて出てきて「Ray Of Hope」って聞いた時に、凄くフィットした感じがしましたね。

達郎氏:

でも、幸運だったのはライブを再会して続けてましたから。

お客さんの空気ってのが、直にね・・・
それまでは、しばらく出来てなかったんですけど、6年くらい出来てなかったんですけど。

それがしかも2008、9、10とずーっと持続して感じられてたので。
それがやっぱり、判断がね、即決できた一番大きな理由ですね。

平田毅:

受けての方の顔を見えて、そちらの空気も見えて、ああ「WooHoo」じゃないなと。

達郎氏:

そうです。
僕の場合は特にお客さんと割と距離が近いので。
なので、そういうムードってのが、こりゃダメだってのがパッと判るんですよね。

だから、それがほんとに、このアルバムに関してはいい結果でしたね。

平田毅:

小屋もコンパクトな小屋が多いですから、見えますよね、空気感もね、良く判りますもんね。
「Ray Of Hope」ってあとから見てみると、非常にフィットしたタイトルだったなって思いますけどね。

達郎氏:

ああいう時代は、それしかないと思います。

平田毅:

もう昨年のアルバムですから、近い曲が多いんですけど。
最近となると、作品はどうですか。
昔と比べて変わってきたと仰るのもありますけど。

達郎氏:

そうですね・・・

結局だけど・・・、タイアップがね、僕の場合テレビ出ないのでタイアップが多いので。
タイアップが、バラード指向が・・・
全体に僕に限らずバラード指向が多いんですよね。

平田毅:

世の中がそうなってるですかね・・・

達郎氏:

やっぱり疲れてる時代だからでしょ。
なので、今回のアルバム、バラードが凄く多いんですが。
でも、何て言うのかな、そうしたコラボレーションっていうか、ドラマにしろ映画にしろ、凄く僕にとっては、いい出会いがあるので。

作品的には結構自分でいいものが出来たと思ってるんですけど。

出来ることなら、もうちょっとアップが増えないかなとは思ってますけど。
でも、それくらいにようやく体制が立て直せたから、そんな事言ってるんでね。

それまでは、それどころじゃ無かったですからね。

ここから先は、ライブ、コンサート出来るようになったり、バンドも固まってきたので、そうした先祖がえりっていうか、そういうような70年代の先祖がえりっていうか、そういう事ができればなっていう概念は持ってるんですがね。

♪ 街物語

平田毅:

ついに2012年、最新作になりますが、この曲はドラマの・・・
曲ですよね。

達郎氏:

そうですね。

平田毅:

達郎さんの中に、ご自身でお書きになったり、オーダーされてお願いされる事あると思うんですけど。
やっぱり、だんだんと自分だけじゃなくて、オーダーされると世界拡がるっていうのもあるんじゃないですか。

達郎氏:

もちろんそうですね。

タイアップとか、そういうものってのは相手の方も表現者なので。
例えば脚本家、演出家、CMだったらCMプロデューサー、そういうような方の感性ってのがあって。
僕がコラボですよね、そういうもので作ると相手の作品が優れてると、触発される訳でね。

細田守さんのサマーウォーズなんてのも、湧いてくるんですよ(笑)
あれくらいの映画になったら、こっちが自然と勝手にメロディーが出てくるような。
そういうとこもありますから。

ただ自分で歌を作って、自分の考え方を何かに乗せようとか思う時には、例えば蒼氓みたいな歌とかね。

あとクリスマスイブみたいなのは、完全に要するに自分がクリスマスイブの歌を書こうと思って書いたものなので。

あれはタイアップでも何でもない訳で。

逆にだから、それがあとからそうした具合にタイアップで利用されると、ま、すおした下心がない(笑)分だけね、ピュアに聴こえるっていうか。

そういうのが色々と噛みあわさってるんですけど、基本的にはでも、自分は作曲家とかそういう者になりたかった人間なので、作家的な意思っていうのが、凄くあるのでね。

今日なんかも、ほんとに、それこそ「忘れないで」とかそういう「DREAMING GIRL」とかNHKのドラマとか、そういうものの主題歌なんかでも、そういう座付き作家ですね。

一番の最新曲も完全に座付き作です。

ミステリードラマっていうか推理ドラマなので、人間の業のドロドロしたヤツのね、最後にこう、ある程度の・・
一抹のポジティブシンキングで終わらして上げたいっていうか、そういうペシミズムじゃないものの、オプティミズムで終わらしてあげたい、そういう意思ですね。


平田毅:

だんだんと歳を重ねてくると、自分の好きなものだけやるっていう方もいらっしゃいますけども。
逆に言うと、色んな方とコラボするのは面倒くさいという方もいらっしゃいますけど。

達郎さんは、どんどん色んな方と接触して、むしろそれを刺激にして、いい作品、新しい作品を出すっていう。

達郎氏:

運命ですね。

でも、この先判りませんね。
結局、自分の世界に入って行く可能性もありますし、それはもう流れのままでしょうね。

ほんとはだから、50過ぎる頃から、そうやってタイアップみたいなものは来ないだろうなって、僕もスタッフも感じてたので。

だったらどういう具合に、これからやるかって思ったら、じゃライブに生きていこうかって。
ライブ始めたら、逆にそういうタイアップのオファーが昔より増えたっていうかね(笑)

それも、まあ・・・運命ですね。

平田毅:

本人はしたいと言っても市場の動向ありますからね。
ニーズが無ければ・・・

達郎氏:

無理やりごり押しでやってもしょうがないですから。

平田毅:

そこは自然にと・・・

達郎氏:

そうですね。

平田毅:

もともと、最初の頃CMなんかも随分お書きになってたんで。
相手のニーズに応えるって事もなさってましたもんね。

達郎氏:

だから初めから仕事ってのは、ほんとに超一流の仕事がね、出来るわけがなくて。

僕らみたいにアンダーグラウンドから上がってきた人間は、初めはやっぱり正直言って、あんまり質の良くない仕事でもやらなきゃなんないわけですよ、食うためにね。

例えば、"こんな曲でな"って思うような事をアレンジしなきゃいけない、編曲しなきゃなんない時にも、そういう時はだから、何を考えるかっていうと、曲は酷かったけどアレンジは良かったとかね。

酷い曲だったけど、コーラスは凄く良かったとか。
そう言われるようにしようと。

自分のパートだけは、そういうアレンジをしようって。
それじゃないと、だってやれないじゃないですか。

だから仕事に対する・・・初めはあまり恵まれなかったがゆえに(笑)
そういうような考え方でやってきたのが、逆に言うと手抜けない性格だから。

それが結局自分を結果的には救ってたんですよね。
若い頃に。

それで、それを見えないところで見てくれる人がいて、それで、そういう人が僕に仕事持ってきてくれるとか、そういうような事が凄くあったので。

それは、結局この年になっても変わりませんね(笑)

平田毅:

35周年、シュガーベイブからいうと37年。

達郎氏:

おそろしい(笑)

平田毅:

その最新曲です。

♪ 愛を教えて

達郎氏:

さて、この後は、本日のゲスト、少年隊の東山紀之さんの登場です。
どうぞ、お楽しみに。









スポンサーサイト

テーマ : FMラジオ - ジャンル : テレビ・ラジオ


山下達郎さん NHK-FM『サウンドクリエーターズ・ファイル』2012年9月16日


さまざまな世代のサウンドクリエイターが月替わりで登場、作品にまつわる秘話や影響を受けた音楽を、こだわりの選曲を交えて紹介するNHK-FM『サウンドクリエーターズ・ファイル』。
9月2日(日)  21:00 - 23:00
9月16日(日) 21:00 - 23:00
9月23日(日) 21:00 - 23:00

第2回(2012/9/16)のオンエアでは「POCKET MUSIC」のデジタル録音の話に、すごく力が入ってましたね。

このブログでは前半部分の一部をテキスト化しています。
誤字脱字は、ご容赦くださいませ。

第1回の前半部分は、こちらをご覧ください。

◎ 冒頭

達郎氏:

みなさんこんばんは。
山下達郎です。

サウンド・クリエーターズ・ファイル
この番組は様々な世代のサウンドクリエーターが月替わりで登場。
作品にまつわる秘話や影響を受けた音楽、こだわりの選曲を交えながら紹介するプログラムです。

9月は3回にわたりまして、私、山下達郎が担当させて頂きます。
今夜は1週おきまして2回目。
宜しく今夜もお願い致し申し上げます。

今日も、この方にお付き合い頂きたいと思います。

平田毅:

はい、NHKアナウンサーの平田毅です。
宜しくお願いします。

今年は達郎さんは、ソロデビューから35周年ということで、今月のサウンド・クリエーターズ・ファイル、シュガー・ベイブ時代もあわせまして37年間の活動期間を3つに分けて、当時のエピソード、曲作りについてお話を伺っていきます。

2回目の今夜はですね、1982年、昭和57年からですね1995年、平成7年までの13年間っていうことになります。
アルバムでいいますと『MELODIES』から『TREASURES』まで、ここのアルバムについてのお話を伺っていくと、いうことですね。

達郎氏:

ベストアルバム、DISK-2の分です。

平田毅:

今日はゲストに放送作家、鈴木おさむさんがいらっしゃいますので。
この前は、クリス松村さんで盛り上がったんで、楽しみですね。
鈴木さんから、どんな話が伺えるか。

達郎氏:

フフフ(笑)
濃そうですね(笑)

平田毅:

じゃまず、さっそくその曲を一曲聴いてもらいましょうか。

達郎氏:

ちょうどこの季節、ちょっと遅いかな。
「さよなら夏の日」

♪ さよなら夏の日

平田毅:

2日の日ですね、前回は1975年、昭和50年から1982年、昭和57年まで。
シュガーベイブ時代の2年を含めてご紹介したんですけど、今回はですね1982年から1995年と。

昭和57年から平成7年までを纏めてお伝えするということですね。


◎ MELODIES (1983年6月8日)

平田毅:

MELODIESっていうアルバムが83年に出るんですけども、ここでムーンレコードに移籍っていうのがありますよね。
歳も30歳になっていうことで。

達郎氏:

はい、ちょうど30ですね。

平田毅:

やっぱり、結構変わってきたなっていうのが、僕らの印象だったんですけどね。

達郎氏:

そうですね。
でも、ほんとにあの時代は、30歳になってロックとかフォークとか、どうやってやろうかって、そういうのが前例が殆どないので。

で、あとはアイドル歌謡が物凄くやっぱり勃興してたんですよね、あの時代はね。
聖子ちゃん、明菜さん。

そういうところもあったので、自分達は、どういう具合に方向とうろうかって、僕に限らずみんな結構、割と試行錯誤が始まってた時期なんです。

僕らの場合は、よりこう、何て言うのかな、大きいレコード会社だとやっぱり、いろいろ事業計画とかリリース出せとか、そういうのが束縛されたくないってのがあったので、もうちょっとちっちゃい、いわゆるインディーですよね。

そういう形でやろうっていうんで17人程で独立してレコード会社作って、そこでの第一弾かな、このメロディーズは。

平田毅:

やっぱり大きな決断ですよね。

達郎氏:

そうですね。

平田毅:

それまで、成功してたわけですから。

達郎氏:

んん・・・
でも、なんつったらいいかな・・・
変な言い方ですけど宣伝費とかそういうものが、むこうへ持ってかれますからね(笑)
我々働いても、全体的に会社の事業計画があって、そういうものが思う様にコントロールできない。
そういう不満が一番ありましたね。

平田毅:

それよりは自分でプランニングして音楽作ってアルバム出していきたいと。

達郎氏:

そうです。
その頃はレコード産業ってのが、今よりそんなに大きくないんですけど、回転するっていう意味では影響力が大きかったんですよ。

だから、なかなかビジネスのアレが違ってたんだけど。
そういう意味では、だから制作的なものに関しては、どこでやってもそんなに変わらない。
やっぱり流通させるということの独自性っていうかな・・・

やっぱり大きな会社だと演歌もあるし、アイドル歌謡もあるし。
フォークロックってのは、それよりはまだまだ負けてたので。

そうすとやっぱり、こう優先順位みたいなのがあるので、やっぱり面白くないからってのが一番独立した理由です。

♪ 悲しみのJODY

◎ 作詞 

平田毅:

達郎さんの中期、1982年から1995年を規定してますけども、アルバムが6枚ありましてね。
ベストでいいますと、ここには17曲がセレクトされてるんですけども。

アラン・オデイさんが書かれた「ビッグウェイブのテーマ」以外は達郎さんが全て詩を書いてると。

前回やりました75年から82年の7年間で17曲選んでるんですけど、こちらは実は達郎さんの詩が7曲、美奈子さんの詩が7曲。

ですから他の方の詩もあるんですけど、ここのあたりから達郎さんの詩が主なアルバムを占めるようになってくると。

この辺の変化というのは?

達郎氏:

よくまあ、昔から申し上げてるんですが、メロディーズで移籍してちょうど30歳だったという事と、ライド・オン・タイムでブレークしたのが80年なんですが、そこからメロディーズまで3年間の間ってのは、いわゆるリゾートミュージックって言いましょうかね・・・

ウォークマンとかカーステレオとか音楽をアウトドアに出ていった時代で、それが代表格みたいに、最初あって。
「夏だ、海だ、タツローだ」ってそういうものがあったんですが。

ま、そういうリゾートミュージックの代表にさせられるのだけは、ちょっと恐怖しましてね。

平田毅:

レッテル貼られてしまうみたいな・・

達郎氏:

あとは商品にされるんじゃないかってね。
そういうところが凄くあって。

なので、それは自分が望んだことでないんだけど。
勝手に「山下さんっていうと夏ですよね」って、どこの取材行っても言われて。
そういうのは、ちょっとこう・・・離脱しようかなと。

30歳になったということもあるんですが、結婚したっていう事もあるんですが。
お陰さまでだから、その3年間くらいの間を、いろんな事が上手く・・・20代の売れない頃とね(笑)比べて、レコーディングのお金の問題とか、スタッフの問題とか、ミュージシャンの問題とか、いろいろな問題がクリアされて、一つ一ついったんですよね。

だからレコード制作としては、理想に・・・自分が思ったような事にだんだん近づいてきたんですよ。
そうすと、欲が出てきて、何をこれから、これ以上向上させるべき事があるかと。

ツアーも上手く出来るようになったし。

やっぱり、何で自分が音楽始めたかっていう事を考えると、音楽っていうのは僕らの場合はお金儲けとか、そういうのよりも音楽を一つの自分の考え方の、要するに主張する事の表現手段っていいましょうかね。

自己表現の手段にしようと思ってアレしたので。

そうすると、やっぱりこれから、変えるべきところは何かなって・・
自分の考え方を、どれくらい音楽に込められるか。
音は・・・込められたんですけど、言葉でもそういう事がやれないかと思って。

だとすると自分で詩を書くべきだと。
男の人のロマンチシズムみたいなものをね、歌にしたいっていうのは昔から思ってたので。
そういう色々なファクターがあるので、そなると自分の考え方を歌に込めるので、開放的な音楽よりは、もうちょっと内省的な音楽っていうか。

本来のシンガーソングライターが、やってるような、そういう音楽に少しづつ変えていこうっていうのは、メロディーズの一番大きな制作・・・で。

平田毅:

ムーン・グローそれからライド・オン・タイム、フォー・ユーなどは、やっぱり、ある種の世界できましたけど、実はその前のシュガーベイブや初期の頃は、随分詩を書かれてましたもんね。

達郎氏:

そういう所にだんだん戻っていくという・・・
ほんとに、ライド・オン・タイムがブレークするまでは結構必死でしたから。
詩まで、とても頭がまわって無い。あと短時間でレコード作んなきゃなんないので。

平田毅:

この前の時代は、ほんとにどんどんアルバム出してますもんね。

達郎氏:

要求もありますし。
ほんとに、少ない予算と短い時間の間で、どう作るかってところだと、結局一番しわ寄せが来るのは詩なんですよね。

平田毅:

そうすると、自分でレーベル立ち上げて、そこに行って時間をかけるっていう所でいうと、詩の方に時間が費やせるようになったという事は大きい・・・

達郎氏:

実質的に詩が7割くらいですからね、時間。
7:3で曲より詩ですから。

ですから時間的余裕がないと出来ないんで。

そういう意味では吉田美奈子さんにお願いした時は、彼女に詩を全部アレしてる時に僕は編曲と作曲の方に集中できたので。

その頃はほんとに低予算、短時間でアレするんですけど、そういう意味では、ちょっと余裕が出てきたっていうかね、気分的に。
それが一番大きいですね。

◎ BIG WAVE  

平田毅:

このあと84年になりますとね、アルバムでBIG WAVE を作られますけど、これはどういう事で・・・

達郎氏:

これはサーフィン映画をスタッフが持ってきたんです。
BIG WAVEってサーフィン映画なんですが。
いろいろ理由があって(笑)、映画の出来がイマイチで(笑)
なんですけど、それのサウンドトラックをやろうっていう事になったので。

僕は実はその時代、シングルのB面にビーチボーイズのカバーをいつも入れてたんですね。
「高気圧ガール」のB面が「DARLIN'」っていう曲で・・・
そういうようなビーチボーイズのカバーをしかも一人多重で、ドラムからベースから全部自分で演奏してやってたんです。

ので、それに目を付けたスタッフが、じゃサーフィン映画で、そういうものをアルバム化しようと。
そういうことでBIG WAVEの企画持ってきたんですが。

映画は全然ヒットしなかった・・・って言ったらアレなんですけどね、何でかっていうと100%サーフィン映画じゃないんですよ。

それこそ、パラグライダーとかいろんな・・・輸出対策だったらしんですよね。
輸出するには90分以上ないとダメだとか、そういうアレなのでサーフィン以外のフィルムをくっつけっちゃたんで。

あれが純粋に70分くらいのサーフィン中心の映画だったら、それなりに締りがあったんですよ。
でもそれで、映画はあんまりヒットしなかったんですけど、アルバムはね凄くよく売れたんですよね。

今から考えると、全く想像もできない。
今は映画がヒットしなかったら、アルバムなんか成立しませんからね。

そういう良い時代だったんで、それまでのいわゆる夏のイメージっていうのも幸いして1984年ですけど、そんな中で、自分のアルバムではちょっと異色なんですが。

A面がビックウェーブとか悲しみのジョディの英語版とか、自分の作品で、B面がビーチボーイズのカバーと。
そういうような珍しアルバムですね。

でもこれは、今でも評判がいいアルバムで。
今でも夏になると、かなり・・・売れてます(笑)

平田毅:

ライブでも、かかると盛り上がりますよね。

♪ I Love you

◎ POCKET MUSIC  

平田毅:

このポケット・ミュージック、達郎さんのデジタルレコーディングの苦しみと・・・

達郎氏:

ここからデジタルになるんですね。

ご存知のようにアナログっていうのは昔のテープレコーダーで、デジタルは、それをこう時間軸で切ってアレするんですけども。

簡単に言いますとですね、デジタルは音がいいって言いますでしょ。
アナログはそれに比べると、ちょっと狭い、音域が狭い、帯域が狭い・・いろんな事を言われますけど、実はロックって歪の音楽なんです。

ロックン・ロールの良い音っていうのは、いわゆるクラシックの良い音とかと違って「ロックン・ロールの良い」ってのは「ガッツ」なんですね!

音のガッツっていうのを出すのにはデジタルってのは非常に難しいメディアなんですよ。

何故かっていうと、キャパシティがもの凄く大きいんです。
僕、いつもこの話する時には言うんですけど。

アナログってガラスのコップなんです。
ここにバケツの水入れるとあふれるでしょう?
これが、いわゆるガッツなんですね。

それに、比してデジタルって風呂桶だと思って下さい。
風呂桶にバケツの水入れても、ほんの何センチしか溜まらないでしょ。

風呂桶を溢れさす水いれるのは大変な作業なわけ。
これくらいの差があるんですよ、デジタルとアナログってね。

そうすると(笑)・・・
綺麗なんですけど・・・
根性が無い!

ドラムの音とか、ギターの音とか、声をシャウトするとか・・・・
ガッーッ!ていく、それがねデジタルだと、物凄く無くて。

あと、例えば昔だったらドラムとベースとギターとキーボードで演奏しますよね。
これにストリングスとか、コーラスとか、なんで入れるかっていうと、そこで表情変えるわけですよ。

サビになった時、ワーッってなった時にコーラスがファーって入ると表情が変わるわけです。
同じAメロと最初のメロディー2回続けても、1回目はリズム隊だけど、そこからストリングスが入ると、そこでまた表情が変わる。

表情が変わるっていうのは世界が変わるので。

あの・・・
そういうニュアンスの変え方っていうのを楽器を重ねていったり、楽器を変更することでアナログの場合にはガラッと変えられたんだけど。

デジタル変わらないんですよね。

何を入れても!
印象が変わらない!

平田毅:

変わったように聴こえない・・・

達郎氏:

聴こえない!

それもやっぱり、さっきの風呂桶で・・・
フフ(笑)

要するに、つまらない!んですよね。

平田毅:

音として単に記録されてるっていう・・・

達郎氏:

そういう事です。

今はそれが、要するにデジタルのプロセッシングがいろいろ発展してきて、今はかなり改善されてるんですけど、1986年当時ってのは、もう、まだデジタル・テープレコーダーってのが出来たばかりで、そんな事誰も考えてない。

みんな要するに「デジタルはアナログより音が良い」って、その幻想だけで。

平田毅:

機械としての音はいいけれど、という事ですか。

達郎氏:

ノイズが少ないとか、綺麗に出てるとか、分離がいい・・だから右の右で、左のものが左にきちっと分かれてるとか。

あとはワウ・フラッターっていってアナログのテープレコーダーって・・・
何て言いましょうかね、回転がムラがあるんです。
デジタルは理論的に回転ムラが無いので。

そういうようなものなんです。

で、確かにメリットもあるんですけど。
でもロックの音楽でイケイケでやろうと思うと、これちっとも力が無いんですよ、音にね。

それがだから、初めはスピーカー聴いてて、その時33だったので、やっぱ30過ぎると感動薄れるんだなぁってね・・・・思ってるんですよ。

一年くらいね、ああでもない、こうでもない。

ちょっと待てと!
これひょっとしてデジタルになったから、こうなったんじゃないかって、気が付くまで1年くらいかかって。


平田毅:

達郎さんでも・・・

達郎氏:

ほとんど周りの人は、そういう事言う人、誰もいなかったんです。

平田毅:

みんな機械良くなったって思ってましたもんね。

達郎氏:

それは、だからもう皆「いいだろう?、いいだろう?」って。
「いいね、いいね」って。
ちっとも良いと思わないのに(笑)

そうすと中断っていうか、そうなっちゃうでしょ。

平田毅:

何でこんな時間かかるんだと。
何で、やり直すんだと。

達郎氏:

ひと月一曲みたいな世界でしたからね。
テイク17個録ってみたいにね。

平田毅:

でもやっぱり、聴くには人間であって、聴くのは人間の耳ですものね。
そこで、届くかどうかと。


達郎氏:

もうその時代に、もう33くらいでしたから、もう30年近く前にやったアレのお陰があるんで、今やれてるんですね。

何回かそういう事が、テクノロジーが変化した時に何回か修羅場がありましたけど。
86年のポケットミュージックやってる時の苦労が、経験値となって蓄積されてるので、その後は驚かないで済んだっていうか。

平田毅:

実際そういう風に、言うユーザーがいたから変える方も何とかしようと思うし、ミキサーの人も何とかしようと思うし。
そこで全体が上がるっていう事もありますよね。

達郎氏:

ただ、そこまで機材の性能が上がって無い時に見切り発車してるんですよね。

僕たちLP,シングル、アナログのレコードだったですよね。
針置いて、溝ひっかいて、音出すっていうね。

あれよりもCDの方が音がいいって言われたでしょ?

ほんとはね、確かに良いとこもあるんだけど、でも本当にアナログからCDに変換した理由っていうのは、レコードプレーヤーとステレオっていうのが、完全に需要が頭打ちだったんですよ。

なので、これ以上の需要は見込めないと。

しからば、アナログLPを全部止めにしてCDしか出さなくすればCDプレーヤーが売れるでしょ。
で、当時から日本のレコード会社ってのは、ほとんどが電器会社の子会社だったので。

ハードを売るためのソフトを作る。
それのためのCDっていうのは、一種の噛ませ犬みたいなもんで。
一番日本で大きなレコードメーカ・・・一番大きな電器メーカーと同義なんですけど。

その当時の社長さんはCD売って利益あがらなくていいって言ったんです
CD売って利益出なくたって、それのCDプレーヤーの4万5千円で利益が出るんだから、いいんだと。

それがアナログからCDになった、本当の理由でね(笑)

それに・・見切り発車でも何でもいいんですよ、とにかく。
ハード売れればいいんだから。
それで・・・(笑)アレの怨念は大きいですよ。

♪ 風の回廊(コリドー)

◎ 僕の中の少年 (1988年10月19日) 

平田毅:

この前あれですね、クリスさんが、最後の方になって是非聴きたいと。
達郎さんの少年っていう言葉に込めた意味とか、全部聞いてましたね(笑)

達郎氏:

こわかったですね(笑)

平田毅:

この頃、あれですよね、お子さんも生まれたり。
いろいろと価値観も変わってきた・・・

達郎氏:

デジタルレコーディングとかハードのあれもありますし。
個人的にはやっぱり・・・
ずっとツアーやってきたんですけど、だんだん、だんだんツアーの周りの環境ってのが変わってきて。
レコ―ディング環境も変わってきましてね。

長く、いろんな人とやってるとスタッフ、ミュージシャン・・人間関係に微妙なきしみが出てくるんですよ(笑)

いろんな事がありますね。
一番大きいのは、やっぱり子供が生まれた事ですが。
ちょうど、そういう時のアルバムなので。

僕の全アルバムで日本語のタイトルって、これ一枚なんですよね。
「僕の中の少年」っていう。

その・・・特別な・・・アレだったんですよね。

平田毅:

この中に、達郎さんご自身・・ま、どれが一番ってことはないでしょうけど、とっても好きだという「蒼氓」が入ってますよね。

達郎氏:

ずーっと今日は申し上げてきましたけど、自分で詩を書くようになったのは何よりも、そういう自分のものの考え方っていうかね、そういうものを歌に込めたいっていう望みがあったんですけど。

この蒼氓って曲が80年代では、一つの到達点というか・・・
自分の思想って言ったら変ですけど、そういう価値観っていうか・・・
昔から匿名性にあこがれてたので。

知識人とか文化人とか、そういう言葉が嫌いだったので。
ポケットミュージックのアルバムは半文化人音楽とか、そんなことまで言ってたんだけど・・・

「僕の中の少年」、この次が「ARTISAN 」でしょ。
そういうものを、物凄く自意識として持ってた時代なんですよね。

なので「蒼氓」っていう、石川 達三の小説にありますけど。
無名の民のことを意味するので。
硬いタイトルですけど、これで作ったんですよね(笑)

♪ 蒼氓

◎ARTISAN (1991年6月18日) 

平田毅:

ポケットミュージック、僕の中の少年、ARTISAN と、やっぱり内省的になって・・・
でも達郎さんの価値観が現れているようなアルバムタイトルですよね。

達郎氏:

かなり個人的になってきましたね。
そういう意味では世の中のトレンドっていうか、そういうものと、どんどんかけ離れていく(笑)っていうか。

平田毅:

私は達郎さんとは 学年で5つですけども。
達郎さんの人生を追っかけるようにして歳をとってきたので、自分の中では、こういう風な年代になってきて聞くのにフィットする音楽が出てきたなって、しましたね。

達郎氏:

同世代音楽っていう・・・

平田毅:

あんまり無かったんですよね。

達郎氏:

ありませんね、うん。

平田毅:

そういうものが夏の時代もあって、ポップな時代もあって自分が30代に入ってきた時に、こういう音楽が出て嬉しかったなっていう気がしましたね。

達郎氏:

40になってね、ロックなんか誰も聴きゃしないって言われてたんですよ。
40になったら演歌だよって。

絶対そんな事ないって思ってたんですよ。僕ね。

平田毅:

僕らも戻りませんでしたからね。

達郎氏:

その通りですよね。
その当時の演歌がね、一体僕らの琴線にどれだけ刺激したかって、それは全く因果なので。

どうせ人間歳とっていくんだったら、歳とって考え方とか物の見方変わるんだったら、それに合わせて音楽作らなっくちゃいけないって僕は思ったんだけど、ほとんどは当時のトレンドはそうじゃなかったですよね。

今と違って、若年層っていうか10代、20代のマーケットの最大だから、そこの卒業する音楽を作らない限り売上落ちていくっていう。

僕はそれでも、それだたらしょうがないと思ったんですよね。

平田毅:

ただご自分のなさりたい事をやってたと・・

達郎氏:

やっぱり自分と同じ世代の人間が、聴く音楽が無くなるっていう事が一番よくないっていうか。
自分の10くらい下の人達が一番コアなリスナーだったんだけど、その人達がやっぱり結婚して子供生んで・・・就職して結婚して、子供産んで生きてる・・・

そういう人達がやっぱりハッと気が付くと、昔の僕の父とか母みたいに"今のヤツはガキのために作ってる音楽しかないじゃないか"って、それが一番問題だと僕なんか思ってたので。

自分と同世代の人間が40になったら40、50になったら50に聴けるような、そういうものにしなきゃいけないって。

それは今でも全く変わって無いですけどね。

平田毅:

僕らは同時代で嬉しかったんですけど、今日はこのあとね、放送作家の鈴木おさむさんお迎えしますので。
鈴木おさむさんは、私よりも15、歳が下で、こういう人がどういう風に聴くのか楽しみで、あとから聞きたいと思いますけど。

ではアルチザンから一曲お願いします。

♪ ターナーの汽罐車 -Turner's Steamrollers-












テーマ : FMラジオ - ジャンル : テレビ・ラジオ


山下達郎さん NHK-FM『サウンドクリエーターズ・ファイル』2012年9月2日


さまざまな世代のサウンドクリエイターが月替わりで登場、作品にまつわる秘話や影響を受けた音楽を、こだわりの選曲を交えて紹介するNHK-FM『サウンドクリエーターズ・ファイル』。
9月2日(日)  21:00 - 23:00
9月16日(日) 21:00 - 23:00
9月23日(日) 21:00 - 23:00


第1回の2012/9/2のオンエアでは、達郎さんが音楽を始めたころの話などプロに至るまでのお話が興味深かったですね。番組後半ではクリス松村さんがゲストでしたが、二人で音楽を語り合うのが印象的でしたね。クリスさんの音楽に対する考え方、基本姿勢が素晴らしい。

シュガーベイブのマネージャーをされていた長門さんが長崎市出身という事は知っていましたが、達郎さん曰く
「その時代にロック喫茶で働いてる人間ってのが、長崎の出身の人達がたくさんいたんだけど。
その人達がまた、いわゆるオタクで。」

長崎に住む私にとって長崎と達郎さんの間に接点があることに感心があります。


このブログでは前半部分の一部をテキスト化しています。
誤字脱字は、ご容赦くださいませ。

◎ 冒頭

達郎氏:

こんばんは、山下達郎です。
サウンドクリエーターズファイル。

この番組は様々な世代のサウンドクリエーターが月替わりで登場するプログラムです。
作品にまつわる秘話、そして影響を受けた音楽、こだわりの選曲を交えながら紹介するプログラムであります。

さて、9月は3回にわたりまして、私、山下達郎が担当させて頂きます。
皆さん、何卒宜しくお願い致します。

今日、9月2日、ちょっと飛んで9月16日、9月23日
3週間お付き合いください。

今日はこの方にパートナーとしてお付き合い頂きたいと思います。

平田毅:

はい、NHKアナウンサーの平田毅です。
宜しくお願いします。

達郎さんとは去年9月に『今日は一日山下達郎三昧』という10時間にわたる番組でご一緒させていただいて。

達郎氏:

丁度一年ですね。

平田毅:

私、あれで達郎さんと番組できるのは最後だと思ってたんですけども。

達郎氏:

ははは(笑)

平田毅:

思いがけず、一緒にあせて頂いて、ほんとに幸せです。
ありがとうございます。

達郎氏:

いや、こちらこそ(笑)

NHKは、ほんとに30年くらい前からレギュラーも持たせて頂きまして・・・
たびたび伺わせて頂いておりますが。
去年の『三昧』ってのは10時間プログラムで、重厚長大のプログラムでしたので、誰か、やっぱりNHKの方に協力して頂こうと。

パッと考えたんですけど、実はNHKのプロデューサーの方とかディレクターの方はたくさんいますけど、アナウンサーの方の知り合いって、一人しかいない!

この平田さんってのは、今から去ること30年前にですね、青森の・・・

平田毅:

そうですね、私の初任地でした。

達郎氏:

へへへ(笑)
最初の赴任地、そこのリクエストアワーという、ローカル局の6時から・・

平田毅:

50分ですね。

達郎氏:

その番組が全部NHKのローカルで全部あるんですが。
そこのリクエストアワーでお皿を回しながら喋ってたのが平田さんで。
私と同年代の方なので、以来、30年・・・
いろんなとこで付き合いが続いておりますが。

仕事したことは殆ど無い!
ですよね?

平田毅:

そうです。
ポツン、ポツンです。

達郎氏:

それで去年の「三昧」の時に急に思いついて"平田君、ちょっとやってくんないか"
たらですね、平田さんはですね、すごく偉い人になってしまって!

平田毅:

もう今はアナウンス室っていうとこのマネジメント業務やってますけどね。
こうやって現場で、また喋れまして、達郎さんのお陰です!

達郎氏:

副室長ですよ!
副室長!

ナンバー2ですよ!

そんなに偉くなってるとは、つゆ知らずですね、軽い気持ちでいってしましました。
でも去年はほんとに10時間、長丁場、ほんとにお世話になりました。

平田毅:

いや、ほんとにありがとうございました。 

今回のプログラムは、サウンドクリエーターズファイルということで、達郎さんソロデビューから35周年。
で、今回この活動期間をですね、3つに分けまして、35年+シュガーベイブ時代の2年を加えて37年を3つに分けて、当時のエピソード、それから曲をかけながら曲作りについて伺っていく。

こういうプログラムですね。

達郎氏:

丁度、ベストアルバムがですね、発表されるのが3枚組なんですよ。
正にそれが今回のサウンドクリエーターズファイルの3つに分けるのと同じ感じで3枚組になって編集されておりますので、丁度いいなと。

今日はDisk-1の紹介というのと、同じスケールですね。

平田毅:

今日はですから、1975年から1982年まで。
アルバムでいいますと「SONGS」から「FOR YOU」まで。

ということですね。

ただ、これベストの曲選び、今日も曲選んで頂いたんですけども。
37年の曲から、どうやって曲を選ぶのか。
聞きたい人もいますよね、皆さん。

どういう基準でこれ選ぶんでしょうか。

達郎氏:

結局、あのぉ・・・・
37年のベストアルバムってないんですよね。
あってもボックスセットで。

平田毅:

ちょっと無謀な感じがしますよね!

達郎氏:

でも、それを3枚組のCDで編集しようって土台無理なんです!
まりやのエクスプレッションズってのがありまして、竹内まりやの。数年前の。

彼女より僕の方が作品数が全然多いので。
270曲くらいになるので。
それを3枚組でやろうというと、それはほんとに、暴挙といいましょうか。

ですので基本的にはシングルコレクションなんですけど。
ヒットソング含めてシングルコレクションなんですけど、シングル並べただけではオーバーフローするので。
結局は自分の趣味です!

平田毅:

はい。
じゃ達郎さん、まず1曲目ご紹介いただきましょう。

達郎氏:

今日はシュガーベイブからFOR YOUまでなので、シングルオンリーなんですが、これは『GREATEST HITS』というのに入ってたんですが、今は『FOR YOU』の再発CDのボーナストラックに入っております。

1982年のシングル
『あまく危険な香り』

♪ あまく危険な香り


◎ 達郎さんが音楽を始めたころの話

平田毅:

私、達郎さんとは1981年3月にNHK青森放送局に達郎さんがキャンペーンにお越しになった時に初めて会って・・・

達郎氏:

そうですね(笑)

平田毅:

・・・お話を伺ったんですけどね。

その頃、それからその前のシュガーベイブまで遡って、達郎さんが音楽を始めたころの話を伺っていきたいんですけども。

シュガーベイブでプロデビューすることになりましたよね。
その前はどんな音楽聴いてらっしゃって影響受けてたんですか?

達郎氏:

洋楽のオタクですね。

一番好きだったのはビーチボーイズとラスカルズってニューヨークの。
だからウェストコーストとイーストコーストの代表的なグループをマニアックに聴いてたんですけど。

ブラスバンドをやってたので、楽器演奏するってことも結構やってたので。
アマチュアバンドやってましたけど。

平田毅:

鼓笛隊でブラスバンド・・・

達郎氏:

そうですね。

小学校6年の時に鼓笛隊に無理やり先生から入れられたのが、パーカッションとの出会いなんですけど。
中学へ上がってブラスバンドでパーカッションやるようになって。
その時に知り合った僕の友達が、僕のポップスの先生で。

彼らが・・・今医者ですけど(笑)
僕にビーチボーイズ教えてくれて。

彼と一緒にアマチュアバンド組んだんだけど。
普通の人は、ジミヘン、クリーム、バディ・ガイそういう時代だったんですけど。

僕らは"そんなのつまらない!"と。
若者のいきがりというか、"コーラスをやろう"と
ビーチボーイズ、無茶苦茶難しかったですよ。

だからビーチボーイズ、トレメローズ、当時全然日本では有名じゃないですけどハプニングスとかアソシエーションとか、そういうようなものをコーラス主体の、そういうのやってました。

平田毅:

その頃、お宅は、池袋・・・・?

達郎氏:

いえ、もう練馬です。

平田毅:

じゃ、その近くにいたお子さんたちと、そういう風に聴いてらした。

達郎氏:

僕は池袋の生まれなんですね。
で、練馬に引っ越したんですが、いわゆる進学校の中学というがありまして目白に。
そこは、遠くは川崎から通ってくるような。
公立の学校がまだ、すごく進学率がよかった時代で、代表的な城北地区の進学中学があったんですけど。

そこに、越境してね。
練馬から目白に通ってたんですよ。

僕のポップスの先生は護国寺に住んでて・・・あとは成増に住んでる子とか・・
いろんなのが一緒に・・
そういう仲間でバンドやってましたね。

平田毅:

広い範囲から、いろんな人が集まって・・

達郎氏:

そうですね。
高校に入るともっと広くなりますから。
進学校なので、みんな越境して来ますから。
横浜とか平気でいましたから。
そういう広いエリアの友達でしたから。

平田毅:

時代的には、なかなかミュージシャンに理解があった訳ではないでしょう。

達郎氏:

全然。
自分がプロのミュージシャンになるなんて事も全然思ってませんでしたから。

平田毅:

家の方でも、なんか音楽やって・・・みたいな、なかったんですか?

達郎氏:

高校入る位までは、好きでやってればいいっていう。
で、そこの志望校っていうか、いわゆる進学校に入れたらドラム買ってやると。
言われたんですよ、中学3年の時に。

一生懸命、あれして入りましたからドラム買ってもらって。

したらもうダメですね。
入り込んじゃって(笑)

もう、それこそ中学の時は学生服のポケットにいつも、後ろのポケットにスティック挟んでて。
なっかっつうと机叩いて、先生にどやされたっていうかね。
そういうアレでしたけど。

◎ 自主製作盤

平田毅:

ここから先はたぶん達郎さんのファンの方、番組聴いてらっしゃる方はご存知のように皆で集まっていって・・・

達郎氏:

そうですね、高校がいろいろとちょっと学園紛争とかに巻き込まれてドロップアウトして。
大学へ入る前・・浪人するんですが、その時には大学へ入って何をやるっていうか、ビジョンが・・・
その屈折感っていうか鬱屈感ってのがあって。
僕の友達、みんなそうで。

大学は入って医者になったやつもいるんだけど、多くは大学入ってドロップアウトするんですけど。
その時に・・アマチュアバンド、それまでやってたんで、なんか形にして残そうと。

一応大学入ったんだから、みんな真面目に勉強してる、どっか就職しなきゃなんないので。
バンド、そんなに長くやれないから、それで記念になにか残そうって言って作ったのが自主制作盤で。

1972年のことですけど。

その自主製作盤ってのを・・・
昔は、その時代は自主製作盤を作ること自体、結構たいへんな作業だったんですね。

レコード会社ってのは、どこでも特販課ってのがあってね。
小唄のお師匠さんが生徒に配るレコード作ってるんですけど、そこにコネがある友達がいて。
友達の兄貴ですけど。

そこに行って、100枚プレスして15万だったんですね。
それを皆でバイトして、分け合って100枚作ったんですね。
それがきっかけですけど。

それ作った時も、プロになろうとか、そういう明確な目的意識が無かった。

◎ シュガーベイブと長崎 

平田毅:

そこからシュガーベイブ、プロデビューには、どう繋がっていくんですか?

達郎氏:

もともとは、四谷に喫茶店がありまして。
ロック喫茶ですけど、今はジャズ喫茶になってますけど。

四谷の有名なジャズ喫茶が移転するんですよ。
移転する一年間の時に、本店と、移すとこと二つあった時に、遊ばしとくともったいないので。
本店閉める前に一年間、そっちの・・・本来移るところをロック喫茶として・・・

その時代にロック喫茶で働いてる人間ってのが、長崎の出身の人達がたくさんいたんだけど。
その人達がまた、いわゆるオタクで。

当時の要するにトレンドとは全く違う、ビーチボーイズとかかかってたんですよね。

そこで知り合って・・
僕は、そこへ行った訳じゃないけど、僕の友達が、そこで自主制作盤を聴かせたんですよ。

それで、一枚欲しいって言って、来た人が、後のシュガー・ベイブのマネージャーになるんですけど。

そういう人達とコミュニケ―ションとっていて実は毎週一回、そこで夜中にセッションやってるから来ないかと。
そこに居たのがね、山本コータローさんとか、今ギタリストで有名ですけど徳武君とか、いろんな人がそこに出入りしてて。

その中に大貫妙子さんが居たんですね。

大貫妙子さんはフォークグループ作ったあと解散したあと、彼女を売り出そうという形で彼女に曲を皆でデモテープ作ってた。

そこに僕が割り込んで言って、大貫さんに声かけてバンドやろうかと。
前の昔一緒にアマチュアバンドしてた友達と合体して、それでシュガーベイブが出来るんですね。


平田毅:

なるほどね、それでシュガー・ベイブのプロデビューと。

達郎氏:

そうです。

平田毅:

さて、また曲を聴いて頂きましょう。
今度は・・・

達郎氏:

そのシュガー・ベイブ時代の曲なんですが、シュガー・ベイブ最初期に書いた曲なんですが。
結局シュガー・ベイブとしてはレコードして出なくて、あとに1976年に、シュガー・ベイブ解散したあとに「ナイアガラ・トライアングル」って大瀧詠一さんと伊藤銀次さんと3人で作ったアルバムの中に入ってます。

だから、これはクレジットは山下達郎ですけど、もともとはシュガー・ベイブ時代に書いた曲です。

♪ パレード

◎ CIRCUS TOWN (1976) 

平田毅:

シュガー・ベイブ時代を経て達郎さんソロ活動を始めて「サーカスタウン」っていうねソロのアルバム作ります。
「サーカスタウン」は、今達郎さん事務所の社長やってらっしゃる小杉理宇造さんがディレクターでしたよね。

達郎氏:

僕の36年来のビジネスパートナーですがね。

平田毅:

小杉さんが、このニューヨークとロスの海外レコーディングを敢行する訳ですけども、最初はどうやって出会われたんですか。

達郎氏:

最初はレコード会社に・・・人にくっついていったら、たまたま彼がいて。
紹介されたんですけど。

それが76年1月なんですよね。
76年4月にシュガーベイブ解散するんですが、その解散ライブの荻窪ロフトというライブハウスで解散ライブやるんですが、その時に小杉さんとこにある人が売り込んできて。
それは大貫さんを売り込みにきたんです。

シュガー・ベイブの解散ライブでね。

ところが彼は男性ボーカルに興味がある人なので、男のボーカルがいいって。
それで僕、彼のところと契約するんですけど。

平田毅:

偶然ですか・・・

達郎氏:

偶然ですね。
ほとんど偶然です。

人生、偶然多いですよ!

あの時、タラレバですよね。
あの時、あの人と逢ってなかったらとか。

だから僕、よく、そういう若い人には"人間は人生に3回チャンスがあるから"(笑)
そのチャンスが活かせたり、活かせなかったりね、そういう事があるわけでしょ。

例えば凄く自分にとっての重要な仕事、例えば編曲の仕事とか作曲の仕事とか、チャンスがある時に。それが例えば書けなかったとかね、そういう事もありますし。

オリンピックなんかでもそうじゃないですか。
あの晴れ舞台で世界新記録出すような人もいるし、プレッシャーに負ける人もいる。

そういうものって、その人の意思だけじゃ、どうにもなんない事がありますよね。

平田毅:

ただ、そのたまたま出会った男性ボーカルにニューヨークとロスの海外レコーディングをしようと・・

達郎氏:

ふふふ(笑)

平田毅:

賭けようと思った・・小杉さんは何て語ってらっしゃいますか?

達郎氏:

あんまり深いこと考えてなかったのね。
ただ小杉さんはニューヨークに留学2年してたので。
その前には音楽出版社にアレして、アラン・オデイとの付き合いは南沙織さんとのレコーディングでねロサンゼルスの時に南沙織のレコーディングで彼がコーディネーターで行ってたんですよね。

その時にアランが、例えばコーラスのアレをやってくれるとか・・・

平田毅:

アラン・オデイとは、もうサーカスタウンの時には会ってらっしゃるんですか。

達郎氏:

もう既に知ってます。
ちょうどアラン・オデイが「アンダーカバー・エンジェル(Undercover Angel)」を出すのが76年なんですね全米No.1の。

だから完全にアラン・オデイが僕の作詞の英語の詩のパートナーは、小杉さんの関係なんです。

平田毅:

この海外レコ―ディングは、いろんな面で達郎さんにとって大きな出来事ですよね。

達郎氏:

そうですね。
海外レコ―ディングやりたいって、こっちが言ったのも、もうそれは夢想っていうか、妄想ですよね。

平田毅:

ご自身で仰ったんですか?

達郎氏:

そうです。
でも、どこも取りあってくんなかったんですね。
小杉さん一人が、直接チャーリー・カレロに、直接直談判に行って、そいで決めてきたんですよ。

でもそれは2年間の留学生活とか、具体的にロサンゼルスでも、ちゃんと仕事してた、それが背景が無ければ出来ませんよね。

音楽出版社で働いてたので、ノウハウ持ってたってこと。
あと、予算管理までのノウハウをちゃんと持ってたので。

ほんとは全部ニューヨークで録音したかったんですけど、とても予算が間に合わないので、ロサンゼルスに自分の知り合いがいるから・・それで・・・
予算の配分はね、A面、B面で7:3くらいですね。

平田毅:

A面、B面で、ニューヨークとロスでテイストがちょっと違った感じで面白くなりましたよね。

達郎氏:

そうですね。
企画的には成功でしたよね。ええ。

ロスは凄くフレンドリーで、何でも言えばやってくれましたし。
あと、コーラスがジェリー・イエスター(Jerry Yester )とかね・・もと・・ケニー・アルトマン(Kenny Altman)って僕の当時すごい好きだったベーシストが偶然やってきてくれたりしたので。

それはラッキーでしたよね(笑)

平田毅:

じゃ、その「サーカスタウン」から一曲。

達郎氏:

これは、もともとシュガー・ベイブのレパートリーなんですけどシュガー・ベイブでレコーディングされなくて、これをニューヨークへ持っていったら、すごいトラック入りになったんですが。

いまだに・・・・これを聴くとあの時のニューヨークの夏の空気を想いだします。

♪ WINDY LADY

◎ SPACY (1977) 

平田毅:

続いて二作目のアルバム、SPACYになるわけですね。
このSPACY は二作目でニューヨークやロスの経験が活きた・・・

達郎氏:

はい。

平田毅:

自分でスタジオミュージシャンをアレンジして・・

達郎氏:

そうですね。
僕、ドラム以外は全部独学なので、スコア・リーディングとかそういうものが、ちゃんとした勉強してなかったんですけど。

ニューヨークで5曲レコーディングしたんですけど、そのスコアをねチャーリー・カレロがくれたんですよね、僕に全部。

これがね、とにかくそういう教則本とか全く違って実践的なスコアでしょ。
全然違うんですよ、だから(笑)
それまで見てるものと。

これはやっぱり使わない手はないと思って。
それで徹底的に研究してね、それでミュージシャン集めて、スコア書いて作ったのがSPACYなんですけどね。

平田毅:

ご自身とすると、ソロアルバム出して、しかもそれがニューヨークやロス行って。
今度は戻ってきて自分で作る2作目ですから、よりこう自由に・・・

達郎氏:

そうですね。
でもやっぱりニューヨーク行って一番勉強になったは、そうしたシンガーとしたものじゃなくて、アレンジャー、アレンジメントとか、演奏の方式とか、そういうものですね。

もっと凄く具体的でスタジオの中の具体的な作業・・・
が一番やっぱりインパクトが強かったですよね。

そういうものに基づいたアルバムなので、割とこうスタジオチックなアレですけど。

でもメンバーの選定とかは非常に妄想的で、村上ポンタさんと、細野晴臣さんと、松木恒秀さんと、佐藤博さんと。
この4リズムでレコーディングって、右にも左にもこのSPACYしかないんですよ。

あとは、その4人が集まってやってる演奏って一度も無いですね。

平田毅:

自分とすると、2作目で自分の好きなメンバーで音楽を、というふうに・・・
当時の細野さんですものね。

達郎氏:

そうですね。

だけどほんとに、それはそれでね日本人の、その時の僕の一番のベストメンバーってのを集めるから、そこの緊張感っていうかね、それはね、なかなか得難いものがあって。

平田毅:

そこと対決するための曲も書かなくちゃいけませんよね。

達郎氏:

ただ要するに、そんなに予算が無いので。
やっぱりパターンミュージックっていうか、早く上がる曲じゃないとダメなんですよ。

複雑な構成ができないから。

そうすと、こう、その当時の16ビート・ミュージックっていうかな、ダンス・ミュージックっていうか、いわゆるパターンミュージックっていう延々と続くやつが多いから。

そういうような形式で・・
それも偶然ですよね。

もっとだからプログレみたいな、複雑な構成でやる時間があったら、それでもやってるかもしれないし。

シュガー・ベイブなんかもう、いじりまくって、リズムチェンジとかいじりまくってアレしたんですけど(笑)

そういうのも一転してSPACYの、例えばLOVE SPACEとかSOLID SLIDERみたいに、もうほんとにパターンで。
すぐ上がるヤツ。

平田毅:

でも意外と尖った曲が多いなという印象

達郎氏:

まぁ、そうですよ、だって二十・・・まだ四ですよ!
そりゃもう、それ恨んでますからね(笑)

平田毅:

今、ご自身のライブでSOLID SLIDERとかなさっても古くなく、今の年齢にピタッとハマった演奏になってますけど。

達郎氏:

ま、あの、パターンミュージックですからね。
ジャズと同じですよね。だからね。

メロディーラインとか、そういうものじゃなくて、一つのトーンなので。
いってみれば、それはアメリカ音楽の伝統なので。
基本的に、本質的な色彩感は古くなんないですよ。

平田毅:

じゃあお聴き頂きましょうか。

達郎氏:

SPACYの一曲目ですがLOVE SPACE。

♪ LOVE SPACE

平田毅:

やっぱ、かっこいいですよね。

達郎氏:

そうですか(笑)

平田毅:

凄くよく歌が聴こえてというね。
演奏もいいんですけども、演奏と歌の感じが良く出来てるんじゃないかなと。

達郎氏:

歌、よく聴いてくれますよね。このレベルのミュージシャンですからやっぱり。
このクラスのね。

◎ GO AHEAD! (1978) 

平田毅:

さて続きまして今度は78年GO AHEAD!ですけども。
このアルバム実はすごく好きだって方もいるんですよね。

達郎氏:

そうですか。
へへへ(笑)

平田毅:

思いが深く・・好きだって方・・

達郎氏:

作家主義っていうか、ごった煮のアルバムですからね。
バリエーションがものすごく広いので。
BOMBERとTHIS COULD BE THE NIGHTが同じアルバムに入れるやつはいませんからね。

平田毅:

何と言ってもLET'S DANCE BABYも入ったりMONDAY BLUEもあったり。
潮騒があったりPAPER DOLLがあったりという。

達郎氏:

これは、それで16トラックなんですよね。
だから、MOONGLOW から24トラックになるので。

16トラックって凄いいい音するんですよ。
それがデジタルの時代になっても、きちっとやっぱり、キックというかバスドラムのアレとかね、ギターの芯とかがね、きちっと出るのね。

それはやっぱりアナログレコーディングのね、しかも16トラックの音なんですよね。

平田毅:

SPACYは意外と売る上げ的には厳しかったという・・

達郎氏:

凄く厳しかったです。
凄い内省的ですもん(笑)

だけどもう、あの頃は日本のフォークとかロックとかニューミュージックとか言ったって、そんなシングルを売ろうとか、そんな可能性すら無かった。

演奏の場ですら確保できないし。
テレビは、なんか・・・
僕テレビ出たかったんですけど、出られなかったんです!

出してもらえなかった(笑)

そういう時代でしたから。

平田毅:

この頃ってユーミンがデビューしたり、吉田美奈子さんがアルバム作ったりと、そんな時代ですよね。

達郎氏:

でも、それとて、いわゆる日本の既成の歌謡曲のラインではないので。
例えばプロダクションとかね、そういうようなものがないと。テレビブッキングとかね。
今と同じですよね。

78年になると、それがいよいよ、ツイスト、サザン、原田真二、竹内まりや・・・
そういう、比較的にロックとかフォークとかいうものをメジャーのマーケットにのっけて、要するに流通にのっけていくぞって、そういう流れが基本的に出来てきたのでね。

そうなるともう、こっちはダメだなっていう。

平田毅:

あっち側で、これやっちゃズルイよみたいな感じ

達郎氏:

まぁ、そうですね。
それでもうテレビメディアを使って始まるわけですから、どうしようもないですよね。
それでレコード大賞新人賞とか、そういう世界でしょ。

もうそれは、全然相手にならないから。
ま、そろそろ僕らの時代もね、あれかなと。

ソロで、こうしたアルバム出すような時代は出来なくなるんじゃないかと思ったから。

これから先は、そうした裏方でやっていこうかなって思ったので。
じゃ最後なんだったら、やれること全部叩きこんで止めようって(笑)。


平田毅:

そして、この転機になったアルバムでもありますよね。
BOMBER、大阪からヒット。

達郎氏:

それが何故か大阪のディスコでBOMBERって曲がヒットしてるらしいっていうね。
そういうのがあって、79年に・・・78年の暮れに出したアルバムですけど、79年になってそれを確認しに大阪へ行くと、ほんとにそうなんですよ(笑)

BOMBERで踊ってるんですよ(笑)

平田毅:

ディスコ行ったんですか?

達郎氏:

行きました。
プロモーションずいぶんやりましたから。

なんだこれ!と思ってね。

それで1979年の4月かなんかに大阪でライブやるんですけど、それがもう、凄かったんですよ。
お客の熱気っていうか。

それまで見たことが無い(笑)
それまでのお客さんって洋楽から、ちょっとこう邦楽にシフトして、邦楽聴こうと。
日本のフォーク、ロックみたいなね。

ちょっとオタッキーっていうか、あと評論家チックな人、マニアチックな人、そういう人が多かったけど、もう大阪のディスコに、アメリカ村とかそういう所で、いわゆる丘サーファーとかね、そういう人達だから、快感なんですよね、完全に。プレジャーなわけ(笑)

平田毅:

そこで、ディスコでボンバーをかけた人は偉い人ですね!

達郎氏:

凄いですね。

平田毅:

僕ら達郎ファンからすると、ほんとにこの人がいたお陰でと、言いたいくらいですね(笑)

達郎氏:

この時代はほんとに、洋楽のテイストで評価されるべき邦楽ってのを、みんな探してた時代なんですよね。
ディスコってのは洋楽ばっかりじゃないですか。
そこでかけられる邦楽がないのか、とか。

そういう事を・・マーケットが広がってたから。
そういう事なんでしょうね。

平田毅:

そこに丁度出てきた。

達郎氏:

丁度はまったんでしようね(笑)。
ボンバーで踊れるってのがね(笑)
僕なんかに言わせると、ストレインジで躍らせる曲でも何でもないから。

なんだけど、サウンドとか、そういうものの近似値を求めてたというか、そんな時代だったんでしょうね。
きっとね。

平田毅:

じゃあ聴いて頂きましょうか。

♪ BOMBER

◎ クラッカー/LET'S DANCE BABY 

平田毅:

このGO AHEAD! から次のアルバムに行く前に一つだけ、どうしても聞いておきたいのは、LET'S DANCE BABYはライブでも皆さん、クラッカー、パンと鳴らしますよね。

あのライブでクラッカーを鳴らすとは、一体いつから始まったんですか?

達郎氏:

1981年か2年の六本木のピット・インで。

平田毅:

かなり早いですね。

達郎氏:

早いです。
それで、ある日二人のお客さんが、いきなりクラッカーで、それを鳴らしたんですよ。
そこから、全国に波及したんです。
2、3年で、瞬く間に。

平田毅:

私も見た頃には、クラッカー鳴ってましたね(笑)

達郎氏:

あれよ、あれよと言う間ですね。
ノリが良かった(笑)

あれはだから、もともと2番の頭の間奏後で"心臓に指鉄砲"なんで、"心臓に パンッ 指鉄砲"ってやったんですよ。

あれはピストルですね、おもちゃのピストル。
火薬の。

平田毅:

レコーディングされてる中は、火薬でパンと鳴るもので、クラッカーではない。

達郎氏:

クラッカーではないです。
あれは、レコード会社の階段でパンと鳴らして、マイクで録ったんですよ(笑)

平田毅:

それを挟み込んだんですね。
面白いですね。

達郎氏:

そうです。

ちょっとしたアイデアだったんですけど、SEがとにかく好きだったのでね。
GO AHEAD! ってSEの嵐じゃないですか。
SEオタクなんですよ、僕。

だからそういう事があってね・・・

平田毅:

そういう達郎さんの遊び心にファンの人が応えてくれてライブでやってくれて

達郎氏:

ま、いろんな方々がいらっしゃって、みんなそういうネタって持ってるじゃないですか。
予定調和ですね、要するに。

平田毅:

この前のライブでも"ガラパゴスだけどはずせなくなった"って仰ってましたね。

達郎氏:

ははは(笑)

あれが無ければ、クラッカーが無ければ続いてないですよね。
そんな派手な曲でもないし。

平田毅:

LET'S DANCE BABYのお話をすると、吉岡治さん、いい詩ですよね。

達郎氏:

いやぁ、すばらしいですよね。
これ、詩先なんですよ。

平田毅:

キングトーンズにお書きになったという、もともとはね。

達郎氏:

そうです。

◎ MOONGLOW(1979),RIDE ON TIME(1980)  

平田毅:

MOONGLOWは79年、RIDE ON TIMEは80年
70年代、80年代は、とても達郎さんにとって音楽状況良くなってきて幸せな時代だったと仰ってましたけど。

達郎氏:

すべてはボンバーから変わりましたね(笑)。

平田毅:

ただ達郎さんだけではなくて、歌謡曲、それから少し歌謡曲のポップなものが、ほんとに日本のポップスがみんな流れとして出来てきた時代じゃないですか。

達郎氏:

ほんとに、サザン、ツイスト、竹内まりや、ああいうの無しには僕自身のブレークもないですからね。
マーケットが一挙に広がったっていうか、それが・・・要するにそれまでの歌謡曲とは違うニーズっていうか。

あとはいつも言ってるのがウォークマンとか、カーステレオとかハードウェアがまた発展とか、いろんなファクターが合わさって。
それでオイルショックがちょっと良くなったとか、そういうのもありますよね。

平田毅:

今の音楽状況にずっと繋がっている、だいたいここ30年くらいで転換点ですよね。

達郎氏:

明確な日本の音楽マーケットという意味では、そうですね。

平田毅:

あと時代状況で言いますと、私がオンエアしたのが81年。
青森に達郎さんがキャンペーンでお越しになった訳ですけど。

ニューミュージック、ポップス系の人はキャンペーンって、あまりなさらなかったんじゃないですか?
そういう意味じゃ、時代状況もあれですけど、達郎さんご自身のね、そういう形で新しいビジネスモデルって
いったらあれだけど・・・

達郎氏:

ぼくの場合は中央のメディアが全く相手にしてくれなかったので。
なので地方へ出てったんですよね。

で、FMはMHKは特にリクエストアワーって6時台ってのがあって、そこは割と書くローカルの平田さんみたいなくらいの年代の、僕と同年代の人が自由裁量でレコードかけられたから、そういうとこへ入っていって。

平田毅:

あの時、達郎さん仰って印象に残ってるのは、やっぱり自分の音楽をちゃんと録音できたり、作れたりする環境をつくりたいと。
スタジオミュージシャンの人と良い関係を作るには、やっぱりレコードが売れなきゃダメなんだと。
そのためには、ちゃんとこういう事をしなきゃダメなんだと、仰っててね。

私、NHKに入った新入、社会人になって一年、二年とこだったので"あぁそうか、そういう事って社会人の人考えるんだ"って思った記憶があってね(笑)

妙にこう・・・

ただ、僕は22、達郎さんはあの時たぶん26,7ですけど。
その頃でも、そういう風に考えてミュージックをやってたっていうのは、あんまりないんじゃないかなって。

達郎氏:

だから僕は最終的には、そういうこう何て言うのかな、裏方になるための勉強だと思ってやってましたからね。
だからレコード売るっていうのが、どういうファクターがあるのか。
流通っていうのは、どういうアレがあるのか。
自分の体使えば一番早いから(笑)

自分がそれを体感で、経験する事は無駄じゃないと思ってね。
結局そういう作業が、自分のブレークに役だったんですけどね。

それもラッキーだったですけど。

平田毅:

ある日裏方になってしまうかもしれないなっていう事もあった・・・

達郎氏:

だから、どっちにしろ、そんなに長くはやれないなっていう自意識はあったんですよね。

平田毅:

実際問題、ああやってキャンペーンなさっていて、なんとなくそういうのは、演歌の人は随分やってましたけど、カッコ悪いなとか言われる中で、そういうのなさって。

でも拘るべきは音の質とか、音楽の質の方に拘ってると。
僕はカッコイイ方だな思って。

よくほら、今よく若い人も好きな事したいって仰いますよね。
でも好きな事するためには、何かこう自分で戦略立ててやらないと。
もしくは何かをこう、失うものがあっても獲得するものをつかもうという・・

達郎氏:

まぁ、通俗的が言葉ですけど"心は売っても魂は売らない"ってやつですよね。
心を売るとはどういう事、魂を売るとはどういう事かは確認しなきゃわかんない訳ですよね(笑)!

平田毅:

人それぞれですけどね・・・

達郎氏:

やっぱりレコード会社のスタッフにね、レコード会社のスタッフっていうか、そういう出版会社のスタッフに例えばもうワンテイク録りたいと。
もうワンテイク録るには、あなたの売上じゃダメなんだと。
ワンテイク録るんだったら、もっと売れと。

それは理屈だなぁと思ってね。

平田毅:

そういう風に言われるわけですか・・・

達郎氏:

そうです。

諸先輩方の、そういう事が言ってくれる事があって。
でも悪い事ばっかりじゃなくて、こうやってヒットが出て次に新作作りたいとかね。
例えばオン・ザ・ストリート・コーナーみたいにひとりアカペラみたいな道楽みたいなもんでしょ。

どんどん突っ走るわけですよ、前にね。

オン・ザ・ストリート・コーナーできてるのにその曲はやらないで、もう違う新しい曲をステージにかけてくると、僕の仲のいい音楽評論家の方が・・・もう亡くなりましたけど、『山下君、やっぱりねレコードに入ってる曲を客は聴きたいと思うよ』ってね。

そこをこう、ストップかけてくれる人がいる訳ですよ。
そういう諸先輩方がたくさんいて。
だから、そういう歌謡マターとか全然悪いことばかりじゃなくて、若い暴走するね(笑)精神をストップさせてくれたり。

現実っていうものを、きちっと見せてくれたりと、そういうこう循環っていうのがね、いわゆる芸能界のスタ―システムだとなかなか本人まで伝わらないじゃないですか。

長いことライブやってても、結局、そういうギターテクニシャンとか大道具の人達とか直接僕話、初めからできたので。

下手すると、アイドルシンガーみたいだと絶対に直接話させてくれないんですよ。
証明のスタッフでも何でもね。
僕らはだから直接ディスカッションできたから、それがライブにとって物凄くプラスになって。
直ですぐに変えられるから。

平田毅:

でも、ちょっとしたディテールに拘りたい時にも何とかなりますもんね。

達郎氏:

なりますよ。

だから、右歩くとか左歩くとか、即変えられるし、そういうのがね、やっぱり今だから、それすっごい重要と思ってるけど。
初めは、こんなもんだと思ってたんですよ。

でも実はそれは非常にレアなことだという事が判ってから、それはだから本当にスタッフに感謝してますけどね。


平田毅:

はい。

今度はアラン・オデイさんの曲をご紹介頂きたいと思います。

達郎氏:

アラン・オデイはさきほど申し上げたように、僕の詩の、英語詩書く時のパートナーなんですが。
一番最初に作った、最初期に作った一曲で、具体的に僕が彼の詩を歌って、ちゃんとレコードにした最初の作品なんですけど。

YOUR EYESというFOR YOUの一番最後に入ってる曲で。

ま、彼はとっても日本人的なメンタリティがある人なんですよ。
奥さんも日本人なんで。
そういうこう、ロマンチストっていうか、もう喜寿なんですけどね。

彼の詩はほんとに、そういう意味ではラブソングにしてもロマンチシズムにあふれたアレなので。
すごく歌っていて・・・

僕が歌った詩は難しい言葉、あんまり使わなくて。

非常に判りやすいね、自分が歌っても理解ができる詩の世界なので。
英語でもちゃんとこう、感情表現や移入ができるとかね。
そういう意味ではあらゆる意味でアランってのは、なかなか得難い、これもほんとににねラッキーだったですけど。

100%英語詩はアランでできてますから、30年間。
ほんとに有り難いですね。


平田毅:

じゃあ82年、FOR YOUからアラン・オデイさんの作詞でYOUR EYES

♪ YOUR EYES


~ 前半終わり ~








テーマ : FMラジオ - ジャンル : テレビ・ラジオ


copyright © 2017 未来の自分が振り返る all rights reserved.Powered by FC2ブログ