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DATE: CATEGORY:クリスマス・イブ
山下達郎氏 クリスマス・イブ

BS朝日で2010年12月7日(火)にオンエアされた「うたの旅人」は、山下達郎さんのクリスマス・イブが主題でした。

昭和58年6月8日。
アルバム「メロディーズ」の中に収められた1曲の歌。
昭和63年、JR東海のCMで大ブレイク。

当時、CM製作に携わった電通の和田氏、CMディレクターの早川氏の個別インタビューやコラムニストの泉麻人さんのこの曲に寄せる想いを織り込みながら、一枚のアルバムに収録された楽曲がクリスマスのスタンダードになる過程について迫る番組です。

「クリスマス・イブ」のイントロが流れると、グッときますよね。

ナレーションは渡辺美里さん。
ちょっと、内容をご紹介しましょう。

引用は、「初回放送:2010年12月7日(火) クリスマス・イブ」からです。


ナレーション:渡辺美里

多くの人が現在のクリスマスソングの定番として認める山下達郎さんの「クリスマス・イブ」。
でも、この曲が初めて生まれたのは昭和58年。
27年前だった事を御存じですか?

最初はアルバムの中の一曲にすぎなかった歌が、劇的な変化を経て大ヒット曲に。
一体、この歌にどのような変化が訪れたのでしょうか。

覚えていますか。
22年前、一本のCMが爆発的ヒット。
クリスマスのイメージを大きく変えました。

そのCMに使われた曲が、この山下達郎さんの「クリスマス・イブ」だったのです。
かつて、クリスマスソングといえば、「ジングルベル」か「清この夜」。
「ジングルベル」の曲にのって、繁華街を三角帽子をかぶった酔っ払いおじさん達が、大声で”メリー・クリスマス!”と叫びながら歩いていました。

クリスマスは、いつ頃から、どのように変わったのでしょうか。
そして、なぜこの歌が20年以上もクリスマスソングの定番であり続けているのでしょうか。

今夜、山下達郎さんの名曲「クリスマス・イブ」に思いをはせながら、あなたの記憶に眠るあの日に帰ってみませんか?

「きっと君はこない」。
でも、ひょっとしたら・・・・。
不安と期待にときめいたあの頃。
この歌がクリスマスを変えました。

この変化のきっかけとなったのが、「クリスマスイブ」を使ったJR東海の衝撃的なCMでした。

時代の先端を行く、若者たちの流行や風俗を独特の感性で切り取ってきた、コラムニストの泉麻人は

泉麻人氏 :

クリスマスイブって、初めに出たのは83年の”メロディーズ”ってアルバムだから、夏くらいのアルバムですよね。そこに入ってる曲で。

初めのシングルカットが86年ですか。だた、その時代、どんな感じだったかも、あんまり記憶が無いですけども、たしか有線なんかで結構、暮れの季節になると流れるようになって、それで88年の暮れからですか、”クリスマス・エクスプレス”。JR東海の新幹線のCMに使われるようになって、どっと拡がるみたいな。

こういうタイプのヒット曲って、ないですよね。日本のポップス界においても。
全世界的にも、こんなに20年来、暮れの季節になるとチャートが上がるって、あんまり無いとは思うんですけど。

ナレーション:渡辺美里

日本中の若者たちのハートをキャッチしたこのCMは、どのようにして生まれたのでしょうか。
当時プランニングを担当した和田光弘さんは・・・

(電通) 和田光弘氏 :


JR東海さんが、1987年に国鉄から分割民営化した時に、その時にプレゼンテーションしまして。
電通のチームがプレゼンテーションした企画の骨子というのが、”新幹線をエクスプレスと呼びましょう”と。

ということで、いろんな人のいそんなドラマが、そこにあるだろうと。
いろんなオケージョン、シチュエーション、人によって”なんとかエクスプレス”という風に切り取っていきましょうと。

ということで遠く離れた恋人たちをつなぐ新幹線というのを”シンデレラ・エクスプレス”と。
シンデレラというのは、時間が来たら判れなきゃいけないという事で、遠距離恋愛のシンデレラ・エクスプレスというので最初名付けてやっていたのが、立ち上がりのCMでした。

ナレーション:渡辺美里

昭和62年4月。
それまで、赤字と労働争議が続いていた日本国有鉄道、通称国鉄は6つの地域の旅客鉄道会社と一つの貨物専門の会社に分割民営化されました。

その新しく生まれた民間会社の一つとして誕生したのがJR東海です。
そこで、新会社の企業イメージと主力である新幹線をアピールするために作られたのが、エクスプレス・シリーズでした。

このCMが生まれた背景を、先ほどの和田さんにお聞きしました。

(電通) 和田光弘氏 :

意図したのは、これは決して東海道新幹線の集客アップっていうCMでは無かったわけですね。
先ほど申し上げましたように、そもそもは、分割民営化した後のJR東海という会社の企業の顔作りという事がございまして、そこから始まったCMだったのですけれども。

それの二次的効果としては、やっぱりリクルートっていう意図も当然あったわけでして。


ナレーション:渡辺美里

国営鉄道から民営鉄道へ。
バブルの波に乗る若者たち。

JR東海のCMも遠距離恋愛をイメージしたシンデレラ・エクスプレスからクリスマス・エクスプレスへ。
この意識の変化は70年代から始まっていたようです。

泉麻人氏 :

若者風俗みたいな感じでのバブルの始まりっていうと、70年代の後半にポパイなんて雑誌が出てね。
それで、いわゆる夏は海に行ってサーフィンやったりとかフリスビーで遊んだり、冬はスキーへ苗場行って滑るとかね。

ナレーション:渡辺美里

若者たちの意識の変化を敏感にキャッチしてメッセージを発信し続けるCMディレクター達。
大ヒットしたJR東海のCMを作ったのも、そうした時代の空気を読むクリエイターでした。

クリスマス・エクスプレスシリーズのCMを手掛けた早川和良※さん。
※㈱ティー・ワイ・オーCamp KAZ、CMディレクター

早川和良氏 :

バブル景気がちょうど上がって来る時で、いろんなモノが売れてたんです。
クリスマスという商戦に向けて、ギフトを交換しようというキャンペーンをやってまして、ある意味クリスマスっていうところが時代的に、いろんな意味で経済活動が動いてた、そんなような時代だったと思うんですね。


ナレーション:渡辺美里

バブルが続いていた昭和63年。
日本中が活気にあふれ、お金が動きました。
プレゼントの金額もデートで使う費用もバブル以前に比べると数倍に跳ね上がっていたとか。

クリスマスイブの日に高級レストランで恋人と食事をし、その夜はシティホテルで一夜を過ごした若者たち。
そんな中で時代に媚びず、自分の音楽に拘り、テレビに出ないをモットーに音楽活動を続けていた山下達郎さん。

当時は夏の男のイメージが強かったようです。


泉麻人氏 :

初めてのメガ・ヒットみたいなものが、”RIDE ON TIME”っていう、海シチェーションみたいなね。
ジャケットもそうでしたけれども。

で、達郎さんのラジオとか聴いていると、よくあの当時の自分のセールス・コピーが「夏だ、海だ、達郎だ」だったなんて話をよくされてるんですけれどね(笑)。

ナレーション:渡辺美里

夏の男から冬の男へ。
一人の男のイメージを変えてしまうほどのメガ・ヒットとなったCM、クリスマス・エクスプレスのその第一作は当時15歳だった深津絵里さんが起用されました。

なぜ、深津さんになったのでしょうか。
印象的な深津さんの真っ赤な口紅。


(電通) 和田光弘氏 :

プラットホームにたたずむ女の子がいて、新幹線で恋人が待っているんだけども、恋人がそこから降りてこない、と。
で、新幹線が出て行ってしまう、と。
”どうして帰ってこないんだろう”。

そこから先に意外性があるんですけども・・・・。

早川和良氏 :

こういうストーリーで、ちゃんと演技力があって、これからスターダムに、できればのし上がってこれる。
そういう人たち、まだフレッシュで、できればCMはバージンでありたい。
っていうような、そんなような条件を付けると、相当絞れてこれるんですね。

で、深津さんにお会いして、”これでいこう”ってすぐ決めましたね。


(電通) 和田光弘氏 :

クリスマスの時期に流れるクリスマスソングといいますと、例えばスタンダードですとホワイト・クリスマスですとか、それこそサイレント・ナイト、清この夜とかですね、そういうものだったんですね。
企画コンテの段階では、楽曲は決まってなかったんですね。

ナレーション:渡辺美里

プランニング段階では、まだ楽曲は決まっていなかった。
このCMに6年も前に出たクリスマス・イブが何故使われたのでしょうか。 

(電通) 和田光弘氏 :

私も、あのクリスマス・イブの存在は知っていたんですけれども、非常に強く勧めてくれたのが、フィルム・ディレクターである早川和良さんの強いプッシュがありました。

早川和良氏 :

ただ、音楽の指定は、まだ無かったんですね。
ストーリー・ボードには「クリスマス・音楽」って書いてあるだけで、具体的にどれっているのは、まだ無かったですね。

ナレーション:渡辺美里

山下達郎さんのクリスマス・イブが世に出たのは、CMが作られる6年前。
CMソングとしては異例の事でした。

そのクリスマス・イブに惚れ込んだ早川さん。
当時の絵コンテに、その拘りが残っていました。

早川和良氏 :

リスマス・エキスプレスの第一段のコンテですね。
一番ここで重要なのは、ここに書いてあるんですけども(当時の絵コンテを見ながら)
このクリスマス・エクスプレスの音楽を”ゼッタイ山下達郎さんのクリスマスイブにしよう”と。

という強い思いが、”ゼッタイ”のところにアンダーラインが引いてありますけど。
ようするに、こういうCMでいこうよって、プレゼンしました。

キャプションが書いてあるんですが、「ホームにたたずむ女の子。17歳くらい」って書いてあります。
できるだけ若い設定にしようと、僕は考えました。

めいっぱいお洒落をしている、どこか気の強そうで、ちょぴり遊び人風。
一年に一回、彼と会う設定なので、めいっぱいお洒落をしたいなぁと、させようと、真っ赤な口紅を引きたいなと思ってました。

いわゆる清純そのもの風の女の子ではないと。
ちょっと遊び人風であると。
気が強そうだ、とキャラクターの設定をしています。
電車が行ったあと、彼が来なかったと、いうような情景です。

で、ちょっと、つまんなさそうな顔して、悲しいのを自分でごまかす感じですね。

柱の陰からクリスマスギフトを振る手が見えます。

も、ほぼ泣いてました。
この女の子の心配をよそに、こいつは一人で”帰ってきたぞーっ”って踊ってる、と。

それを見て、もう”プン”と腹を立てまして。
ま、ここで実際には”バカ”って言うんですけどね!

そんな”バカ”っていう一言を言わして、頭突きをくらわせるっていうのをコンテの段階ではやりました。
ま、ほぼ大体、ここで、おおよその構成が見えてるという。
ま、頭の中に作ってるんですけど。

ナレーション:渡辺美里

CMの脚本ともいえる絵コンテ。
わずか60秒のドラマに、恋人を待つ女の子の微妙な心の動きが描かれています。
”ゼッタイに山下達郎のクリスマス・イブ”という書き込みに、早川さんの熱い思いが伝わってきます。
そして、音楽がかぶさって・・・・・・

1988年 CM JR東海クリスマスエクスプレス



(電通) 和田光弘氏 :

名古屋駅ですね。プラットホームは。
今の名古屋駅は、もっと混んでると思いますけれども、東京駅よりは人の数が少なくて、もちろん最終のお客様がいなくなった後なんですけれども、いなくなった後に、そこでセッティングをしまして撮影をしました。

早川和良氏 :

まず、撮影がですね、11月の結構ギリギリでしたよね。
ちょうど今頃(12月)は撮影終わってたと思うんですけれど。

(電通) 和田光弘氏 :

降りてこなかったと思われる恋人が、柱の陰から、当時のマイケル・ジャクソンのムーン・ウォークするんですけれども、あれで出てくるという事で・・・・ムーン・ウォークが出来るというのが第一の要素でオーディションしたわけですけれども。

早川和良氏 :

ほんとは、深津さんを抱きしめる男の子に踊ってもらいたかったんですけれども、彼は踊りができないと。
ま、そりゃそうですよね、完全に出来るわけではない。

それで、同じような恰好の人を選びまして、で、しかも顔がバレる。
”じゃあ、ギフトで顔隠してさぁ! 柱から出てこよう”ていふ風にしたんですね。

(電通) 和田光弘氏 :

良い出来の時はラッシュの時に、ラッシュ編集の時に反応で大体判るんですね。
で、ラッシュ編集して、パッとかけた時に、今日のテーマである山下さんの、この音楽をかけて、ラッシュ編集をかけた時に、いろんな世代、文字通り若い世代から結構年配の世代の人まで含めて、涙ぐんでたりする反応もあったりしまして、これは成功だと思ったりしました。

ナレーション:渡辺美里

山下達郎のクリスマス・イブが最初に収められたアルバム「メロディーズ」が出たのが昭和58年。
そして、その6年後、昭和は終わりをつげ平成となりました。

昭和から平成へ、時代が大きく変わりました。
昭和天皇崩御、時代は平成と名付けられました。

しかし、昭和の終わりにブームを呼んだJR東海のCM、クリスマスエクスプレスはシリーズ化され、時代を超えて5年間流れ続けました。

2作目、平成時代最初のヒロインに選ばれたのは牧瀬里穂さんです。

早川和良氏 :

次の年は、牧瀬さんでした。
あまり、そのことを騒がないでおこうとか、そういう事は考えなかったですね。
もう次のクリスマスは、ほぼ1年くらい経っていますので。

(電通) 和田光弘氏 :

2年目の牧瀬さんの時は、柱を作り込んだりとか、プラットホームではなくコンコースを撮影したんですね。
で、かなり、そのへんの作り込みとか、やったりして。

あと、エキストラの方とか。
当時は真夜中の撮影ですから、たいへんだったのを覚えていますね。

ナレーション:渡辺美里

深津絵里さんから牧瀬里穂さんへ。
CMのイメージキャラクターはトップスターへの登竜門となりました。





早川和良氏 :

達郎さんの音楽と、人間の中の、年齢を問わず誰もが持っている恋愛感情っていうのが非常にうまく掛け算で成立したんじゃないかなぁと思うんですね。

恋愛感情を、そのままCMにするっていうのは、そんなに無いんですよ。
そこに、なんか、ストレートにドーンと正面切っていった、そういう事が凄く、あの時代に響いたんじゃないかなぁと思いますね。

(電通) 和田光弘氏 :

2年目の牧瀬さんのCMを流した直後の、いわゆるリクルートさんなんかがやってる就職人気ランキング調査で一位になりましたね。
非常に驚くべき数字だと思います。

ナレーション:渡辺美里

古いクリスマスから新しいクリスマスへ。
一本のCMが新しい価値観を生み出しました。

早川和良氏 :

忘年会と一緒になって、サラリーマンの人たちが、飲み屋に行って”わークリスマスやねん”って言って楽しく過ごすというのが一般的な事だったと思うんですね。

もしくは子供だちのクリスマスで。
若い子たちのクリスマスの過ごし方というのが、”こういう事なんだ”ってう定義が無かったんじゃないかと思うんですね。

(電通) 和田光弘氏 :

今まで日本の中でクリスマスの時期に何かメッセージが送られるということは、あまり無かったんですね。
他の例でいいますと、SEIKOさんが年末に「ゆく年くる年」っていうのを、ずっとやってらっしゃいまして。

それで、年の終わりには、時計とうテーマで、時というテーマでやってるというのはあったんですけど。
その他に、いわゆるシーズナリティというのがあった上で何かメッセージを送るというのが無かったものですから。

早川和良氏 :

国民的な、ほんとにクリスマスソングだと思いますね。
お正月には、”もういくつ寝るとお正月”ってあるように、クリスマスとしての、ほんとに定番ですね。

ナレーション:渡辺美里

たくさんあるクリスマスソングの中で20年以上も歌い継がれている”クリスマスイブ”。
それは時代が変わっても若い恋人たちの気持ちに変わりが無いからかもしれません。

大ブレイクしたCM。
しかし2作目は思わぬことに。


早川和良氏 :

1年目は深津さんで、すごいブームになりました。
それでシャンプーのCMで新幹線を舞台にしたCMが登場しまして・・・・

(電通) 和田光弘氏 :

似たようなCMが・・・
その企画したお得意様のOKも取りかけてた時に、それが流れてきまして・・・

早川和良氏 :

じゃ、どうしようかって事で、1年目はホームで待つ女の子でしたが、じゃあ今度は時間ギリギリに、なんらなの理由があって遅れそうになってホームまで駆けつけてくる。
という、そんな設定に変えたような記憶があります。

(電通) 和田光弘氏 :

山下さんのクリスマスイブで稀有な例だと思ったのは、既存楽曲で、知る人ぞ知る名曲ではあったんですが、それが暫く経ってからバーンとヒットしたっていうのは初めての例でございましたし、それが5年経って使わして頂いて、それが延々とヒットして、さらにスタンダード化していった。


早川和良氏 :

いろんなテレビ番組でも、影響力が多かったのか、パロディで、そのバラエティ番組を持ってらっしゃるタレントの方が曲にのって踊ったりとか、そんなパロディのCMを番組でよく紹介してましたよね。

(電通) 和田光弘氏 :

これは山下さんも、どこかで仰ってたんですけども『ミュージシャンにとっての最大のヒット曲が、そのミュージシャンにとってのベストの曲とは限らない』とい風に仰ってた事があったんですね。

ただあの曲は山下さんにとっても、楽曲的にも非常に、自分としても満足のいってる曲だし、クオリティーの高い曲だと仰ってた事がありまして。まさにその通りだと思いますね。

今聴いても、イントロからしても、途中のコーラスにしても非常にクオリティーが高いと思いますね。

ナレーション:渡辺美里

厳格な音楽作りをする山下達郎さんは、一人アカペラという手法を使って自分自身のボーカルを多重録音しています。

早川和良氏 :

情景っていうのが非常に強く出てくるんですね。
”雨は夜更けすぎに雪へと変わるだろう”
って言った時に、その情景がバッと出てくる。

泉麻人氏 :

僕、気象予報士なんですけれども(笑)。
これ、東京が舞台だとすると、業界で言う「南岸低気圧」っていう太平洋側を低気圧が進んできて、東京あたりだと、だんだん近づくに従って北東の冷たい気流が入ってね、雨が雪に変わるっていう事は結構あるんですけども。

イメージとしては、ちょっと打ちひしがれながら街を歩いている時にテレビの天気予報で”夜半過ぎには雨が雪に変わる恐れがあります”みたいなイメージだと思うんですけど。

早川和良氏 :

実はこれ、演歌じゃないかなぁという風に思ってて・・・・・

泉麻人氏 :

演歌なんかで、ずっと残ってる・・・何を言えば妥当なのかな、こういう時は(笑)。
”悲しい酒”でもね、古賀メロディーにもありますけど。

その後のJポップスの時代のそういった曲になってるんだと思うんですよね。

早川和良氏 :

”はかなさ、せつなさ”ですよね。
クリスマスソングってのは昔はハッピーな感じが多いんですけど、その中で非常に・・・演歌と言いましたけど、なにか”せつない感じ”・・・一縷の望みを何か託した感じ・・・というのが、凄く強く現れているなぁと。

もう一つは、やっぱり”雪”という、それは情景に関わるんですけれども、”雨は夜更けすぎに雪へと変わるだろう”って、何か期待を持たせる訳ですよね。

でもその期待は、ほんとに一縷の望み・・・という”せつなさ”・・・。


泉麻人氏 :

伝説の一つとしては、(山下達郎氏の)高校時代の、そういうクリスマスの時期の、雪が降り出したような、そういう時に思いついたんだよ、みたいな話をどこかで聞いたことがあるんですけども。

初めからスタンダードの作られ方をしているって思いますね。
頭のアレンジっていうか、歌に入る前のイントロのところで師走の気分になる、みたいなね・・・。

ナレーション:渡辺美里

なにか全ての事が可能になるような期待感と、いつかこの享楽に終わるが来るだろうと、不安だったあの頃。

若者たちは、一つのCMから流れてくるせつない映像と歌に魅せられました。
そして訪れたバブルの崩壊。

しかし夢はしぼんでも、いつの世も変わらない若者たちの心をとらえた、この歌は残りました。

(電通) 和田光弘氏 :

1年、2年と続いて、結局5年続いたんですけども、反響がすごくで驚きましたね。

早川和良氏 :

あのCMがきっかけになって、色んな社会現象が・・・例えばクリスマスの夜は恋人通しが、1年に1回だけでも過ごしたいっていうようなシーンが盛り上がりまして。
お陰で8月から12月にホテルの予約が満杯になるとか、色んな減少が起きましたね。

(電通) 和田光弘氏 :

ただ、このように隠れた名曲が5年後、一緒にタイアップさせて頂いて、それがここまで大スタンダード化する例は無いですね。

早川和良氏 :

ここまで、なってしまうんだって事を、自分の想像をしてた事以上の事が起きた、という事だったんじゃないかと思います。

ナレーション:渡辺美里

昭和58年6月8日。
アルバムの中に収められた1曲の歌。
昭和63年、JR東海のCMで大ブレイク。

以来、時を刻む中で記された変化のキーワード。

・国鉄からJR
・シンデレラからクリスマス
・夏から冬
・昭和から平成
・深津絵里から牧瀬理穂
・古いクリスマスから新しいクリスマス
・バブルから崩壊

そして今、冬の定番曲に。
山下達郎「クリスマスイブ」。








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