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DATE: CATEGORY:サンソン「追悼特集」
山下達郎さん サンデーソングブック 2019年5月12日『最近亡くなったミュージシャンを偲んで棚からひとつかみ』(#1387)

長崎市内は、初夏を思わせるまぶしい日差しです。

今日のサンソン、達郎さんが一番好きなギタリストのひとりで「無駄のないギター!」と言っていたレジー・ヤング、初めて聴きましたが、きれいなサウンドですね。

ということで、このブログでは山下達郎さんのサンデーソングブックのほんの一部をテキスト化しています。
誤字脱字は、ご容赦くださいませ。


◎ 冒頭

達郎氏:

えぇ、私のこのサンデーソングブック、もうすぐ27年に迫りますけれども。

始めたころの放送ですとですね、声がまだ若いというか、高いというか・・・
最近ちょっと、少しボトムに・・
苦み走った感じ・・自分で言っちゃしゃぁない感じがしますがですね(笑)

なんか、単に年取っただけだという、そういう感じもあります(笑)

少し、昔よりは少々落ち着きが出てきたような・・
自分では、感じがしておりますけれども。

令和に入りまして、2回目の日曜日でございます。

1387回目の山下達郎サンデーソングブック。
だいぶ、私もですね、年を重ねて参りまして。
昔から音楽が好きでですね、60年代からずっとリアルタイムで、ロックンロール聴き続けて参りましたけれども。

やはり、自分が年を重ねてくるにつれてですね、あのぉ・・・
私が愛聴していた、そうしたミュージシャン、そういう方々がですね、次々と・・
やっぱり鬼籍に入っていくという・・

そういう、ま、しみじみした気分になってしまいますが。

特に今年入ってからですね、相次いでいろいろな方の訃報が飛び込んでまいりまして。

それぞれがですね、1週間くらい、もしくは1週間、2週間、簡単に特集ができるくらいの、方々なんですけども。
ちょっと、そういうプログラムをですね、綿密に構築する、今、時間的な余裕がございませんので。

今年に入ってから、亡くなられた方を中心に。
最近亡くなったミュージシャンを偲んで、今日は「棚からひとつかみ」でございます。

でも音楽はとっても明るい曲ばっかりですのでですね。

明るく音楽的に偲べるかなと・・
感じでございます。

今日は、そういうわけで『最近亡くなったミュージシャンを偲んで棚からひとつかみ』

日曜日の午後のひととき、本日も最高の選曲と最高の音質で、お楽しみを頂きたいと思います山下達郎サンデーソングブック。

富山市の超常連Y.Yさん、この方、毎週いただきますが。
今日は珍しい質問であります。

『3月17日の放送で「パレード」が流れました。
達郎さんの公式サイトでは、”山下達郎1976年”となっていましたが、ネットのWikで調べたところ、もともとはシュガーベイブ時代のレパートリーとして1974年ごろに作られた作品、とありました。

アルバム「ソングス」にも収録されてたと思います。
記事読んだのですが、よくわかりませんでした。
素人でもわかりやすく、達郎さん本人の解説でよろしくお願いします。

シュガーベイブなのか達郎さんのソロ名義なのか。
ピアノは坂本龍一さんでしょうか。』

この方、お若いんですね。
30代なんですよね。

毎週頂くんです。
40、50代と思ってましたけれども。

「パレード」
もともとはシュガーベイブの時に作った曲で、ライブでもやっておりましたが。
アルバム「ソングス」には、収録できなかたんです。

で、現在、「ソングス」に入っているのはボーナストラックで、シュガーベイブのデモの「パレード」です。

で、1976年にですね、ソロになる前に作りました、大瀧詠一さんと、伊藤銀次さんと、山下達郎、3人で作りました「ナイアガラトライアングル」というアルバムに私のソロ名義でレコーディングしました。

これが公式のテイクでございます。

そらが、その後ですね「ポンキッキーズ」そういうものに使われた「パレード」として認知されています。


上原裕のドラムで、
寺尾次郎 ベース
坂本龍一 ピアノで
私のギター

4リズムでレコーディングしたものに、ブラスとコーラスを足したものでございます。

♪ パレード/山下達郎

~ CM ~

♪ マジック・ガーデン/フィフス・ディメンション


◎ ハル・ブレイン 

達郎氏:

まずは、ハル・ブレイン
3月11日に亡くなりました。
享年90歳、大往生ですね。

私の最も敬愛するドラマー。
自分もドラムやっておりましたので。

ドラマーというのを始めて意識した人のひとりであります。

今は「レッキング・クルー」なんて、誰でも口にしますけどですね。
僕が昔ハル・ブレインとか言ったとき、だれそれって、さんざん言われましたけどね(笑)

時の経つのは早いものですけど。
でも、普通にハル・ブレインという名前が、いろんなメディアで挙がるようになって、いい時代だと思います。

ほとんは、特集してもいいんですけど。
先日も申し上げましたみたいに、90年代に1回やってますのでですね。

もうちょっと、それよりも突っ込んだプログラムにしなきゃ、なんないと。
そうすると時間と手間がかかるんで(笑)
ちょっと今できませんで、すいません(笑)

ひと段落しましたら、心の余裕が出ましたらハル・ブレインは、またやってみたいと思っています。



◎ ディック・デール 

達郎氏:

大物が亡くなりました。
3月16日でございますけれども。

ディック・デール

サーフィン・ミュージックのですね草分けの人であります。
享年81歳。

今、もう誰でも「ミザルー」知ってる時代でありますけれども。
「ミザルー」はチャートに入ってないですよね。
ヒットしてないんですから(笑)

ですので、その時のヒットというものがですね、歴史に残るか、残らないかという・・
そういうのとは別問題であります。

例えばこのディック・デールの作品が好きな人が、そうやって口にしてですね、そうやって、継がれていくという・・・
そういうものであります。

もう、どこいっても「ミザルー」なので。
僕が一番好きなのはキング・オブ・ザ・サーフ・ギターというですね歌入りの曲なんですけど。

今日はちょっと嗜好を変えて「ミザルー」に勝るとも劣らないグルーヴの演奏。
1963年のレコーディング

♪ Hava Nagila/Dick Dale & His Del-Tones


◎ マイケル・ワイコフ 

達郎氏:

マイケル・ワイコフ 
3月13日に亡くなりました。

67歳だそうで、私よりちょっと上でありますが。
同世代ですね・・

キーボード・プレイヤーでシンガーでもあります。

スティービー・ワンダーのレコーディングに参加したあたりからですね、名前が知られるようになりました。

一番有名なのが、RCAでのセカンドアルバム
1982年にシングルカットされまして、ソウル・チャート47位

♪ Looking Up To You/Michael Wycoff


マイケル・ワイコフは、しゃれた音楽やってた人なんですけど。
80年代以後ですね、ありきたりですけど・・ドラッグとアルコール中毒に悩まされまして。

最後はゴスペルに救いを求めたという・・・

ちなみに息子がDJ.マイケル・ワイコフという、DJで活躍してるそうであります。


◎ Sydney Joe Qualls 

達郎氏:

R&Bのシンガーであります。
享年65歳。

53年生まれですから、私と同じ年でありますが。

南部からシカゴに移りまして。
1974年にDakarレーベルでシングルヒットを出しましたけれども。

このひと、いわゆるアル・グリーン・クローンと言いましょうか、アル・グリーンに非常に傾倒してるひとで、アル・グリーンにそっくりな歌い方するんですけど。
逆に非常に評価が低かったんですが。

同じシカゴで、シャイ・サウンドから1979年にアルバムを一枚出します。
「So Sexy」というタイトルのアルバムですが。
これが非常にいい出来でありまして。

ハツラツと歌ったアルバムで、僕、これ・・
この頃はシカゴのR&Bが好きだったんで、とてもよく聴いた1枚であります。

自分と同じ年とは、夢にも思いませんでしたけども。
今聴いてもですね、とってもおおらかな歌い方をする人であります。

1979年、シドニー・ジョー・クォールズ
アルバム「So Sexy」から、私がいちばんすきな曲。

♪  I'll Run To Your Side/Sydney Joe Qualls


◎ スコット・ウォーカー 

達郎氏:

3月26日に亡くなりました。
享年76歳

スコット・ウォーカーは、ウォーカー・ブラザースから、ソロ、そしてその後ですね、非常にアバンギャルドな作品・・
スコット・ウォーカー特集をしたいんですが・・・
10代のころのアイドルシンガーみたいな作品からですね、晩年のすごく暗い作品まで、やってみたいんですけど。

ちょっと今、心の余裕がないので。
少し余裕ができたら、やってみたいと思います。

今日はすごくベタなやつ
78年の代表作。

♪ Joanna/Scott Walker

スコット・ウォーカー、やっぱり特集やろうと思いますので。
近日中に(笑)
よろしく(笑)



~ CM ~

◎来週 

達郎氏:

来週は、またリクエスト特集。
一所懸命、お応えしたいと思っております。

引き続き、リクエスト、お便りたくさんお待ち申し上げております。

〒102-8080
東京FM『山下達郎サンデーソングブック』の係



◎デビットホ・ワイト

達郎氏:

この方は作曲家であります。
もともとはドゥ・ワップ・グループでデビューしたひとであります。
ダニーとジュニアーズという・・グループでスタートをいたしました。

1958年
全米19位
フィラデルフィア・ドゥ・ワップのグループであります。

♪ ロックン・ロール・イズ・ヒア・トゥ・ステイ/ダニーとジュニアーズ



◎レジー・ヤング 

達郎氏:

ギタリストです。
レジー・ヤング。

私の最も好きなギタリストの一人であります。
南部のメンフィス、ナッシュビル・・そういうところでですね、長い間活躍をいたしました。

享年82歳

彼の代表作、1973年のDobie Grayのミリオン・セラー

♪ Drift Away/Dobie Gray


レジー・ヤングの無駄のないギター、すばらしい!


◎エンディング 

達郎氏:

というわけで今日は、最近亡くなったミュージシャンを偲んで棚からひとつかみ
タイトルでお届けしました。

ハル・ブレイン
ディック・デール
マイケル・ワイコフ
シドニー・ジョー・クォールズ
スコット・ウォーカー
デビットホ・ワイト

そして
レジー・ヤング

みなさん、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
いい音楽をありがとうございました。

♪ 片想い/山下達郎

今週のオンエア曲

14:04 パレード/山下達郎
14:09 マジック・ガーデン/フィフス・ディメンション
14:14 Hava Nagila/Dick Dale & His Del-Tones
14:18 Looking Up To You/Michael Wycoff
14:23 I'll Run To Your Side/Sydney Joe Qualls
14:29 Joanna/Scott Walker
14:38 ロックン・ロール・イズ・ヒア・トゥ・ステイ/ダニーとジュニアーズ
14:41 Drift Away/Dobie Gray
14:46 片想い/山下達郎



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テーマ : FMラジオ - ジャンル : テレビ・ラジオ

DATE: CATEGORY:サンソン「追悼特集」
山下達郎さん サンデーソングブック 2019年4月7日『内田正人さん追悼キングトーンズ特集 Paart.2』(#1382)

長崎市内の桜は満開を迎えました。
春爛漫の陽気です。

今日のサンソン、キングトーンズの奥深さ、あらためて知ることができました。

ということで、このブログでは山下達郎さんのサンデーソングブックのほんの一部をテキスト化しています。
誤字脱字は、ご容赦くださいませ。


◎ 冒頭

達郎氏:

このサンデーソングブック、当初は「サタデーソングブック」として1992年の10月に放送をスタートいたしまして。

この4月でですね、放送26年半を迎えることになりました。

本年10月に27周年となります。
JFNネットワークの中でも、かなりの長寿番組でございます。

年度変わりでございましてですね・・・
転勤と、あとは入学、入社・・
そういうところで4月最初の日曜日・・

なんか引っ越ししたところ、掃除してる方・・
そういう方が初めて、お聴きになる方もいらっしゃるかと思いますけれども。

山下達郎サンデーソングブック
この番組はですね、いわゆるオールディーズの番組であります。

オールディーズ
古い曲

OLDIES BUT GOODIES

古くても、いい曲。

私自身ミュージシャンでございますので、私の新譜とか、関係各位の新譜に関しては、そういうものが、かかることがありますけれども、基本的には「OLDIES BUT GOODIES」
古いけれどもいい曲をかける番組であります。

この番組は、いわゆる台本がございません。
しゃべってる言葉は、その場で考えて、あれでございます。

曲の順番だけ、ありますけれども。
放送作家、構成作家という存在は、おりません。

私と、それからディレクターの山岸女史と、
それから技術の丸山君と
アシスタントの大塚君

今日から新参加になりました。

この4人だけでやっております。
完全家内制手工業の番組でございます。

27年間ですね、不都合もございましたけれども、長いことやれております(笑)
今年度も引き続き、お世話になります。

引き続き、リスナーの皆さまには、ご愛顧のほどを何卒よろしくお願い申し上げます。

東京はですね、寒い・・花冷えでございます。
それのおかげでお花見が長く続いております。

今日の収録の・・直前で録っておりますけれども、今日もですね、お堀を見ますと、まだ桜が咲いております。

私、あんまりお花見に興味がない人間でありますけれども。
お花見で、人だダ~ッといますと、それだけで引けてしまいまして。

でも、今、曲書いておりまして(笑)
お籠りでございますので(笑)
表へほとんど出ませんので。
ま、いいかなと。

でも今週あたりは、暖かくても夜は冷える。
あとは、雨が降る・・
ま、春の気候でございますが。

とにかく温度差が激しい今日この頃でございます。

ので、風邪、けっこう流行っております。
お気を付けください。

で、番組の方ですけれども、新年度またぎましたけれども。
先週から、キングトーンズのリードボーカルであります内田正人さんがお亡くなりになりましたので、

『内田正人さん追悼キングトーンズ特集』

先週からお届けしております。
今週は2週目でございます。パート2。

先週は、いろいろと御託を申し上げましたけれども。
今週は、あまりそういうことはなくてですね。

曲の方をお聴きを頂きたいともいます。

68年にデビューいたしまして、60年代を過ぎまして70年代の中期から、今日はスタートしてみたいと思います。

年度変わりでございますので、アタマに1曲。
この番組、一番最初に始まったときに、かけた曲でございまして。
この曲は先週申し上げましたみたいに、もともとはキングトーンズに提供するつもりで書いたんですけども。

企画がボツになってしまったのでシュガーベイブのレパートリーになりまして。
シングルカットもされています。
今やシュガーベイブの代表曲であります。
山下達郎のオリジナルでございます。
「DOWN TOWN」

♪ DOWN TOWN/Sugar Babe

~ CM ~

◎ 今週は・・

達郎氏:

先週は、1970年代中期まで、ポリドール時代をお聴きを頂きましたが。
今週はポリドールを離れまして、いろいろなレコード会社を移籍しまして。
その70年代中期以後のヒストリーを、曲をお聴きをいただきながら申し上げたいと思います。

先週は、いろいろと突っ込んだですね・・
えぇ・・
私の考えをお聴きを頂きましたけれども。

今週は、曲中心にお聴きを頂ければと思います。

と、申しますのも先週申し上げましたみたいに、ちょっと特集のタイミングが何十年が遅すぎたという・・ですね。

関係者の方々で物故された方が、たいへん多くいらしゃいますので。
そういう方々のお話しを伺えればですね、もっと、もっと突っ込んだ感じで、面白い話が伺えたと思うんですけど。

残念ながら・・・


◎ 一度だけのディスコ

達郎氏:


1976年に東芝に移籍をいたします。
そこでの第一弾のシングルが宇崎竜童さんの手による曲でございます。

1976年のザ・キングトーンズ
「一度だけのディスコ」


♪ 一度だけのディスコ/ザ・キングトーンズ

作詞 島 武実さん
作曲 宇崎竜童さん
編曲 萩田光雄さん

というコンビの作品でございますけれども。

これ、いまだに未CD化でございます。

先日ですね、宇崎竜童さんのところに伺って、この曲のエピソードをですね、いろいろと伺って参りました。

とっても面白い話が、たくさんありまして。

実は、宇崎さん、それより前にですね、キングトーンズに一回曲を書いたことがあるんですけども。
結局、使われないで終わってしまったそうなんです。

で、まぁ、キングトーンズに書いた曲なんで、裏声を使ったりですね、そうしたような作曲技法で描いたんですけども。

結局、使われなかったので。
それをですね、だヒットシングル「スモーキング・ブギ」のB面に収録したそうです。

「続 脱・どん底」のアルバムに入っておりますけれども。
「恋のかけら」という・・

これが、もともとはキングトーンズに提供した曲なんだそうです。

みなさん、いろいろなことやってるんですね(笑)
やっぱり(笑)
宇崎さんは作曲家でいらっしゃいますのでですね。

この「一度だけのディスコ」という作品は、当時のキングトーンズの所属事務所でありました小澤音楽事務所、ここの創設者であります小澤惇さんがですね、ひらかた ただしさんという東芝のディレクターの方に依頼しまして宇崎さんに曲を発注したんだそうです。

ちょうど打ち合わせの時に、近くにいたのが、作詞家の島 武実さんだったので、じゃ、これは阿木 燿子じゃなくて島 武実さんに頼もうと。

キングトーンズには、こっちが合ってるんじゃないかと、そういうようなことで、このラインナップでのレコーディングになったそうです。

プロデュースしておりますのが、渋谷森久さんという、この方、東芝の大プロデューサー、越路吹雪さん、加山雄三さん、クレイジーキャッツ・・

やめたあとも劇団四季からディズニーランドから本田美奈子さんまで昭和史を彩る大プロデューサーでございますが。

この方のディレクションでレコーディングが進められたそうです。

歌入れに立ち会ってもですね、内田さんは基本的にはディレクター、A&Rの指示通りに歌という。
やっぱり、60年代の日本の歌謡シーンを生きてきた方の、やっぱり製作態度だったというようなことを伺いました。

こうした1曲の中にもですね、いろんなヒストリーが入ってるという、たいへんにためになる宇崎さんとのアレでございまして。

何年ぶりにお目にかかりましたか・・ほんとに。
お元気で何よりでございます。


◎  Let's Dance Baby 

達郎氏:

この「一度だけのディスコ」のシングルの発売の後にですね、アルバムが発売されることになりますが。

このアルバムに私が曲を書き下ろすことになります。
1978年のことですけども。

この当時、私、CMずいぶん作っておりましてですね。
そのCMが、やはり、あの・・小澤音楽事務所のですね子会社の方に、ずいぶんCMの発注をいただきましてですね。

そんな関係で、あるとき音楽出版社にちょっと行きましたら、その小澤音楽事務所の出版社のスタッフの方が

”あぁ~、山下君、探してたんだ!”
”今度、キングトーンズのアルバム作るんで、曲書いてほしいんだ”

それで、詩がもうできてるっていうんですね。
コンセプトアルバムでありまして。

詩を渡されまして。
3曲渡されまして。

そのうちの2曲が日本語詩で。
吉岡治さん!

もう演歌の大御所でございますが、大阪しぐれ・・

そいでもう一曲が、当時YMO関係にたくさん詩を提供しておりましたクリス・モズデルさんの詩がありまして。

3曲いただきましてですね。
そのころ、だけど私、わりと曲書きのスランプの時期でありまして(笑)
なかなか、できずに、ウンウンうなって、やっと3曲書いて、お渡ししまして。

アルバムのアレンジは梅垣達志さんが、なさっておりますので、私はレコーディングには一切かかわってないんですけども。

で、78年、作ってたアルバムで曲が出来なかったので。
じゃ、せっかく書いた曲を使おうと。

思いましたら、ディレクターがですね、これはいい曲だから、これシングル切ろうと、私、生まれて初めてシングルカットしたのが、お馴染みの「Let's Dance Baby」でございます。

これは、もともとキングトーンズのこのアルバムのために提供した曲であります。


♪ Let's Dance Baby/ザ・キングトーンズ



◎ Touch Me Lightly 

達郎氏:

キングトーンズ、78年のアルバム「レザレクト」
こっから「Let's Dance Baby」でございました。

このアルバムには3曲入っておりますけれども。

もう1曲、これはクリス・モズデルの英語に曲をつけたものなんですけれども。
やっぱり、内田さんが歌う以上ですね、当時、いわゆるスゥイート・ソウル路線で1曲書いてみようと思いましてですね。

これずごく自分で気に入ったので(笑)
その次の1979年のアルバム「ムーン・グロウ」にセルフ・カバーしてしまいました。

これも山下達郎のリスナーにはお馴染みでございます。


♪ Touch Me Lightly/ザ・キングトーンズ


思った通りの出来上がりになって(笑)
すごいなぁ~って思いました(笑)

お葉書がきて。
この「レザレクト」のベースがすごく、いいんだけど誰かと。

高橋ゲタ夫さんです!

上手いっすねぇ。

ドラムは林立夫さんだと思いますけど。
ギターは、松原君かなぁ・・

松木さんのクレジットもありますけど。
松木さんは、もうちょっと手数少ないので。

えぇ・・松原さんかなって感じがしますが。

いずれにしましても、すばらしいプレイと、すばらしい歌であります!



◎ Doo-wop! Tonight 

達郎氏:

でも、東芝時代はヒット曲が出ませんでですね・・・

アルバムも・・
今聴くとね(笑)いいんですけど、これ、進みすぎてるんですよ(笑)

ほんとに!!

で、80年にですねSMSレコードに移籍をしまして。
シングルを出します。

これが大瀧詠一さんのプロデュースで。
その筋では、非常に話題になりましたけれども。

これもまた、進みすぎた1曲でございます。

ベルネッツの「Tonight」を脚色して「Doo-wop! Tonight」というタイトルを付けました。
これでシングルカット、1980年にされました。

しかも、ダイレクト・カッティング!
一発録り!
というモノラル盤という。

もう大瀧さんらしい、素晴らしい出来です。

♪  Doo-wop! Tonight /ザ・キングトーンズ


◎ In The Stii of The Night 

達郎氏:

キングトーンズ1980年、SMSレコード移籍第一弾シングル、大瀧詠一さんのプロデュース。
訳詞も大瀧さんですね、1961年のベルベッツの「Tonight」の邦案でございます「Doo-wop! Tonight」

B面が、ずばりファイヴ・サテンズの「 In The Stii of The Night」をもってきております。

どちらの曲も1981年のアルバム『Doo-Wop STATION』に収録されておりますが。
こちらの方はDJでつないでいくノンストップ・タイトルですのでシングル・バージョンでないと、味がわかりません。

シングルB面でございます。

♪ In The Stii of The Night /ザ・キングトーンズ

日本語版でございますが。
訳詞しておりますのは、担当A&Rの井岸さん。
キャロルとか、あれですね・・
フィンガーファイブのA&Rで有名な人ですね。

この方のペンネームで書いた日本語詩だそうです(笑)
資料に載っておりました。

~ CM ~

◎ご勘弁いただきたい 

達郎氏:

最近、私、年のせいかですね・・
言い間違いが多いんですよね。

しょっちゅう、山岸君に怒られるんですけど。

なんか年号が特に・・・
自分で言ってるつもりがですね、あとで聴くと違う、というですね・・

先週も、いろいろありまして。

みやがわひろしさんのことを”やすし”さんと言ってみたり、ですね・・
69年なのを、69年と言ってるつもりが、65年と言ったりですね。

この世界になりますと、山岸くんもチェックがしきれない。

いつも、そうやって言い間違いを厳しく叱責さますがですね。

年を食ってきたと、いうことですね・・・
え・・・

ご勘弁いただきたいと・・思います。


◎ラストダンスはヘイ・ジュード 

達郎氏:

SMSで何枚かアルバムを出すんですけれども。

現在のキングトーンズ評価のですね根幹は、この80年代以後のSMS時代の一連の活動でございます。

それに深く関わっていらっしゃるのが大瀧詠一さんでございます。

さきほどお聴きをいただきました「 Doo-wop! Tonight」
この後からですね、SMSは一年の間に、たくさんシングルを出すことになります。

メンバの加生スミオさんの作品、そのあとは井上大輔さんの作品。
いい曲があるんですけど、今日は時間がなくて(笑)
かけたかったんですけど、時間の都合でかけられません。
すいません。

ですけれども、この後にですね、1981年に再び大瀧詠一さんと組むことになりまして。

これが、その当時のですね、若いリスナーに非常にアピールをしまして。

ビートルスの大ヒット曲でございます「ヘイ・ジュード」
作者のポール・マッカートニーはですね、この曲は「ラストダンスは私に」、ドリフターズのヒットソングですが、これにインスパイアされて作ったと。

コード進行が似ているという。
そういうようなエピソードからですね、この2曲を同じコード進行上でつなげて演奏するという前代未聞のシングルが出ます(笑)

1981年、大瀧詠一さんのプロデュースでございます。

♪ ラストダンスはヘイ・ジュード/ザ・キングトーンズ

今聴くとですね、これ、チャートに入ってるのかなと思いますけれどもですね・・
入ってないんですよね、これがね。

そういうものなんです。

そういう時代でございます(笑)


◎スイング・ロウ,スイート・チャリオット 

達郎氏:

でも、このSMS時代に、アルバムを3枚リリースしております。

独立記念日に、横須賀の米軍キャンプでライブ演奏しました。
ライブ・アルバム。
それから大瀧詠一さんの作品を収録しまして、それをDJ形式でノンストップでまとめました『Doo-Wop STATION』というアルバム。

そして1982年にはですね、カセットだけの企画、当時はカセットも大きなシェア占めておりましたので。

カセットで出しました「渚の“R&B”」というですね。

これはカバーで網羅されました1枚でございますけれども。
オリジナル・メンバーの成田 邦彦さんのインタビューを拝見しますと、このアルバムは自分が一番好きかもしれないという。

自分達が好きなようにやれた1枚だと。

最初に申し上げましたみたいに、いわゆる歌謡曲フィールドですと、やっぱりシンガーはディレクションの通りにやらなければならないという・・・

作曲家、作詞家、そしてディレクター

そうした人の意向が入りますけれども、この「渚の“R&B”」というカセットはですね、自分達が好きなようにできたと、そういうようなインタビューが残っております。

事実、たいへんに出来のいい作品でございまして。
特に60年代のキャンプで歌ってたと思われる曲はですね、たいへんのびのびと歌っております。

そんな中の1曲。
アメリカのトラッド・ソングでございます。

♪ スイング・ロウ,スイート・チャリオット/ザ・キングトーンズ

完全なバーバーショップ・スタイルで歌われております。
ドゥ・ワップはこういうシンギング・スタイルはとりません(笑)
米軍キャンプでやっていたスタイルだと思います。


◎エンディング 

達郎氏:

というわけで2週間、お届けしてまいりましたキングトーンズ特集、内田正人さん追悼特集でございますが、まだまだかけたい曲、たくさんあるんですけど。

2週間でも足りないという・・・
そういう感じでございます。

先週も申し上げましたが、いわゆる60年代の保守本流歌謡曲から見ますとですね、異端ともいうべきですね・・・

でも美しき異端でありますね。

それが日本のフォーク、ロックのブームになったときと同じようなインディ、保守本流から外れたですねメカニズムがだんだん運動論として発展するにつれられて、そうしたキングトーンズの、そうした美しき異端性というのがですね、シンパシーを、それまで得なかったキングトーンズへのシンパシーというのが生まれてきたと。

もともと、そういうものを持っていたということが言えます。

アメリカ文化というのは、ほんとに、昔とほんとに比べ物にならないほど遠かったアメリカでありまして。
そういう憧憬がですね、音楽を志すものにとって、重要な要素だった故に、また圧倒的な情報不足からくる多くの誤解もありました。

今でもあります。

そんな時代に、ロックンロールへの文化的認識が、なまじ正確だったために、いろいろと苦悶された、努力された先輩方、それがキングトーンズという存在でありました。

心から敬意を表しますとともに、内田正人さんに心からご冥福をお祈り申し上げたいと思います。

今日の最後はですね、そんな我々と同じようにですね、キングトーンズに、そうしシンパシーを抱いた方の中の一人で。

高野寛さん。

高野寛はキングトーンズにインスパイアされて作った曲が「夢の中で会えるでしょう」というですね・・

1994年の彼のシングルですけれども。
それを1995年のキングトーンズのアルバム「ソウル・メイツ」でキングトーンズ自身がカバーをしております。

それを最後にお聴きをいただきながら、内田正人さん追悼・キングトーンズ特集、ご清聴ありがとうございました。


♪ 夢の中で会えるでしょう/ザ・キングトーンズ



今週のオンエア曲

14:04 DOWN TOWN/Sugar Babe
14:10 一度だけのディスコ/ザ・キングトーンズ
14:18 Let's Dance Baby/ザ・キングトーンズ
14:22 Touch Me Lightly/ザ・キングトーンズ
14:28 Doo-wop! Tonight /ザ・キングトーンズ
14:31 In The Stii of The Night/ザ・キングトーンズ
14:37 ラストダンスはヘイ・ジュード/ザ・キングトーンズ
14:42 スイング・ロウ,スイート・チャリオット/ザ・キングトーンズ
14:46 夢の中で会えるでしょう/ザ・キングトーンズ




DATE: CATEGORY:サンソン「追悼特集」
山下達郎さん サンデーソングブック 2019年3月31日『内田正人さん追悼キングトーンズ特集』(#1381)

今年度最後の日曜日となりました。明日から新年度が始まります。
当ブログの管理人こと9thNUTSも、1年間の横浜生活を経て明日から長崎市民に戻ります。一日早く入った長崎市内、満開の桜が迎えてくれました。

今日のサンソン、キングトーンズの特集でしたが達郎さんがオンエアを遅らせてまで企画・編集した理由がわかりました。

ということで、このブログでは山下達郎さんのサンデーソングブックのほんの一部をテキスト化しています。
誤字脱字は、ご容赦くださいませ。


◎ 冒頭

達郎氏:

3月最後の日でございます。
旧年度の終わりです。
明日4月1日から新年度になります。

平成もあと、ひと月で終わるというですね・・
区切りの、あれでございますが。

私は、そんなの全然関係なく(笑)
また、曲書いてシコシコやっております。

今日は、ですので前倒しで録っておりますので。
お天気のお話しとか申し上げられませんけれども。

6月ごろからツアーが始まりますので。

それまでにですね、オーダーされてる曲を仕上げてしまわなければ、ならないので。
たいへんでございますけれども、がんばってやっております。

1381回目のサンデーソングブックでございます。

もちろん新年度からも引き続き、よろしくお願いします。
26年と半年経ちました。

27周年あと半年でございます。
がんばっていきたいと思います(笑)
引き続きよろしくお願いします(笑)

で、先々週からずっと申し上げておりますが。

キングトーンズの内田正人さんがお亡くなりになりましたので。
内田正人さんの追悼を兼ねまして、キングトーンズの特集をですね・・・
はじめは軽い気持ちで、いろいろと始めようと思ったんですけども。

いろいろと調べれば調べるほど・・
なんか深いものが出てきまして・・

とにかく特集が遅すぎます!!
というか20年前にやっておくべきだった特集でございます。

ほとんどの関係者が亡くなっておりますし・・

というか、語るべきことが多すぎます!

いわゆる日本の歌謡曲ではない洋楽志向の・・
それゆえサブカルチャーの立場を余儀なくされるというか・・
そういうようなスタイルでありまして。

ですので、そういうことを語りつつ、やらないとキングトーンズの本当の意味でですね、日本での位置というのが、はっきりしません。

いわゆる一般メディアがアレするような、ドゥ・ワップだとかグッドナイトベイビーとか、そういうものでは語れない非常に深いものがありましてですね・・・

えぇ・・ここ2週間ほど資料集めたり、人に教えを請うたりしてですね・・
やりまして。

今週、来週、年度超えますけれも(笑)
2週間、内田正人さん追悼キングトーンズ特集、やってみたいと思います。

えぇ・・がんばってみたいと思います(笑)
それにしても、むずかしい(笑)

で、年度変わりでございますので、いつも年度変わりにはこの曲をかけております。

広島県尾道市のK.Kさん。
先日いただきましたが。

『3月14日は、うちの3人年子の真ん中Rが、無事第一志望校に合格しました。
ありがとうございます。』

という・・
よかったですね。
Kさんは3月24日の誕生日。

おめでたいですね。

『3人年子なので、次はAが控えています。
また時期が近くなりましたら、是非よろしくお願いします。』

私でよければですね・・
いくらでも(笑)
お励ましいたします。

♪ 明日の私/竹内まりや

~ CM ~

◎ キングトーンズ 

達郎氏:

キングトーンズのリードボーカリスト内田正人さんが、お亡くなりになりましたので、今週、来週2週間かけて内田正人さん追悼でザ・キングトーンズ特集をやろうと思います。

内田正人さんは1936年生まれですからロイ・オービソンと同じ年ですね。

遅いデビューでございます。
30過ぎたレコードデビューの形でございますけれども。

もともと1958年に、プラターズに憧れまして、5人組のグループを結成いたしまして。

プラターズは女性入りの5人組でございます。
その当時はファイブ・トーンズと名乗っていましたけれでも。

その後4人組となり、女性が抜けましてですね。
キングトーンズという名前になりまして。

主に米軍キャンプをまわって・・
60年代はですね・・
活動をしておりました。

従いまして、その中で、米軍キャンプまわりの中で、プラターズ・スタイルのボーカルスタイルでいきましたので。
どちらかというとリズム&ブルース寄りの、そうしたスタイルでやっておりました。

結果、同時代のボーカルグループ、いわゆる歌謡曲サイドのボーカルグループ・・
ま、ムード歌謡とか、そういうものですけども。

そういうムード歌謡のボーカルグループというのは、それ以前のですねジャズ、ラテン、シャンソン、タンゴとかそういうような色が強いんですけども。

そいうものとは違うリズム&ブルースのテイストを身に着けた、違う色を身に着ける・・
そうしたグループとして、だんだん業界で知られるようになりまして。

60年代の頭はですね、レコーディングのバックコーラスとして、しばしばクレジットされるようになってまいります。


◎ 藤木孝さん、田代みどりさん 

達郎氏:

そんな時代の作品からですね、有名どころを、二つほど

まずは藤木孝さん。
ミスター・ツイストですね。

藤木孝さんは1961年のテイチクからのシングル「小さい悪魔」
ニースセダカの「リトル・デビル」
これのアレンジが宮川泰さん。

翌年の62年、テイチクから田代みどりさん。

田代みどりさんの、これはポール・ピーターソンのヒットですね。
「じらさないでね」洋楽のタイトルはあとで調べます。

それのカバー。

どちらもレコードに「コーラス キングトーンズ」というクレジットが入っております。


♪ 小さい悪魔/藤木孝

♪ 彼氏の気持ちはワークワク (She Can't Find Her Keys)/田代みどり


◎ 相当困難な時代・・・

達郎氏:

1960年代の国内のいわゆるドメスティック・シーンですが、ロックンロール以前の洋楽ジャンルでですね、ジャズ、ラテン、シャンソン、タンゴといった、そういう要素がまだまだ強い影響力を持ってまして。

大多数のリスナーもまた、既存のそうした歌謡サウンドってものにシンパシーを持ってた時代であります。

レコード会社のそうした音楽制作スタッフはもとより、作曲、編曲、演奏者からレコーディング・エンジニアに至るまで、当時最先端だったロックンロールとかR&Bに関する知識情報ってのは、圧倒的に不足しておりまして。

そこから生じる技術的問題のために、英米と同じような音像をレコード中に再現するというのは、まだ相当困難な時代でありまして。

したがってこうした和製ポップスからグループサウンズに至るまで、当時の我々のようなですね、中高生の洋楽リスナーが下す音楽的評価というものはですね、あくまで近似値としての洋楽的なテイスト・・その割合の大小で・・

ようするに洋楽っぽいなっていう近似値ですね・・
あくまで本家は洋楽タッチのオリジナルでありまして。

ロックンロール志向の国内音楽ってのは、どこまで行っても近似値でしかない時代であります。

今でも、そういう要素は多大にありますが。


◎ グッド・ナイト・ベイビー 

達郎氏:

そんな60年代でも、ずぐれた近似値を提供された方々がたくさんおられまして。
たとえば加山雄三さんでありますとか、作曲家では宮川泰さん、編曲もやっておられますけれども。

あとは寺内タケシさんはじめインスツルメンタルですね・・
そして、そのあとの一連のグループサウンズ、たくさんおられます。

そんな中に1969年にキングトーンズというボーカルグループがじわじわと日本でヒットを始めまして。

それまで聞いたことのない近似値と言いましょうかですね・・・
米軍キャンプまわりで吸収したアメリカのテイストが日本の既成の音楽マーケットからは隔離された純粋培養の存在としてユニークな作品を生み出したといえますが。

はじめ、リリースされた時は、それほどなかったですけど、じわじわとヒットしまして。
68年にリリースされたんですけど、年を超えて69年あたりから大ヒットをしました。

オリコンの2位まで上がる大ヒットになります。
出世作であります「グッド・ナイト・ベイビー」

♪ グッド・ナイト・ベイビー/ザ・キングトーンズ

この曲の誕生までは非常に紆余曲折があったという話であります。

日本グラモフォン、後のポリドール、そして今のユニバーサルのですね・・元ですけども。

ここと専属契約したんですけども、邦楽のセクションはどこも手をあげませんでした。

で、結局洋楽のセクションで製作することになりまして。
でもこのグループの特徴を生かした作詞作曲をしようとする人が誰も出てこなかったからなんですね。

しょうがないので、当時の洋楽のA&Rだった松村孝司さん、この方「コーヒー・ルンバ」なんかをヒットさせた方ですけども。

この方が”むつ・ひろし”というペンネームで書いたのが、このグッドナイトベイビーです。

作詞を手掛けた大日方俊子さんというのも、そうした製作セクションでありまして。
このかた、”ひろ・まなみ”というペンネームで作詞をしまして。

この”むつ・ひろし””ひろ・まなみ”というコンビはですね、のちに和田アキ子さんのヒット曲「どしゃぶりの雨の中で」という作品を書くことになります。

それで、ちょっとイメージしていただけると思いますけれども。



◎ 捨てられた仔犬のように 

達郎氏:

当時は、私は高校1年か2年にかけての時代だったんですけども。
どちらかというと洋楽ファンでも、少しマニアックなですね、あんまりヒット曲に目を向けないですね(笑)
マニアックな曲が好きな仲間内ではですね、このA面の「グッド・ナイト・ベイビー」よりも、とにかくB面の「捨てられた仔犬のように」という・・

これはキングトーンズのメンバーのベースシンガーの加生スミオさんが作詞、作曲そしてアレンジにもクレジットされております。

こちらの、このサウンドがですね当時の日本の、そうしたボーカルグループ・ファンにとって非常にリズム&ブルース的って言いましょうかですね・・・

このグループ、すごいよ!って言っていた、そのB面。


♪ 捨てられた仔犬のように/ザ・キングトーンズ


1968年の日本のそうした歌謡スタジオ・シーンではですね・・
リズム&ブルースのトラックを構築することなど、ほぼ不可能でありました。

お聴きいただきますと、オリジナル・ソングであるこのB面の「捨てられた仔犬のように」の方が「グッド・ナイト・ベイビー」よりも、結果メロディーの構造があか抜けてる部分がありますけれども。

それでも、ブラスのアレンジなどはですね、一時代前のビッグバンドの手法でありまして、あれを例えばメンフィス・ホーンのように3管でやったらもっと雰囲気が出たのにって・・

それは私がずっと後になってから、そう思っただけで。

当時はただ漠然としたそうした疑問符でしかありませんでした。

いろいろな内田さんご自身のインタビューなんかを拝見しますとですね、内田さんは当初レコードデビューをいやがったということをおっしゃっております。

そこにはですね、なんか・・どんなに洋楽的な志向とか発想をもっていも、当時の状況からは安易にムード歌謡の方向にですね、持っていかれるってことを、よくご存じだったと、いうことですね。

そういう部分で自分のスタイルが日本では、ほんとに理解されないという、そういうようなことを直感してたようにも感じられます。

その後も、自らのそうしたプラターズのスタイルに対して、ある種の”かたくなさ”というか、そういうものが見え隠れします。

特に歌謡曲に賑やかさに非常に警戒心の強い方に思いました。

それはとりもなおさずリズム&ブルースに対する認識が正確だという・・
時代的に日本の歌謡シーンと折合いの悪い活動を余儀なくされるんじゃないかと、そういうようなことだと思います。

インタビューの中にですね、「グッド・ナイト・ベイビー」に対するコメントがありまして・・・

”あれは、難しい曲で「涙こらえて」のメロディーの部分は演歌でしょ。
あれを、どうすれば演歌じゃなく、歌えるかっていうんで、そこでファルセットが出てきたんだ”と・・・

そういうメロディーに対する感性みたいなものが、すごく敏感だった、そういう方だと思います。


◎ どうしても 

達郎氏:

今日と来週のキングトーンズ特集で、どうしても申し上げなきゃいけないことがありましてですね。

無駄と知りつつ申し上げますけれども・・

キングトーンズはドゥ・ワップ・グループじゃありません!

彼らの音楽的原点であるプラターズの全盛期の活動というのは、厳密にはドゥ・ワップ・グループと定義されていませんでした。

ただ、今はアメリカの文化もそうとうアバウトになっちゃったんで、みんな一緒くたにされてしまった結果、そうなりました。

ましてドゥ・ワップはおろかですねバーバーショップ、オープン・ハーモニー、ジュビリー・スタイル、カルテット・スタイル

そうしたコーラススタイルに関する明確な音楽的説明が今やまったくなされなくなった・・
今の時代の中ですとキングトーンズは結果的に近似値としてのドゥ・ワップというカテゴライズでしか日本では選択の余地がなかったので、ドゥ・ワップということになります。

蛇足ですけども、鈴木雅之と山下達郎以前には日本のメディアにドゥ・ワップという単語はありませんでした!

ドゥ・ワップ自体が60年代以後の用語で、造語でありますので。

キングトーンズの皆さんが自分達がドゥ・ワップ・スタイルだと意識したことは、それは後付けであります。

これだけは、言っとかなきゃなんない。


◎ ネット情報の虚報 

達郎氏:

もうひとつですが、今、ウィキペディアとか、そういうデータを見てますと、キングトーンズの「グッド・ナイト・ベイビー」は、アメリカATCOのレーベルから発売されましてですね、ビルボードのR&Bチャートで48位をとったという・・・

これは虚報です。

私の知り合いの、そうしたチャートのエキスパートに4人確認とりましたけれども、全員が否定しました。

R&Bチャートに入っておりませんし、もしくは全米チャートにも入っておりません。


ただひとつ・・・

キャッシュボックスの1965年の5月に最高114位という、このランキングが記録に残る唯一のものです。
上柴とおるさんから伺いました。

でも、それは今はもう、ほんとに検証することなしに、拡散するんですね、一般メディアがね。

で「グッド・ナイト・ベイビー」はビルボードR&Bチャートに入ったんだと・・そういう・・

嘘ですので。


だからと言って、彼らが別にステータスが傷つくとか、そんなこと全然ありません。
実力とは関係ない話なんですけど。

データは正確にやらないとダメだと・・
やっぱりネット時代のですね弊害があります。

長くなりました!


◎ オンリー・ユー、煙が眼にしみる 

達郎氏:

「グッド・ナイト・ベイビー」のヒットがありましたのでファーストアルバムが69年に発売されまして。
セカンドアルバムがすぐ発売されます。

セカンドアルバムには、この方たちのアイドルでありますプラターズのナンバーが何曲か入っておりますので、こちらの方が本来のキングトーンズのスタイルとして受容できるものでありますね。

2曲続けて

1969年のセカンドアルバム「愛のノクターン」に入っております「オンリー・ユー」
そして「煙が眼にしみる」


♪ オンリー・ユー/ザ・キングトーンズ

♪ 煙が眼にしみる/ザ・キングトーンズ


要するに、内田さんは早すぎたんです、少しね・・



~ CM ~

◎来週 

達郎氏:

来週は、年度超えますけれども(笑)
パート2でございます。

だいぶ理屈っぽいと思われるかもしれませんけれども、正確なキングトーンズのスタンスといいうのを・・

やっぱり誰かが言わなきゃなんないかなと(笑)
こういう使命感でやっております(笑)


◎ 愛のノクターン 

達郎氏:

キングトーンズのアルバムを聴きますと、そうしたプラターズのカバー、それからオリジナルソングがあるんですけれども。

さきほど申し上げましたみたいに、メンバーの加生スミオさんのお作りになられる曲が、とっても当時はあか抜けてて。

いい曲が多くてですね。

この曲もそんないっこです。
1969年にこの曲シングル・カットされました。

♪ 愛のノクターン/ザ・キングトーンズ

所属していた日本グラモフォン、ポリドールはですねアトランティック持っておりましたのでスタックスのR&Bが出てきましたので、このセカンドアルバムは「ドック・オブ・ベイ」なんか入っておりまして・・

そうした、いわゆるR&Bのコンテンポラリーなものに対するアプローチと言いましょうかですね・・

この曲の内田さんの歌を聴いておりますと、関西ブルースの例えば・・そうだなぁ・・
大塚まさじさんとかですね・・・
ああいうテイストがちょっと見えてきます。

ので、ちょっと先行き過ぎたっていう感じがありますが。



◎ 暗い港のブルース 

達郎氏:

キャンプ回りで培ったキャリアからですね、そうしたR&B的なものに対する認識が非常に正確だったという・・

それが時代的に日本の歌謡シーンとはですね、こう・・・なかなか折合いが悪いということがあります。

ムード歌謡全盛ですから。

ムード歌謡ってどちらかといえば、ラテンに近いジャンルの人たちが、そっちに行ったので。

ロックンロールとはちょっと違う世界なので。
それに関する、やっぱり冒頭にも申し上げましたみたいに、そうした警戒心というか、そういうものを、あおありになるんですけれども。

でも、レコード会社とか製作スタッフとすれば、そっちの方が、なんていうかヒットを生みやすいという。

そういうような典型なんですが。
1971年のシングル「暗い港のブルース」

これは、オリコンチャートで19位というですね・・
「グッド・ナイト・ベイビー」に次ぐチャート・アクションを見せた曲で。
これもキングトーンズの代表曲として認知されておりますけれども。

これはどちらかというと、ラテン・テイストで・・そういう解釈だと思います。
1971年のシングルであります。


♪ 暗い港のブルース/ザ・キングトーンズ

今までお聴きいただいた、僕が選曲したやつとはテイストが違うという感じに、お聴きになれると思いますけれども。

もともと1963年にですね、「グッド・ナイト・ベイビー」のアレンジをしていらっしゃっる早川博二さんという方がいらっしゃいまして。

この方、トランペット奏者で、自ら自分のモダン・プレイボーイズというバンドを作っております。
いわゆるジャズ系のバンドですけども。

そのインスツルメンタル曲がルーツでありまして。
これになかにし礼さんが歌詞をつけて、一回、フランク赤木さんという方が日本グラモフォンからシングル切ったんですけども。

それをなかにし礼さんが歌詞全面的に書き直してキングトーンズであらたにレコーディングしてヒットしたという。

このバージョンは、ちあきなおみさんとか藤圭子さんとかカバーがたくさんあります。


◎ はっきりとした意思 

達郎氏:

お聴きを頂ければわかるように、歌唱力のある方ですので、その気になれば、こうした路線でもですね、かなりの水準まで行けるという方ですけども。

でも、内田さんのいろんなところでのインタビューを伺ってる限りですね、こうしたムード歌謡の路線には行きたくないという、はっきりとした意思がおありだったような感じがします。

日本で果たしてR&Bがやれるのかって・・ある種の諦観と言いましょうかですね。

そうした意思・・
それでも、当時は、・・現在でもですねキングトーンズとはムード歌謡コーラスの変形とみてるリスナーの方、非常に多いです。

和製フォーシーズンズなんていうのは、まだましな方でですね・・
「甲高い声」というような明後日の形容詞つけたりですね・・
今でもみられます。

自分が、日本のシーンではアウトサイダーだっていう、そうしたものがプラターズに対するより強い意思と申しましょうか・・
そういうのを生んでいかれたという感じが、すごくいたします。

そういう点でですね、私には痛いほど、そういうとこが理解できますし、自分に、ととってもそういうところが似てると(笑)

そういうことが思いましたので、こんな特集の形になってしまいました。

要するに早すぎたんですよね・・


◎ あたらしい企画 

達郎氏:

1974年にですね、キングトーンズを若い作家が曲を提供して、それをキャラメルママがバックでアルバムを作ろうという、そういう企画がありました。

そのことについては、私、何度か語って参りました。

その企画に賛同して伊藤銀次と私と書いた曲が「ダウンタウン」はじめ、3曲なんですけども。

結果、その企画に賛同して曲書いたの、私と伊藤銀次と二人だったので(笑)
このコンビだけで、結局企画が流れてしまいまして。

もったいないんで「ダウンタウン」、自分のシュガーベイブの曲として発表することになったんですけども。

その企画が始まるというので、キングトーンズのライブに呼ばれましてですね。
ルイードというキングトーンズが所属していた事務所、小澤音楽事務所ですね、ここが造ったライブハウスなんですけども。

そののち、シャネルズなんかも、そこでやりますけれども。

そこにキングトーンズを観に行ったんですね。

そしたらその時にアルバム企画を立案した人たちがですね、その当時のトレンドであります、例えばスタイリスティックスみたいな、そうしたようなものを歌ったらどうかというようなサジェスチョンをしたそうなんです。

それを内田さんは、「あんまり僕は気が乗らないんだ、こういうの」って言って、そういうことをステージで話しながらですね「you are everything」歌ったんですけど(笑)

それがもう素晴らしかったんですよね(笑)

その話を大瀧さんにしましたら、とってもそれに関して興味を示しまして。
その後の大瀧さんのキングトーンズの起用ということになった・・
その一端にはなってるんじゃないかと思います。

実際、大瀧詠一さんはですね、男性ボーカルグループをとても欲していたんです。

女性はシンガーズ・スリーに出会いまして。
混声はシュガーベイブの我々がいましたけれども(笑)

純粋に男性コーラスっていうのは、すべて一時代前のスタイルしかいなかったので。


「ダウンタウン」の逸話というのを聞いて、キングトーンズの声をかけて、そこでようやく満足のいくスタイルのいるグループに出会えましてですね。

創作意欲もわいて、それがのちのキングトーンズのプロデュースへとつながっていくという、そういう流れだと思います。

大瀧さんが生きていればですね、最高に面白い話ができるんですけども・・・

大瀧さんはなぜかキングトーンズの話をですね、僕にあまり・・そいうかスタッフにあまり細かい話をされなかったんですよね。

なぜかわからないんですけど。

で、1975年に大瀧詠一さん「ナイアガラ・ムーン」というアルバムにキングトーンズを依頼しまして。
福生のスタジオまで呼んで、彼らのボーカルを録りまして。

「恋はメレンゲ」
のバックコーラスを頼んで。

最後にですね、アカペラで大瀧さんがリードボーカルでキングトーンズをバックに歌うという企画がでます。

ここから、キングトーンズが、そこから先のより若い聴衆にですねアピールする可能性が出てくるわけで・・・

この続きは、また来週。
パート2でお聴きをいただきたいと思います。

今日の最後は、その大瀧詠一さんの1975年のアルバム「ナイアガラ・ムーン」に入っております「いつも夢中」


♪ いつも夢中/大滝詠一


今週のオンエア曲

14:03 明日の私/竹内まりや
14:11 小さい悪魔/藤木孝
14:13 彼氏の気持ちはワークワク (She Can't Find Her Keys)/田代みどり
14:16 グッド・ナイト・ベイビー/ザ・キングトーンズ
14:21 捨てられた仔犬のように/ザ・キングトーンズ
14:28 オンリー・ユー/ザ・キングトーンズ
14:31 煙が眼にしみる/ザ・キングトーンズ
14:36 愛のノクターン/ザ・キングトーンズ
14:41 暗い港のブルース/ザ・キングトーンズ
14:48 いつも夢中/大滝詠一





テーマ : FMラジオ - ジャンル : テレビ・ラジオ

DATE: CATEGORY:サンソン「追悼特集」
山下達郎さん サンデーソングブック 2019年2月24日『ロイ・オービソン特集 Part
.2』(#1376)

横浜市内は、いいお天気になりました。
春ですね。

今日のサンソン、ロイ・オービソンの激動な人生を初めて知り、感慨深いものがありました。

ということで、このブログでは山下達郎さんのサンデーソングブックのほんの一部をテキスト化しています。
誤字脱字は、ご容赦くださいませ。


◎ 冒頭

達郎氏:

2月も、最後の日曜日になりました。

えぇ・・前倒しになっております(笑)
お天気のことは申し上げられませんが(笑)

スタジオに入って仕事をしている感じであります。
がんばってやりたいと思っておりますが。

番組の方は、ロイ・オービソンの特集、先週からやっておりますが。
なにしろ、たいへんな作品で(笑)・・・
そればっかり!!(笑)

えぇ、がんばっております!

私、ロイ・オービソン大好きで、ほとんどの曲は、聴いておりますけれども。
まとめて聴いたのは、ほんとに久しぶりでありましてですね。

中学のときの記憶とかが、よみがえって参りました。
懐かしい感じがいたしますが。

私自身はロイ・オービソン、若干遅れてきた少年でございます。

というのも、当時ロイ・オービソンのシングルはですね、私が中学入るまでは、全部廃盤でありまして。

なかなか手に入らなかった、そういうような事情がありますので。

今日は、そんなような自分史に基づいたですね、ロイ・オービソンのリスニング経験・・というような(笑)・・
ものを織りまぜてお聴きをいただきたいと思います。

先週に引き続きまして、今日もヒット曲がたくさんございます。
63年以後のロイ・オービソンの活動。

それから割と刺激的なですね、いろいろな経験、ドラマティックな人生、そういうようなものも織りまぜてお聴きをいただきたいと思います。

先週に続きまして『ロイ・オービソン特集 Part.2』でございます。

山下達郎サンデーソングブック、日曜日の午後のひと時、ロイ・オービソンの素晴らしい歌声でお届けいたします。

最高の選曲と最高の音質でお届けをいたします。

で、今週の27日、水曜日でございますが。
ここんとこ、ずーっと継続しております、竹内まりやさんのRCA時代のアルバム5枚ありますが、いよいよ4thアルバム「Miss M」
1980年のアルバムでございますけれども。

これが、リマスター、ボーナストラック付きで出ます。
今日は、その中から1曲。

アナログA面がLAレコーディングになりまして。
当時のエア・プレイ・・
デビット・フォスター、
ジェイ・グレイドン、
デヴィッド・ハンゲイト、
ジェフ・ポーカロ・・
でレコーディングされまして。

洋楽のカバーではなくてですね、書下ろし、もしくは持って行ったストックから出してもらった作品でございます。

この「Sweetest Music」という曲も作詞David Lasley、Peter Allen・・・
で、Peter Allenのストックから提供してもらったものだそうでございます。

ほかにも、このレコーディングのためにデビット・フォスター、ジェイ・グレイドンが書き下ろしました「シークレット・ラブ」、そういうあれもあります、

あと、ロジャー・ニコルスの作品とか、そういうものが入っておりますが。
アナログA面の1曲目に入っております。

♪ Sweetest Music/竹内まりや


~ CM ~

◎ ミーン・ウーマン・ブルース/ロイ・オービソン 

達郎氏:

先週は、名だたるヒット曲、60年代前半のですね
「オンリー・ザ・ロンリー」
「ランニング・スケアード」
「クライング」

抜群の歌唱力に裏打ちされました作品をお聴きをいただきましたけれども。
当時の南部のですね、特にロカビリー、ロックンロールシーンの、そうした珍しいバラ―ディアでありまして、トーチソング・・そういうような感じですけれども。

でもロックンロールの曲が下手か・・というと、そんなことは全然ありません。

お次にお聴きをいただきます曲はエルビスプレスリーの曲のカバーでございまして。

1963年にロイ・オービソンのシングルとして、シングルカットされましたカバー・バージョンですが。

全米5位まで上がりました。

私、この曲大好きでですね!
私のライブでは、もう30年以上、いつもこの曲の一節を歌っております。

エルビスのバージョンではなくてロイ・オービソンのバージョンでやっている(笑)
というのは、私のライブの特徴でございます!!


♪ ミーン・ウーマン・ブルース/ロイ・オービソン


◎ ブルー・バイユー/ロイ・オービソン 

達郎氏:

これのB面の曲がですね・・両面ヒットになりまして。
全米29位「ブルー・バイユー」という曲でございますが。

これ1977年に、リンダ・ロンシュタットがですねカバーいたしまして。
これもプラチ・シングルになりまして。
これで70年代、ロイ・オービソンが、またですね注目を浴びる一助になりましたけれども。

南部っぽい、テックス・メックスのにおいが満載の1曲でございます。


♪ ブルー・バイユー/ロイ・オービソン


◎ イッツ・オーバー/ロイ・オービソン

達郎氏:

年明けたこの曲もですね、ロイ・オービソン ファンにはたいへん人気の高い曲。
1964年、全米9位

イギリスではNo.1をとりました。


♪ イッツ・オーバー/ロイ・オービソン

終わった恋・・・
文字通りの悲しい歌でございます。


◎ よく声がでる・・ 

達郎氏:

しかし、よく声がでます。

先週おかけした「クライング」は24歳の時でございます。
この「イッツ・オーバー」は」27歳のときの歌唱でございます。

すばらしい声!

とにかく、いい声をしてる人で。

ボビー・ゴールズボロ、シンガーのボビー・ゴールズボロがロイ・オービソンのコーラスをしていた時代の思い出としてですね、ロイ・オービソンは風邪をひいても声が変わらなかったという、そういう逸話が残っております。


◎ 有名な話 

達郎氏:

あとロイ・オービソンといえば、サングラスがトレードマークなんですけども。
これも有名な話がありまして。

63年に、イギリスのツアーに行きまして。
そのときには、前座がなんとビートルズでありましてですね・・・

まだデビュー前のビートルズ。

そのときにですね、その直前のアメリカ・ツアーのときに、メガネを忘れてしまってですね。
持っていたのがサングラスしかなかったので。
目が悪いので、メガネなしにはものが見えないので。

で、サングラスをして行ったんですけど。
そしたらまぁ、わりとそれが、気に入って。

そっからサングラスがトレードマークになったという。
そういうようなですね、逸話が残っております。


◎ オー・プリティ・ウーマン/ロイ・オービソン

達郎氏:

ロイ・オービソンはそういうわけで、イギリスでものすごく人気が、このころから出ましてですね。

その後も、ずーっとイギリスでの人気が衰えないので。
それが、復活のきっかけにもなるわけですけども。

そんな中で1964年、彼にとっての最大のヒット曲が生まれます。
全米No.1
ミリオンセラー

お馴染みの「オー・プリティ・ウーマン」

♪ オー・プリティ・ウーマン/ロイ・オービソン

のちに1990年に同名の映画の主題歌となりまして。
これがお若い方に知られるきっかけになりました。


◎ 私事で恐縮ですけれども 

達郎氏:

私事で恐縮ですけれども。
当時、私が中学に入るころにですねロイ・オービソンのレコードは全部廃盤でありました。

聴けませんでした。

ロイ・オービソンの名前を知ったのは、ベンチャーズであります。
1965年、私が中学1年のときに発売されましたベンチャーズの「ノック・ミー・アウト」というアルバムに「オー・プリティ・ウーマン」が入っておりまして。

それの解説を書いていたのが、亀渕昭信さんでですね。
亀渕昭信の解説にロイ・オービソンのヒット曲だと書かれておりまして。

その当時はですね、レコード屋行けば、レコードはなんでもあると思っておりましたので、東京の目白のレコード屋へ行きましてですね、

”すいません、ロイ・オービソンください”

「全部廃盤です」

って言われましてですね。

ガーン!!ときまして。
それから1年くらいしまして、中学2年か3年の頭だったと思いますけども。
池袋にはいってるデパートの地下でですね、当時発売されましたシングル盤が、返品になったやつにドリルで穴をあけまして。

ジャケットにですね、穴をあけまして。
それを100円で売ってるという・・

100円シングルと我々は読んでました。
新品なんですけども、返品のシングルなので。

セコハンじゃないんですけど。

そこへロイ・オービソンが、あったんですよね!

で、それが、生まれて初めて買ったロイ・オービソンで。
これが今からお聴きをいただきます。

これ1964年にイギリスのみで発売になりました。
イギリスではチャートで15位まで上がりまして。

それが日本盤で発売されました。
それを私は買ってきまして。
これが初めて聴いたロイ・オービソンで。

なんて、この人上手い歌なんだろうって(笑)

驚いた記憶がありまして。

邦題が「つむじ風に乗って」という。
洋題「ボーン・オン・ザ・ウインド」


♪ ボーン・オン・ザ・ウインド/ロイ・オービソン


◎ 遅れてきた少年なので 

達郎氏:

このころロイ・オービソン、ギリスでものすごい人気があった人であります。

したがって私はちょっと遅れてきた少年なので。
3,4年遅れました。

やっぱりだから大瀧詠一さんぐらいの世代が一番ロイ・オービソンがリアルタイムで。
でもリアルタイムといっても、ほんとにそのころは、洋楽がほんとにこう・・・
のめりこんでいる人しか、ロイ・オービソン聴いてませんでしたから。

やっぱり歌謡曲のほうが、ぜんえん力がありましたからですね。

私、ちょっとそれよりも、3,4年遅れて入っていったんですけども。

運のいいことに、100円シングルっていうのが出てきましてですね(笑)
「ミーン・ウーマン・ブルース」
「イッツ・オーバー」
「オー・プリティ・ウーマン」

そういうようなですね、主要なヒット曲がどんどん手に入るようになって、それでもう夢中になってロイ・オービソンを聴いてきまして。


◎ 新しいコンビ 

達郎氏:

1964年のロイ・オービソンのミリオンヒットのころからですね、それまでのパートナーのジョー・メルソンという人と、だんだん、だんだん距離がとってきまして。

あたらしいコンビになります

ビル・ディーズという人ですけども。
この人と実績がでたのが、この「オー・プリティ・ウーマン」ですけれども。

これから、新たな平野が開けると思いきやですね、66年の話なんですが。
クローデットという奥さんがいましてですね。

クローデットという曲を作るくらい、愛妻家でございまして。

「オー・プリティ・ウーマン」というのも、このクローデットが出かけるときに、
”お金がいるか?”ってロイ・オービソンが彼女に聞いたら

相棒のビル・ディーズという人がですね、「オー・プリティ・ウーマン」にはお金はいらないと。
そこから「オー・プリティ・ウーマン」ができたと、そういうような逸話もありますけれども(笑)


◎ リスナーからのお便り(世田谷区のT,Hさん) 

達郎氏:


この奥さんがですね、バイクで事故死をします。

そこで、ものすごくロイ・オービソンが、やっぱり精神的ショックで曲が書けなくなります。

それに重なって、ツアーやってる間に3人いた息子のうち、2人が火事で死亡するという・・

ここから、60年代、全く作品書けなくなってきます。

そこから低迷が始まるのでですね・・・
ロイ・オービソン自体の創作意欲、そういうものに責任じゃないんですけれども。

そんな時代にモニュメント・レーベルから移籍しまして。
ヒットがぱたっと出なくなったんですけども。

そんな時代でも、私、一所懸命買ってたんです。

1967年の、この1枚のシングルは、キングレコードから、ちゃんと出してくれたんですけど。
これ、ラジオで結構かかってですね。

私、すごくこの曲で好きで・・・

一所懸命聴いてたおぼえがあります。

亡くなった奥さんへの鎮魂歌と言えるような1曲でございます。
1967年の・・
もちろんチャートには入ってございません。


♪ She/Roy Orbison


~ CM ~

◎来週 

達郎氏:

来週は3月に入りまして。
ひな祭り、やりたいんですが・・・
ちょっとスタジオが立て込んできましてですね・・・

さぁ、どうなるか。

リクエストカードたくさん頂いておりますので、リクエストで逃げるという(笑)
そういう感じでございますが(笑)


◎ Lana/The Velvets

達郎氏:

で、ロイ・オービソン特集ですが・・

時間がですね・・ぜんぜん(笑)

ほんとはカバーとかですね、かけたいんですけども。
2週間だとぜんぜんオーバーフローして、間に合いません。

でも、必要なカバーは、まずこれかなという・・

1961年

同じモニュメントレーベルにおりましたベルベッツという、ドゥ・ワップのグループでございますけれども。

この人たちに曲を提供いたしまして。
「ラフ」という曲が全米でスマッシュヒットしましたけれども。

日本ではですね、A面、B面入れ替えまして。
「ラナ」というB面の曲をプッシュしましたところ、これが日本ではたいへんヒットしまして。

我々はベルベッツといえば、この「ラナ」と。
いうことで記憶しております。

これも亀渕昭信さんが、推したという、そういうアレが残っております。

♪  Lana/The Velvets


◎ That Lovin' You Feelin' Again 

達郎氏:

奥さんの突然の死

それから息子さんの突然の死

それが精神的にものすごくダメージを与えまして。
67年あたりからですね、ヒット曲が激減します。

なかなか大ヒットが出なくなります。

アルバムも作り続けますし、ライブも続けるんですけども。
時代の変遷というのも、そういうのもありますが。

何よりも不運が重なったという・・・
そういう感じでありますけども。

でも先週申し上げましたみたいにですね、他の誰とも違うスタイルなんですよね。

唯一なものなので。

特にイギリスでの人気がものすごく強い人だったので。
そうした業界シンパシーって言いましょうかですね・・
そういうものが、ずーっと続いていきます。

それが70年になりまして、もう半分忘れられた存在になりかけたんですけども。

いろんな人のカバーが出てきましてですね。
さきほどのリンダ・ロンシュタットの「ブルー・バイユー」とかですね。

そういうカバーが出てきまして。

そんな中でですね、1980年にアメリカで「Roadie」という映画がありまして。
日本未公開なんですが。

ここで歌われまして。

エミルー・ハリスとのデュエット・ソング
「That Lovin' You Feelin' Again」
という曲がありまして。

これが全米55位というチャートアクションなんですけども。
カントリーの部門でグラミー賞とりまして。

このあたりから、80年代入るあたりから、だんだん、だんだん再評価というのがですね、じわじわと出てくるという。

ロイ・オービソン聴いて育った人たちが、みんなミュージシャンになってですね
くるという、そういうような発言力を増してくるという、そういうような背景があるんですけども。

そんな時代の1曲です。

♪ That Lovin' You Feelin' Again/Emmylou Harris & Roy Orbison


◎ もう一人じゃない/トラヴェリング・ウィルベリーズ 

達郎氏:

このままいけば、カントリー・フィールドでですね長くやっていくというような感じでですね、いたんですが・・

80年代の後期にですね、ロイ・オービソン、そういう再評価が高まっていくなかで、例えばのちに発売されますけれども、いろいろなミュージシャン集めてのロイ・オービソンのトリビュート・ライブ・・・

トリビュート・ライブには本人も出ておりますけれども。

ロイ・オービソンのライブ、そんな中で、やはりロイ・オービソンのファンだったジェフ・リンがですね、ロイ・オービソンに「僕はファンなんだよ」っていう具合に電話をかけたら、ロイ・オービソン気軽に応じてくれて。

そこにジョージ・ハリスンが居合わせて・・

ジョージ・ハリスンと3人で何かを作ろうという時に、さらにボブディランとトム・ペティが加わってですね。

ボブディランのスタジオでものを作り始めて、ついにアルバムまでできてしまって。

トラヴェリング・ウィルベリーズというですね、レコード会社との契約の関係で曲名で88年にアルバムとして発売しました。

これが大ヒットいたしました。

いきなりロイ・オービソンが再評価されるという・・
そういう新しい時代を・・
ほんとに、あのぉ・・
激動の人生といっても、いいんですけども。

この88年のアルバム「トラヴェリング・ウィルベリーズ」の中のロイ・オービソンのパート。


♪ もう一人じゃない/トラヴェリング・ウィルベリーズ



◎エンディング 

達郎氏:

というわけで後半はかなり駆け足になりましたが(笑)

ロイ・オービソン、2週にわたってお届けしました。
トラヴェリング・ウィルベリーズのヒットで、ロイ・オービソン、思わぬ再評価と、それで新しい平野が開けると思いきや・・・

1988年の暮れにですね
心臓発作で急死してしまいます。

たいへん惜しむべき人ですけれども。

でも歌声は永遠に残ります。

久しぶりに、たくさん聴いてですね、感慨をあらたにいたしまして。

たくさんリクエストも頂いたんですけども、すいません。
来週フォローします(笑)

今日は、そんなわけでロイ・オービソン特集、1週、2週
Part.1,2でお届けしました。

ご清聴ありがとうございます。

最後は、彼の死後に発売されました1989年のロイ・オービソンのアルバム「ミステリー・ガール」からシングルカットされまして、ベストテン・ヒットになりました。

ジェフ・リン、ロイ・オービソン、トム・ペティの共作になります。

プロデュース By ジェフ・リン

「ユー・ガット・イット」


♪ ユー・ガット・イット/ロイ・オービソン


◎クロージング 

達郎氏:

お送りいたしてまいりました山下達郎サンデーソングブック
2週間にわたりましてロイ・オービソン特集でございました。

今はもうほんとに、僕がリアルタイムで聴いていた時代とは比べ物になんないくらい資料、その他、あふれておりますのでですね。

言葉の足りない部分は、そちらの方をご覧いただきたいと思います(笑)

えぇ、さきほどエミルー・ハリスのことで、ロイ・オービソンのサントラの「Roadie」、劇場未公開でしたけども、DVD出てんですよ(笑)

ぜんぜん知らなかった(笑)

アマゾンで中古品買いました(笑)

新しい発見、まだあるという(笑)
なかなか音楽は深い!

そんなわけで来週はたぶん「リクエスト特集」です(笑)
スイマセン(笑)

締め切りが迫っておりますので(笑)

「ひな祭り」やりたいですけど、まぁ、いつでもできます、また(笑)
来年でもいいです(笑)

そんなわけで山下達郎サンデーソングブック
来週も、セイム・タイム、セイム・チャンネルで皆さんごきげんよう!

さよなら!


今週のオンエア曲

14:03 Sweetest Music/竹内まりや
14:08 ミーン・ウーマン・ブルース/ロイ・オービソン
14:11 ブルー・バイユー/ロイ・オービソン
14:14 イッツ・オーバー/ロイ・オービソン
14:18 オー・プリティ・ウーマン/ロイ・オービソン
14:23 ボーン・オン・ザ・ウインド/ロイ・オービソン
14:28 She/Roy Orbison
14:34 Lana/The Velvets
14:38 That Lovin' You Feelin' Again/Emmylou Harris & Roy Orbison
14:43 もう一人じゃない/トラヴェリング・ウィルベリーズ
14:47 ユー・ガット・イット/ロイ・オービソン





テーマ : FMラジオ - ジャンル : テレビ・ラジオ

DATE: CATEGORY:サンソン「追悼特集」
山下達郎さん サンデーソングブック 2019年2月17日『ロイ・オービソン特集 Part
.1』(#1375)

横浜市内は、日曜日はうす曇りの天気でした。
風は冷たいですが、春めいてきた感じがします。
あっという間の1年です。

さて、今日のサンソンで紹介されたロイ・オービソンの楽曲は、春めいた季節にぴったりの曲ばかりでした。

ということで、このブログでは山下達郎さんのサンデーソングブックのほんの一部をテキスト化しています。
誤字脱字は、ご容赦くださいませ。


◎ 冒頭

達郎氏:

えぇ、先週は、とっても東京は寒い一週間でございましたけども。

今週あたりから少し春の気配がするというような天気予報でございますがですね・・・

なんか雪が降るって言ってて(笑)
ちょっとだけ降ったりして。

お便りうかがってますと、北陸の方は、なんかすごいあったかい・・
例年よりもですね。
北海道は、とんでもなく寒い。

東京は、なんか寒いんだけど・・
雪降る、雪降るっていって・・
雪降り少年・・
おすいう感じでございます(笑)

インフルエンザようやく山越したという報道もありましたけれども。

依然としてですね、寒い日が続いておりますので。
夜は特に冷え込みますので、みなさんくれぐれも健康にお気を付けください!

えぇ・・私、そろそろ仕事が・・・始まりますというか(笑)
レコーディングが始まりますが。

今週は大阪のクラブクアトロへ参ります。
20日、21日でございます。

アコースティックライブでございますけれども。

3月ももう一回やります。
北海道の小樽でやります。
番組のなかほどで詳しいこと申し上げます。

というわけで。
昨年、ロイ・オービソンの特集をいつかやってみようかなぁと、いうようなことを申し上げましたらですね。

たくさん、ご要望をいただきまして。

じゃ、ロイ・オービソンを特集してみようと。

始めましたところがですね・・
とても、とてもたいへんなんです(笑)

えぇ、なんか軽々しく言わなきゃよかった。
非常に力不足といいましょうかですね。
荷が重い、あれでございますが。

でも、ま、ロイ・オービソンの曲を・・
ラジオでかかるということは、ほとんど最近ないので。

こうやって、まとまってかかるということが、ほとんどないので。

偉大なシンガーであることには変わりありません。
没後、30年を迎えました。

今週、来週、2週間、ロイ・オービソンの特集。
ちょっと30年経った特集なんで、それでまた難しいという。
言い訳をしながらですね(笑)

でも、いい音です!

ロイ・オービソンのヒット曲をお聴きいただきますので。
それだけが、取り柄です。

本日は、ロイ・オービソンの特集でお届けします。
日曜日の午後のひと時、素晴らしい歌声に酔いしれていただきたいと思います。

サンデーソングブックがお届けいたしますロイ・オービソン特集。
今週、来週の2週間かけて、お届けします。

ロイ・オービソンの素晴らしい作品と、それを最高の音質でお届けをいたします山下達郎サンデーソングブック。

でですね。
明日、2月18日、午後11時からですね6週間にわたりましてAbemaTVで配信されます、橋本環奈さんの主演ドラマ「1ページの恋」、これの主題歌に竹内まりやさんの「ミラクル・ラブ」を使用されております。

もともと91年の牧瀬里穂さんに提供した曲のセルフカバー。
シングルのカップリングで発売されました。
アルバムとしては正式に、ボーナスディスクとか、そういうのは入っておりませんけども。

この曲が使われることになりました。
ので、今日は「ミラクル・ラブ」
最初にお聴きをいただきます。


♪ ミラクル・ラブ/竹内まりや

~ CM ~

◎ ロイ・オービソン 

達郎氏:

ロイ・オービソンは1988年の12月に亡くなりましたので、没後30年を過ぎました。
ですので、30年経っておりますので、なかなか特集が難しい。

ロイ・オービソンというのは、たいへんにドラマチックな人生を送ったシンガーでございまして。

他の誰とも違うシンガーであります。
いわゆる今でも人気が高いんですけど。

ワン&オンリーの人でありますが。

でも60年代が全盛期ですので、その時代と音楽も今は違っておりますのでですね。
死後30年経って、再評価というのがたくさんなされておりますので、資料もたくさん出ておりまして。

そういうのを、なぞってもですね、もう時間かかっちゃって。
なんたって代表ヒット曲が多いので、それかけるだけで2週間はすぐ、いっちゃいますので。

特集組んで、後悔しまして。
やめればよかったなぁと(笑)

力不足が否めない。
荷が重いというですね・・・

ですので、言い訳しますけれども。
私的な特集です。
今までの一般的な評価、それからプレイリスト、そういうものとは、ちょっと違う選曲・・

特に後期のものはですね、私の私的な経験の中から選んだ、自分の好きな・・
ロイ・オービソンで棚からひとつかみをすれば、よかったんですよね・・

えぇ・・
というわけで、ぶつぶつ言ってないで(笑)

1936年といいましたら、昭和11年生まれ。
服部克久さんと同じというですね。

88年没なので52歳。

52歳というと割と、早世な方が多くて、美空ひばりさんとか石原裕次郎さん・・

ロック・ヒストリーの中で出てきて、いわゆるロカビリー・シーンから出てきたテキサス生まれの人なんですが。

声がですね、あまり、いわゆるそういう・・
何て言いましょうかね・・
野蛮な声をしてない、優しい、きれいな声をしてるので。

最初は、ロカビリーのばんどを組んでですね、カントリー系それからロカビリー系の音楽をやってたんですけども。

そこでは、あまりヒットが出なくて、自分の本来の声のトーンである、高温のきれいなですね曲をバラードで乗せることによってですね、ヒット曲が出ましてですね。

全盛期を迎えるという・・・

それでも、まぁ、10代のころにバンドを作りまして。
その時代のロックンロールの洗礼をあびまして、アマチュアバンドに毛が生えたようなのを作りまして。

メンフィスのサン・レーベル・・
たいへん有名なエルビス・プレスリー・・
そうそうたる人たちが出た登竜門ですけども。

サンレーベルから56年に出しました、この1曲がヒットをいたしまして。
20万枚くらいのヒットになりまして。
これでロイ・オービソンの歌手としてのスタートが切られます。


♪ ウービー・ドゥービー/ロイ・オービソン


◎ Claudette/The Everly Brothers 

達郎氏:

サン・レコードでロカビリー路線で始まりますけれども。
その後、ヒットが続きませんで。

RCAに移籍したりしますけれども。
ぜんぜんダメで鳴かず飛ばずで・・

もうこれやめようかなと・・
そういう世界になりかけときにですね。

エバリーブラザースのツアーで会いまして。
結婚したばかりの愛妻Claudette、この人のことを歌った「Claudette」という曲をエバリーブラザースが気に入ってレコーディングをしてくれました。

それがエバリーブラザースの58年、ウルトラ大ヒット「ALL I HAVE TO DO IS DREAM」
これのカップリングで発売されまして、全米30位という。

B面ですけどもヒットしたという。

ここが運命の分かれ道になりまして。
ここから運命開けて参ります。


♪ Claudette/The Everly Brothers


◎ このあと・・ 

達郎氏:

このあと、後・・・・
ずっと・・・
3年、4年、下積み続きますけども。

モニュメント・レーベルという南部の・・フレッド・フォスターという人がオーナでございますけども。

このレーベルに移籍してくらいから、だんだん、だんだんですね、ロイ・オービソン運が開けてまいります。

同時期に出会いましたジョー・メルソンという人と共作をしまして。
、いい作品が出ましてですね。

それをフレッド・フォスターの、非常に寛容なレコーディング・システムの中でじっくりと時間をかけて作るシステムが確立されまして。

少しづつ、作品が知られて参ります。

そのジョー・メルソンと最初に組んでチャートに出ましたのが、1960年全米72位になりました。
「アップタウン」という曲ですが。

これがヒットしまして。
ちょうどそのときにですね、一緒に作っておりました、この1曲。
これが大ヒットとなりまして。

ロイ・オービソンの華々しいキャリアが花開いていくわけでございます。

同じ1960年、全米2位。
ミリオンセラー・・・
最初のミリオンセラー「オンリー・ザ・ロンリー」

2曲続けて、どうぞ。


♪ アップタウン/ロイ・オービソン

♪ オンリー・ザ・ロンリー/ロイ・オービソン


「アップタウン」っていうのは、いわゆる高級住宅街という感じですけども。
そこのペントハウスに住む女性に恋をしたベルボーイがですね、そのうちお金作って彼女を手に入れるという・・・

でっかい車と上等な服を手に入れて
彼女に愛を誓いに行くんだと・・

テキサス生まれのいわゆる・・・
高度成長期のアメリカでございますね。

そうしたサクセスストーリーを・・
そういう歌でございます。

で、いよいよロイ・オービソンのスタイルが確立されました「オンリー・ザ・ロンリー」
60年の1曲でございますが。

それから先のですね、いわゆる「失恋路線」という・・

「孤独なひとたちだけが
今の今夜の僕の気持ちをわかってくれる
彼女が行ってしまって
永遠に去ってしまった

孤独なひとたちだけが
それをわかってくれる

明日になったら
新しいロマンスに出会えるかも

でもそれは
ただチャンスでしかない」


そういう悲しい歌なんですけど・・
それがですね、ナッシュビルのすばらしいスタジオミュージシャンのですね、演奏に乗っかってロイ・オービソンの独特な、悲しいトーンと言いましょうかですね・・

今聴きますとですね、なんか簡単そうな演奏なんだけど、とんでもない、これが!!!

このグルーブ出すの難しいんですから(笑)

南部の音楽の奥深さと言いましょうか・・・


◎ ここから、いよいよ 

達郎氏:

ここから、いよいよ1960年
ロイ・オービソンの快進撃が始まります。

メルソン、オービソン、コンビ
ナッシュビルのスタジオミュージシャン
プロデューサーのフレッド・フォスターのですね・・
採算度外視のレコーディングのスケジュール・・

そういうような、いろんなものがありまして。

あとから、あとからヒット曲が出てくることになります。

代表曲、1960年
全米9位
「ブルー・エンジェル/ロイ・オービソン」

♪ ブルー・エンジェル/ロイ・オービソン


当時のいわゆるロカビリー・シーンとは、非常に特異な存在でありましたロイ・オービソン。

「オンリー・ザ・ロンリー」が成功しましたので、イントロで、いわゆるスキャットですね。

♪ ダン・ダンダン・・(by 達郎さん)

このブルー・エンジェルは、

♪ シャ~ ララ(by 達郎さん)

こういうのがですね、ま、二番煎じと言われれば、それまでですけども。
ヒットしましたので、その路線といいましょうか。

そういうものを、しばらく続けることになります。



◎ アイム・ハーティン/ロイ・オービソン 

達郎氏:

この曲はアップテンポですけど、イントロはですね・・
そうしたもので始まります。

バックをやっておるのではアニタ・カー・シンガーズでございます。
私の大好きな1曲

♪ アイム・ハーティン/ロイ・オービソン

1961年のロイ・オービソン「アイム・ハーティン」


~ CM ~


◎ランニング・スケアード/ロイ・オービソン 

達郎氏:

60年に大ヒットがでまして、それに続いて・・ヒットが続くんですけども。

だんだん、いわゆる形式が似てくるという。
マンネリ化を防ぐために、新しい曲調を開発しようと。

ロイ・オービソンとジョー・メルソンのコンビが出してきましたのが
1961年、これがロイ・オービソンにとっての初めて全米No.1になります。

代表作中の代表作「ランニング・スケアード」


♪ ランニング・スケアード/ロイ・オービソン

私も長いこと、いろいろなポップソングを聴いてきましたけども、こんなストリングスの曲はですね、なかなかない。

たった2分12秒なんですけどね。

スローに始めてクライマックスにいくんですけど。
終わり方が、とっても不思議なんですよね・・

突然終わるという・・

不思議な作曲技法であります。



♪ クライング/ロイ・オービソン


♪ ドリーム・ベイビー/ロイ・オービソン


♪ イン・ドリームス/ロイ・オービソン


◎エンディング 

達郎氏:

というわけでサンデーソングブック
ロイ・オービソン特集Part.1でございましたが。

この続きは、またPart.2
63年以後のヒット曲をまたお聴きをいただきますが。

イギリスで人気が高まっていくという・・・
そういうようなことも、お話ししたいと思いますが。

実はですね、ロイ・オービソン、今では日本ではかなり名前知られておりますけれども。

60年代の全盛期はですね、それほど日本では有名ではありませんでした。

人気がアメリカほど大きくないということを危惧した、ニッポン放送の亀渕昭信さんが、アルバムに入っております1960年のファースト・アルバム「ロンリー&ブルー」に入っております、この1曲を1963年にレコード会社を説得しましてですね、発売しましたところ・・

これが日本で大ヒットしまして。

これは日本でしかヒットしない曲となって認知されました。
ここからロイ・オービソンの知名度がドンと上がっていくというですね・・

で、この曲は「オンリー・ザ・ロンリー」の前にレコーディングされまして。

「オンリー・ザ・ロンリー」の

♪ ダン・ダンダン(by 達郎さん)

のスキャットのパターンっていうのは、この曲から始まった曲でございます。

こちらの方は・・・

♪ ダン・ダン・・・・(by 達郎さん)

こういう感じで始まるんですけども。

これを発展させて「オンリー・ザ・ロンリー」のイントロにしたということは、今では知られております。

当時はですね、こっちの「カム・バック・トゥ・ミー」が「オンリー・ザ・ロンリー」の後だとか、いろんなありますけども・・

歴史的な順序っていうのは、今でははっきりしております。
これを今日は、最後にお聴きをいただきまして。

1960年のアルバム「ロンリー&ブルー」から、63年に日本でシングルカットされました。
我々の世代にはお馴染みの曲です(笑)


♪ カム・バック・トゥ・ミー/ロイ・オービソン


今週のオンエア曲

14:04 ミラクル・ラブ/竹内まりや
14:11 ウービー・ドゥービー/ロイ・オービソン
14:14 Claudette/The Everly Brothers
14:17 アップタウン/ロイ・オービソン
14:19 オンリー・ザ・ロンリー/ロイ・オービソン
14:23 ブルー・エンジェル/ロイ・オービソン
14:27 アイム・ハーティン/ロイ・オービソン
14:33 ランニング・スケアード/ロイ・オービソン
14:37 クライング/ロイ・オービソン
14:40 ドリーム・ベイビー/ロイ・オービソン
14:44 イン・ドリームス/ロイ・オービソン
14:48 カム・バック・トゥ・ミー/ロイ・オービソン



テーマ : FMラジオ - ジャンル : テレビ・ラジオ


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