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音楽を聴いたり、そして達郎さんのコピー・バンドでライブ演奏したり・・・・
音楽が・・達郎さんサウンドが大好きな人間です。
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『山下達郎 40th Anniversary Special Part1 ライブ40年の軌跡』がNHK-FMで10月4日(後9:00~10:30)オンエアされました。

ということで、このブログでは放送のほんの一部をテキスト化しています。
誤字脱字は、ご容赦くださいませ。

◎ 冒頭

達郎氏:

みなさんこんばんは、山下達郎です。
この時間はNHK-FMの特別番組『山下達郎 40th Anniversary Special Part1 ライブ40年の軌跡』と題して、これから1時間半、10時半までお送りします。

えぇ、夏には私、NHKのこの番組出して頂きまして。
『山下達郎、シュガー・ベイブを語る』という、8月9日でしたね。
日曜日の深夜に放送させて頂きました。

今回もまた、おじゃまします。

私、その時も申し上げましたが、今年でデビュー40週年を迎えます。
すなわち、一番最初に始めましたシュガーベイブというバンドがデビューして40年。
ということは山下達郎もデビュー40週年を迎えるということになります。

翌年、ソロになりまして以来、39年活動をしております。
なので、この『40th Anniversary Special』、今日はライブの直前でございます。
今年のツアー直前でございますので、ひとつライブに焦点を絞って、この40年を振り返ってみようと、そういう企画でございます(笑)

で、一人だと、とっても寂しいので、今回はこの方にお手伝い頂きます。

クリス松村:

こんばんは。クリス松村です。

達郎氏:

よろしくお願いします。

クリス松村:

よろしくお願い致します!
40周年、おめでとうございます。

達郎氏:

ありがとうございます。
40周年なんて、あのぉ・・大げさなんですけど。

クリス松村:

いえいえいえ・・・
すごいですね、40周年という響きが・・・ま、私も40周年、途中からですけど。
私の山下達郎さんのファン歴から言うと、えぇ・・・30だから、8年位。
もう嬉しいです!

ファンとしても長い間、応援してこれる自分の好きなアーティストが、続けてくださってるということが、もう夢のようですし。

今も私の目の前に達郎さんがいらっしゃる事が、まずは信じられません(笑)

達郎氏:

丈夫じゃないと、できませんからね(笑)

今日はクリスさんにナビゲーターとしての番組進行、よろしくお願いしつつ、山下達郎40周年・・おそれ多いんですが、宜しくお願いいたします(笑)

クリス松村:

ハイ!よろしくお願いします!

40周年ということなんですけれども、ま、40周年といってもレコードデビューから40周年ですから、その前から、もちろん音楽活動されてたわけですから。

達郎氏:

シュガーベイブつくって43年・・

クリス松村:

今、お気持というのは、どんな・・・

達郎氏:

この間ね、とある雑誌のインタビューを受けたんですよ。
「戦後70年の節にデビュー40周年おめでとうございます」って。
それ聞いたら、ちょっとゾッとしてね。

クリス松村:

なるほど。
両方ともキリですけど・・・

達郎氏:

すごいです(笑)
考えるとすごいな、みたいな(笑)

クリス松村:

自由に音楽が出来るようになってという歴史もある・・
ポップスが広がってきたということですね。

達郎氏:

全くそうですね。
やっぱり、戦争挟んでるから、そういうキャリヤが少なかったですよね戦前の人達はね。
ですけど、戦後は大きな騒乱がなかったので活動できたと、そういうこともありますよね。
ありがたいことです。

◎ ポップスの歴史

クリス松村:

達郎さん、今、ポップスって申し上げたんですけど。
結局、新しい・・・何か日本人があまり流行らないような、当時はフォークとか演歌とか歌謡曲というのが主流の中で、新しいというか、ポップスを始めたということが、やっぱり凄いことなんですよね。

ポップスの歴史でもありますよね、達郎さんの歴史って。

達郎氏:

洋楽を聴いて、特にアメリカ、イギリス音楽聴いて育った人間なので。
それがこう、日本の音楽の中で、ミュージックビジネスの中で、どういう音楽をやろうかというような事を問われた時代なんですよね。

それまでは、そんな洋楽のようなものなんて、全く夢の夢で。
いわゆる歌謡曲とよばれる・・
もともとは洋楽の影響を受けて、戦前の藤山一郎さんとか、淡谷のり子さんとか、ああいう方も、向こうの歌曲とか、そういうものに影響を受けて始められたんですけど。

ほんとに、いわゆるロックン・ロールというか、1950年代位から始まったロックン・ロール、それから60年代にビートルズを代表するビッグネームがだんだん出てくる。
それが席巻してね、世の中を。

それの中で洋楽を聴いて育った人間が物心ついて、音楽をやるって時にどういう音楽をやるか。
そすと、それまでの歌謡曲とは違うものをやろうか、というような運動論が出てきたのが1970年代の頭ぐらい。

私もそれの波被って・・
へへへ(笑)

クリス松村:

達郎さんだと、オールディーズたくさん、いつも色々と聞かせて頂いてますけれども。
最初に正式なレコードデビューの前に、自主制作でビーチボーイズのカバーとかお出しになって。

あれは画期的ですよね。あの時代。

達郎氏:

オタクだったんですよ(笑)
要するに人の聴くようなものは、俺たちは聴かない。
もうちょっと、要するに渋い・・今だったら渋いとか・・
もう今は言わないか!

えぇ、クールなやつとか(笑)

差別化と一種の優越意識っていうか、あとは仁侠的というかそういうのもありますけど(笑)
色々なファクターが(笑)

クリス松村:

結局お好きだったから、おやりになったと。

達郎氏:

やっぱり、こう主流と言ったらビートルズとストーンズ、あとはツェッペリンと・・
ジミヘン・・・
そういうものじゃないヤツ。
ブルース・ベーシックじゃないヤツ。

クリス松村:

みんなの向かわない方向に行ってみようと。

達郎氏:

今でもそういう人、たくさんいるでしょ。

◎ ライブハウス

クリス松村:

そうですね。
でも、そういう音楽を例えば・・今回ライブがテーマなんですけど、ライブハウスでまた演奏しようとすると、どういう・・
私、当時存じあげないんですけど。

達郎氏:

ライブハウスって無かったんですよ。
僕らが始めた頃はね。

クリス松村:

無かった?

達郎氏:

無かった。
今みたいなライブハウスっていうのは、ほんと無かったんです。

クリス松村:

いつ頃から・・

達郎氏:

正確にいうと74,5年からですね。
その頃から、今のイベンターと呼ばれる人達が、いわゆるコンサート・イベンターですよね。
その前は、いわゆる歌謡界の世界は興行屋さんつって、もっとすごーく・・
そういう所だったんですけど、その中から学生、主に学生か学生あがりの人達がロック、フォーク、そういうものをやる場が無かったんで、そういう場を作ろうという。

東京のほんとに草分けっていうのは、ロフトとか渋谷の公園通りにあった「ジァン・ジァン」とか、今はありませんけど。
渋谷だと「青い森」とかね、そういうライブハウスが出てきたのが70年ちょっとくらいからですね。

クリス松村:

ライブハウスで最初に達郎さんが演奏なさって、その時のお客さんって、どういう層の方ですか。

達郎氏:

大学生、ほとんど。

クリス松村:

学生ですか。

達郎氏:

はい。

クリス松村:

反応はどんな感じでしたか。

達郎氏:

もう、ほんとにだから・・・1万枚売れない世界なんですよ、アルバムがね。
そん中で例えば、陽水さんの「氷の世界」とかは史上初のミリオンセラーのアルバムでしたけど。
でも、普通の人はやっぱり2,3千枚から6,7千枚。
2万、3万で大ヒットですからね、ロック、フォーク。

クリス松村:

今の方々はピンと来ないかもしれませんけど、昔はほんとにシングルもそうですけど、アルバムなんかもっと、売上が10万行ったら大ヒットという時ですよね。

達郎氏:

LPって、レコードってのは嗜好品というか、いわゆる高額な商品だったんですよね。
サラリーマンの初任給が6万とか、それくらいの時代に2千8百円とかしましたから。
それはやっぱり、すごく高いアイテムだったんじゃないですか。

クリス松村:

そうですね、私もそう思いました。

達郎氏:

でしょ(笑)

クリス松村:

あの当時思いましたし、ましてや2枚組とかある時はたいへんな気持でしたけど。
だから達郎さんの「IT'S A POPPIN' TIME」(笑)・・あれは随分無理してお作りになったというか、紙不足というか(笑)・・・たいへんな時にお作りになったアルバムですけど。
あれもたいへんですよね。

達郎氏:

でも、あれはライブだから、予算かかんないから、ライブでやたんですよ。
あれだったら2日で録れるじゃないですか。

クリス松村:

なるほど。

達郎氏:

それを普通のレコーディングにしたら、すごく予算がかかるから。
ライブ・アルバムだったら一発で出来るからという、予算ですね。

クリス松村:

あれはでも、初のライブ・アルバムということになりますけど。
私達は一般的には、あの「IT'S A POPPIN' TIME」の空気、あの会場でやった空気しか判らないんですけど。
でも、あれは独特ですよね。

達郎氏:

まぁ、あれ暴挙ですよね。

クリス松村:

いやいやいや・・・
凄いと思います!

達郎氏:

六本木ピットインという、いわゆるジャズのクラブで録ったアルバムですけど。
そこで、こうしたロック系の人がやったのは史上初だって言われてます。

クリス松村:

ちょうど達郎さんが練習をされてたというか、ライブというか、四谷かなんかでやられてた?

達郎氏:

もともと四谷の喫茶店に集まっていた仲間ってのがいましてね。
そこんとこで、大貫妙子さんをデビューさせようという、そういうプロジェクトやってたんですよ、皆でね。
皆アマチュアでしたけど。

そこに僕も参加して、それで大貫さんに声かけてシュガーベイブ作ったんですけどね。
1973年の話ですけど。

クリス松村:

大貫さんが他のバンドに、ほんとはデビューするはずだったのは、違っている時ですよね・・・

達郎氏:

大貫さんを、もうちょっとソロで、何とかしようと、そういうような事をやってたんですよ、みんな。
デモテープ作って。

クリス松村:

それがシュガーベイブの原型になってきたという。

達郎氏:

ええ。

クリス松村:

それではここで、シュガーベイブ時代の曲を何かやって頂きたいんですけど。

達郎氏:

今日はね、ライブスペシャルですので、今日持ってきたのは、なるべく最近のライブでお聴きを頂こうと思うんです。

基本的には全部CDになってないヤツで。

クリス松村:

うわぁ~素晴らしい!
ワクワクしちゃいますね。

達郎氏:

実を言うと、シュガーベイブの曲ってのは、ダウンタンとかパレードとか、ほんとにごく一部の曲しか、ほとんどやってこなかったんですよ。

2008年に、それまで10年近くライブが出来なかったのを再開して、今年は7年くらいになるんですが。
2008年再開してから、そうしたシュガーベイブの曲を沢山できるようになったんですよ。

これからお聴きを頂くのはシュガーベイブのレパートリーで、このあいだリマスターして出しました「SONGS」にも入ってるんですが、「今日はなんだか」という曲なんですが。

これは2010年10月27日の横浜でのライブなんですね。
今日は、そうしたライブソースなんですが、中にはPAアウトとか、あんまり音が良くないのもありますが、これはちゃんとミックスしたヤツなんで、いい音でお聴きを頂きましょう(笑)

クリス松村:

ありがとうございます!

達郎氏:

えぇ、2010年10月27日の横浜でもライブで「今日はなんだか」

♪ 今日はなんだか

◎ ボンバー

クリス松村:

今の演奏聴いてると、ワクワクしちゃいますね!やっぱり。
とっても、なんか、もうライブがあと5日後ですもんね。

達郎氏:

そうですね。

クリス松村:

そんな話もお伺いしたいと思うんですが、今、シュガーベイブのお話、最初の頃の話をしたんですけども。

大きく転換してきた、というか、山下達郎さんが、いわゆる一般的にドーンと出てきたという印象があるのが、ボンバー。

達郎氏:

そうです。

クリス松村:

大阪から火がつきましたボンバーなんですけども、これは、シングル化というかレッツ・ダンス・ベイビーと、両A面ではなかったんですよね。

達郎氏:

両A面じゃないです。

クリス松村:

突然入れ替わるくらいヒットになったんですけど、このヒットの要因というのは、何だったとお考えですか。

達郎氏:

あのね、口コミですね。

で、大阪は、アメリカ村っていう所がトレンドスポットだったんですよ。
いわゆるサーファーといわれるあの時代の、丘サーファーも含めて。
例えば、須磨とかあっちの方に行って、遊んでる人達・・ま、大学生くらいの年代ですけど。

その人達がディスコへ行って、誰かがたぶんディスコで僕のボンバーかけたんですよね。
で、大阪のディスコは洋邦、もう完全にごちゃ混ぜだたんですよ。
で、これは何だ?っていうことになって。

それで、どこでもボンバーがかかるようになったんですよ。
で、ラジオでもかかるようになって。
それであの時、シングル・・シングルってレッツ・ダンス・ベイビーとボンバーのカップリングですけど、あれが1978年の話ですけど。

アルバムが4枚目にして、初めてシングル・カットしたんです。
それまでシングル切ったことがない。

クリス松村:

ソロとしては初めてのシングル盤が「レッツ・ダンス・ベイビー」

達郎氏:

そうです。
で、大阪では仮のジャケット作って、ABひっくり返して。
プロモーションしたんですよね。

クリス松村:

プロモーション・・・
これは行けるって思って。

達郎氏:

そうです。

クリス松村:

ま、でも、元々ディスコで流行るということは、全く想定外ですよね。

達郎氏:

全く(笑)

クリス松村:

達郎さん自身、ディスコの音楽っていうのは、どんな・・

達郎氏:

ディスコ・ティックの音は好きですけど、自分がやるものじゃない。
ただ要するに、その・・・いわゆるリズム&ブルースが好きだたので、あの時代ね、ソウル・ミュージックですね、あの時代の。

そういうのをやると、当然、そういうこう・・何ていうのかリズムパターンってのが出てくるので。
ボンバーは完全に、その頃一番好きだったアイズレー・ブラザーズってのがあって、アイズレー・ブラザーズみたいな曲作りたいっていう、そういうもので作った曲ですのでね。

ボンバーが売れたんで、で、大阪にライブ行って、ようやくツアーの真似事みたいのが出来るようになりかけた時に、やっぱりれはシングルヒット狙おうっつんで「レッツ・キス・ザ・サン」を、いわゆる初めてのタイアップですよね。

クリス松村:

そうですね。

達郎氏:

79年ですから。

◎ 初のワンマン・ホールライブ

クリス松村:

もう、この事で、どうですか・・・コンサートの動員数っていうのは変わってきましたか。

達郎氏:

僕はね、でも、ライブの動員、そんなに困ったことないんですよね。
例えばライブハウスだったらライブハウスが満員になって、で、中ホールだったら中ホールが満員になって。

普通、例えばNHKホールでね、お客さんが400人しか居ないとか、そういう思いしたことないですよ。

クリス松村:

そういう大きなホールで・・

達郎氏:

そこそこ、7,8割は入ってるっていうか。

クリス松村:

それがちょうど、転換期というか、まさに「ボンバー」とか「ゴー・アヘッド」が出た78年の暮れに、初めて渋谷公会堂が・・・一番たぶん大きなところの最初ですよね。

あれはでも、最初、今までライブハウス的なところでおやりになって、そらからホール・・
その気持ちの切り替えっていうのは、何かありますか。

達郎氏:

やっぱりね、2000のホールでワンマンやるっていうのは意外とね、プレッシャーですよ。
僕、未だにそこの渋谷公会堂を出てく時のね、記憶って未だにありますから。

クリス松村:

どんな記憶ですか。

達郎氏:

やっぱり、ちょっと足がね、こう震えるっていうんですか。

クリス松村:

いわゆるステージに・・袖から出て行く時。

達郎氏:

出てく時。
その時はアカペラで入って行ったんですけど(笑)
それは、今でも覚えてますね。

クリス松村:

何の曲ですか、ちなみに。

達郎氏:

「マリー」です。

クリス松村:

「マリー」から!

達郎氏:

ポップ・イン・タイムの一番最後に入ってる。

クリス松村:

その時、会場が明らかに、素人の私から考えても違うわけじゃないですか、ライブハウスと。
やっぱり震えっぱなしですか。

達郎氏:

でもね、いや・・そうでもないです。
厚生年金とか、ああいう渋谷公会堂とか、やってないことはないんです。
けど、複数のバンド、4バンド、5バンドとかそういう・・

クリス松村:

フェスティバル・・

達郎氏:

え、いわゆる顔見世って昔言いましたけど、そういうもので、やったことありますけど。
やっぱり、ワンマンは全然違いますから。

自分が一人で対峙しなきゃなんないでしょ、お客と。
ライブってそういうところで、そういう意味ではね、ライブハウスでも600のホールでも1500でも同じですよ。気持はね。

クリス松村:

「ゴー・アヘッド」がもしかしたら、これで最後になるかもしれないっていうお気持ちもあって、しかもその中で初めての大きなホールでおやりになるっていう事もあって、何かこの両方が、そういうお気持ちにつながって行くのかなぁっていう。

◎ 青山純&伊藤広規

達郎氏:

渋谷公会堂は1978年の12月の20何日くらいでしたけど、そこが、それまでのポップ・イン・タイムを代表するスタジオミュージシャンをバックにしてやったライブの最後なんです。

ここから79年に変わってから、もっと言うとコンパクトなメンバーにして、それでツアーに出てくんですけど。

79年のおしまいに、伊藤広規と青山純という、ずっとその後やるリズムセクションがあるんですけど。
それと出会って、そこから本格的なツアーという。
そこの79年から80年っていうのが一番だから、そういうとこでは、大きい動きですね。

クリス松村:

青山さんと伊藤さんが入られたということで、大きくライブは変わられましたか?

達郎氏:

変わりました、それは。

あのぉ・・ドラマーとかね、特にドラマーなんですけど。
ドラマーって、得手不得手ってのが意外とある時代が多かったんですよね。

16ビートが得意な人、8ビートが得意な人・・なんですけど。
そういう出来ない曲みたいなのがあるので、そういう曲は結局出来ないわけでしょ!

それを、青山、伊藤広規ってのは、何でも比較的無難にこなせる二人だったんで。
それで初めてこう・・出来ない曲がなくなったっていうんですか。
それが非常にありがたいことで。

クリス松村:

つまり実現できなかったことが、どんどん・・

達郎氏:

そうです。

クリス松村:

ステージの上で実現できるようになったっていう。

達郎氏:

それで本格的ツアーが、年間60,70やるようになりますから、場数がこなせるっていうんですか。それまでツアーって言ったって、4本、5本ですから。
ほんとの意味でのツアー、ほんとの意味での全国ツアーが始められたのが、80年位からですか。

クリス松村:

それでは、曲をここで何かまたお聴きいただこうと思うんですが。

達郎氏:

この時代によくやった「Funky flushin」、これムーングロウのアルバムですが。
あと、話に出た「Bomber」。
ま、これはさんざんやって、最近やってないんですよね、「Funky flushin」ね。

なんで、これはちょっと古めの音源で1992年。
アルバムの「アルチザン」が出た時のツアーですね。
92年3月15日、中野サンプラザ。

くどいんです、これ(笑)、後半だから。
「Funky flushin」から「Bomber」いって、また「Funky flushin」に戻るというですね。
いわゆるオーラスの、アンコール直前の長演奏(笑)
どうぞ(笑) 

♪ Funky flushin~Bomber~ Funky flushin(1992年03月15日、中野サンプラザ)


◎ 定番曲

達郎氏:

Funky flushin~Bomber、また Funky flushinに戻るというしつこいパターンでございますが。
いつものアレでございますが。
92年3月15日、東京中野のサンプラザのライブソースです。

クリス松村:

いいですね!
これは、しばらくおやりになってなかった?

達郎氏:

最近やってませんね。

クリス松村:

これは、間違いなく盛り上がる!

達郎氏:

難しいんですよこれ(笑)、意外と。

クリス松村:

演奏が・・合わせるのが大変。

達郎氏:

割りとリズムパターンがね、整合性がね、イマイチ不完全な曲で。
パーカッションが必要になってくるんですね。
なので、ちょっとね、最近やってると、違和感がある(笑)

クリス松村:

そうですか。
でも、これは何か、ちょっと聴きたいですね。
リクエスト、ちょっとしたりなんかして(笑)

この「Funky flushin」も「Bomber」も絶対に盛り上がる、コンサートでやれば盛り上がることは間違いないですけど。

達郎さんのコンサートでの定番曲とか、盛り上がる曲って何かなって色々考えたんです。

達郎氏:

僕のライブって、別に盛り上がりを意識してないので(笑)

クリス松村:

いや、もちろんアレですよ。
静かなアカペラでも盛り上がるし、色々な盛り上がり方がありますけども。

達郎氏:

ふふふ(笑)

クリス松村:

定番曲っていったら、まぁ「レッツ・ダンス・ベイビー」

達郎氏:

んん。

クリス松村:

「Your Eyes」これはもう定番も定番ということ、ありますけど。
でも色々やって下さってますよね、最近。

達郎氏:

まぁ、「クリスマス・イブ」をやると、「クリスマス・イブやった」って喜ぶ人と、「またクリスマス・イブかよ」って、そういう具合に長くやってるとね二手に分かれてくるんですよね。

クリス松村:

これはね、去年、マニアック・ツアー、意外に皆さん、大好評でございましたでしょ?

達郎氏:

意外どころじゃないですよ。
毎年これでやれ、とかね。
冗談じゃないっつの。


◎ お客さんの層

クリス松村:

でも考えてみたら、最初に「ライド・オン・タイム」に行く前のお客さんの層と、それから「ライド・オン・タイム」以後のお客さんの層っていうのは、大きく変わりましたか?

達郎氏:

大きく変わりましたし、その後の80年代の後に、89年に「クリスマス・イブ」がヒットしてからのまたお客さんの層が大きく変わりました(笑) 

いつも大きく変わってるんですよね(笑)

クリス松村:

これ、すごく変な質問ですけど、ライブハウスで、まだそんなにチャートという意味では世に出ていなかった達郎さんを応援した方と、それから私達みたいにチャートとか、色々出てきてから応援しだした人と、クリスマス・イブ以降の方々と・・・

やっぱり応援の仕方とか、聴き方って違うと思うんですが。

達郎氏:

違いますね。

違いましたけど、今はそんなに・・・
ロフトでやってる時代からのお客さん、いますけど。
所詮、んん十人ですから、その時代はね。

だって荻窪のロフトって60人とか70人ですから、キャパシティが。

クリス松村:

タイムマシンがあったら、その時代に行きたいです(笑)。
その、ちっちゃな所で・・・

達郎氏:

だいたいそこで、シュガーベイブの解散コンサート見てた人は、みんなUターン族なので。
例えば、新潟にいらっしゃるとか、岐阜にいらっしゃるとか、札幌にいらっしゃるとか。
そういう方々が、その現地で来るので、そういう形になりますが。
東京はまた違いますので。

クリス松村:

その時の公演が開かないと、判りませんですよね。

達郎氏:

日本はね、狭いようで広いんですよ。
だから地方色って明らかにあるんですよね。

クリス松村:

どういうところが・・・

達郎氏:

やっぱり新潟は新潟のお客だし、京都は京都のお客だし。
仙台は仙台のお客なんですよね。
そういう地方の差っていうのは歴然とあって。

やっぱ、ノリがすごくいい所と、すごいおとなしい所と。
そういう所はありますから。


◎ クラッカー

クリス松村:

最近すごく、まあ・・・皆さん、私達も歳を重ねてきたんですけど・・
立って踊りたいときに、なかなかやっぱり周りを考えちゃうんですよ。
立ったら後ろの人が迷惑かな、とか。
色々考えるんですけども。

達郎氏:

考えるんですか、そんな事。

クリス松村:

考えますね。

達郎氏:

ウフフ(笑)

クリス松村:

だから「レッツ・ダンス・ベイビー」が出てくると何が嬉しいかと言ったら、これは立てる!
立って、踊りながらでもクラッカーを・・・

そういえば、色々アイテムありましたね。
この曲の、この部分でクラッカーを鳴らすとかっていう。
ああいうの、どこから生まれたんですか?

達郎氏:

自然発生です。

クラッカーはね、80年代六本木のピット・インでライブハウスでやってた時に、2人クラッカー持って来てて、突然パーンってやったんで。
それが全国に波及して今の状態になってますから。

クリス松村:

達郎さん、びっくりしませんでした?最初の頃。

達郎氏:

驚きましたけどね。
でも、全盛期の82,3年のサンプラザのクラッカーの数はね、そうれはもう・・・
今みたいに、ほら、飛ばないクラッカーとな無いから。
全部火薬ですからね、あの当時は。

それはね、凄いですよね、煙が。

クリス松村:

うわぁ、それじゃ充満して・・・
大丈夫?鳴りませんでしたか?
報知器みたいなの(笑)

達郎氏:

んん、大丈夫でしたけど。

今でも全国のホールでは、クラッカーやめてくれとか、そういう支配人いますけどね。

クリス松村:

クラッカーだめでホールが使えなかったという時もあったんですか。

達郎氏:

いや、そういうとこには行きません、もう。

クリス松村:

あ、なるほど!

達郎氏:

え。

クリス松村:

じゃもう「レッツ・ダンス・ベイビー」は、とにかくクラッカーありきで。

達郎氏:

しょうがないですよ。
でも、もうほら、お客も大人だから。

そんな事ね、いちいち規制したって、しょうがないんですよ。
別にちゃんと節度あるから、みんな。
僕のライブは、1曲めから総立ちのライブじゃないから。
別に「ワ~」だの「キャー」だのじゃないから。


◎ セットリストの考え方

クリス松村:

定番曲とかもあるんですけども。
セットリストっていうのは、去年だとマニアックツアーで、判りやすいテーマがあったんですけど。

普段のツアーは、アルバム出した時のツアーもありますし、それ以外のツアーもありますけど。
こういうセットリストっていうのは、どういう風に決めていかれるんですか。

達郎氏:

思いつきですね(笑)

クリス松村:

思いつき!?

達郎氏:

長くやってますと、曲が多いので。
2008年に復帰してからは、完全ライブ主体って割り切ってますが。
今までは、その前まではアルバム出ないとツアーやらなかったんですよね。

アルバムの紹介っていうか。
ツアーはあくまでアルバムの販促活動って言いましょうかですね。
販売促進っていうか、そいうものだったんですけど。

2008年から完全にライブ主体なので。

そうすると、それまで結局アルバム出してツアーやるっていうと、アルバムの曲が主体になるので。

そすと初演して、アルバムの曲やってから、それからもう30年やってないとか、そういう曲ばっかりなんですよね。

クリス松村:

その時、1回だけで終わってる曲、随分ある・・・

達郎氏:

そういう曲が随分あるので、去年のマニアックツアーなんかでも、そういう曲を、まぁちょっと主体にね。

特にシングルヒットじゃない曲は、そういう曲ばっかりなので。

クリス松村:

盛り上がりましたよね、あれもね。

達郎氏:

だから、そういうことを2008年から繰り返していくと、だいぶそういうものが埋まって来たんですよね。

今年は、まあ一応40周年記念のツアーなので、すごくベタでやろうと思ったんですけど。
やっぱりだから、シングルヒットでもハッと気が付くと20年、25年やってない曲が割りと、少なからずあるのね。

そういうのをちょっと拾ってやろうかなって。

でも、要するに思いつきですよね。
あと、演奏しやすいヤツ。
歌が疲れないヤツ。

クリス松村:

すごく楽しみにしてますけれども。
それでは、ここでまた何か曲を一曲。

達郎氏:

定番曲といえば定番曲で、一応シングルヒットなんですけど。
これも暫くやってないので(笑)
今年どうしようかと考えてるんですが。
「Get Back in Love」

1988年のシングルですけれども。
99年の「COZY」のアルバムの時のツアーですね。
NHKのホールで。
私の誕生日、2月4日に演奏しております。

♪ Get Back in Love(1999年02月04日 NHKホール)


◎ ホールの良し悪し

クリス松村:

いろんなホール、今回もツアーありますけれども。
達郎さんのやり易いホールでしか、やらないとは思うんですけど、良いホールとか悪いホールっていうのは、どういう事で決まっていくんですか。

達郎氏:

あのね・・・えと・・・
意外と地方のホールって、良い所が多いんですよね。

クリス松村:

地方が良い?

達郎氏:

え。
東京のホールで、良いところってほとんどないですね。

クリス松村:

えっ、そうなんですか?

達郎氏:

残念ながら。
むしろ、2千とか3千とか、どんどん、どんどん拡大してるじゃないですか。
アリーナになったら、それはホールじゃなくてパーティー会場なので。
音響っていう意味では、もうそれは望むべくもないですけど。

まあだから東京で一番いいホールはNHKホールですよね。

あれは、やっぱり拍手が降ってくるっていうんですか。
そういうホールがね、大阪のフェスティバルホールとか・・・

なんですけど、そういう所はやっぱり・・・
NHKホールは3700あるので、意外と大きいんですよ。
だけど、その割にはきちっとしたホールで。

そりゃ、やっぱり紅白のところですからね。
あと、色んな音楽をやってるでしょ。
それこそ花のステージからジャニーズ・ジュニアからベルリン・フィルまで。

クリス松村:

そうですね、演歌からクラシックまで。

達郎氏:

ありとあらゆる種類の音楽を、要するに吸っているので。
でも、いわゆるマイナーなホールって、ごく一部の音楽性しかやらない、例えばクラシックしかしないとか、ビッグネームのオーケストラやれないとか。

そういう所だと音が、何ていうのかな、まとまってこないっていうんですか。

クリス松村:

今まで、おやりになって、コンサートが始まったら、あるいはリハーサルしたら、”あぁ、ここでやんなきゃよかった”ってとこもあります?

達郎氏:

あります。もちろん。

クリス松村:

あぁ、なるほど・・・

達郎氏:

得てして、古いホールっていいんですよね。

八戸とかね。
この間、長岡でやりましてね、長岡も1500の1階しかないホールで。
そういう古いホールがね、やっぱり音が染みてるから。

クリス松村:

それは意外にお得情報かもしれませんね。
そこまで遠征に行って聴く価値があるくらい違うっていう。

達郎氏:

釧路とかね、青森、鹿児島、長野・・
そういうところは良いホールがありますよね。


◎ ライブで演奏できない楽曲

クリス松村:

そういう音響とか、そういうところもあるんですけど。
逆に、そういうホールで条件が揃ったとしても、レコーディングはしたんだけど、演奏をコンサートでやるのは、難しい曲っていうのは・・・

達郎氏:

ありますよ(笑)

クリス松村:

例えば、これはどんな曲なんでしょうね。

達郎氏:

去年のマニアックツアーでも申し上げましたけど、キーの設定間違えてる曲ってのがありましてね。

クリス松村:

あらっ!!
おっしゃってましたね。

達郎氏:

何かと言うと、昔はね高いキーで歌いたがるという悪いクセがあったんで。
実は「レッツ・ダンス・ベイビー」ってのは、キーが1音下がってるんですよね。

それはもう、ライブで最初にやった時から1音下げて歌ってます。

それはもう完全にキー設定間違えて、Bフラットで歌っちゃって。
で、今、Aフラットでやってるんですけど、それは途中で下げたんじゃなくて、初めからそれでやってるんです。

そうじゃないと、ライブじゃできないので。

そういうような曲はたくさんあります。
そうすると、すぐ「下がった!」とか言われて。

クリス松村:

「ムーングロウ」なんかは、割りとライブを見据えて全部・・作られて。

達郎氏:

そうですね、適正キーでやってます。

クリス松村:

逆に私達がよく、お話でお伺いするんですけども。
デジタルの時代になっていくじゃないですか、「土曜日の恋人」とか「ポケットミュージック」。

ここら辺からっていうのは、何でしょうね、ライブで演奏するって事っていうのが、レコーディングとやっぱり随分違うので・・・

達郎氏:

違いますね。
人数、数頼めば出来るんですけどね。
キーボード4台使うとか、パーカッション4人来てやるとか・・
やれば出来るんですけど。

あくまで、僕のところ10人編成なので。
僕入れて、リズムセクション6人で、サックスが1人いて、それでコーラスが3人で、合計10人なんですけど。

10人でなるべく、やれるように。
テープを使わない。
今、結局テープ使ったら何でもできるので。

クリス松村:

なるほど。

達郎氏:

それ、つまんないですよ。

クリス松村:

はい、そうですね。

達郎氏:

特に今、映像主体になって、レーザーとかプロジェクションとか、そういうもの多様するようになると、必ずドラマーがクリックって、リズムボックス聴きながら、映像とシンクロさせるという口実で。

結局それだったら、カラオケでやりゃいいじゃないかって。

僕のところは基本的には全部人力なので。
クリスマス・イブだけはしょうがないから、テープ使いますけど、1人アカペラなので。
それ以外は、基本的に人力でやろうと思うと、出来ない曲がでてきます(笑)

「踊ろよ、フィッシュ」とか出来ませんね。
歌がめちゃくちゃ難易度が高いのと、あれは6リズムだとアレになんないので。

あと「ヘロン」だめですね。
「ヘロン」やろうと思ったら、やっぱりキーボード4人位いて、寄ってたかってやらないと。

クリス松村:

一曲にかける力がたいへんで、それでツアーが一時間くらい終わっちゃうんじゃないかって(笑)
そのくらいの事なんですね。

達郎氏:

演奏時間が、例えば3曲で「ヘロン」一曲やれって言ったら出来ますけど。
3時間半の中で、やれっていうと、ちょっと辛いです(笑)


◎ 体調管理

クリス松村:

なるほど・・
それだけの長い時間、しかも1回も引っ込まないですよね。

達郎氏:

そうです(笑)
僕の場合はね(笑)
休憩なし(笑)

クリス松村:

ずーっと・・・
しかも拡声器を持ってガラパゴスやるまで(笑)ずっといらっしゃいますけども。

達郎氏:

すいません(笑)

クリス松村:

やっぱり、そこまでの体調っていうんですか、整える秘訣っていうか、何かやられてる事ありますか。

達郎氏:

僕、長く生きててね、肩こりとかね・・・
例えば、腰、割りと強いんです、僕。
だからギター抱えて腰が痛いとか、そういう経験ないんですよ、一度も。
今まで。

腰はおかげさまで、背筋はそれなりに強いので。

ただ、まあツアー始まる前は、それなりの、例えばウォーキングとか、そういうことはしますけどね。

クリス松村:

やはり運動というか、少し動いたりとか・・・

達郎氏:

日常的にやってますから。
だいたい1日、週に何回か1時間程度歩くと、それは随分前からやってます。

クリス松村:

アカペラもそうですけど、喉をやっぱり、かなりお使いになるから、喉のケアっていうのは、一番気にすることは何ですか。

達郎氏:

睡眠ですね。

クリス松村:

寝ることが一番大切にすると。

達郎氏:

残念ながら声は回復する方法、ないので。
休息以外い無いんですよね。

クリス松村:

なるほど、休む以外にない。

達郎氏:

例えば「のど飴」とかね、そんなもんじゃ治りませんから。

クリス松村:

睡眠を長くするっていうことが一番。

達郎氏:

そうですね。

クリス松村:

次に曲を聴いて頂こうと思うんですけど。

達郎氏:

最近の曲でいってみましょうかね。
「ずっと一緒さ」

これは2008年だからシングル出た時のアレですね。
あ、これ大阪フェスティバルホールのアレだ。
昔のフェスの最後の・・・

クリス松村:

まだ、取り壊される前の、最後の時ですか。
うわぁ~、貴重ですね!

達郎氏:

12月28日
その時の「ずっと一緒さ」

♪ ずっと一緒さ(2008年12月28 大阪フェスティバルホール)


◎ アカペラ

クリス松村:

いろんな時代の音源を聴かせて頂いてますけど、一番最近ですよね、今日かかった中では。
なんか安心しますね(笑)
声が若い時の声も素晴らしいって思うんですけど、「ずっと一緒さ」は今、安心して聴きましたけど(笑)

達郎さんと言えば、何しろアカペラ。
ずっと続けてらっしゃるアカペラの活動というのがあって。
「ON THE STREET CORNER」、これが1~3まで、1980と86と1999、出てらっしゃいますけど。

これはもうアカペラの存在というんですか、これが何だろう・・日本人の、まだ歌謡曲脳っていうんですか、そういう所に大きく広がったきっかけになったと思うんですけど。

達郎氏:

暴挙ですよね(笑)

クリス松村:

いえいえいえ・・
「ライドオンタイム」がヒットして、この次に・・・
アルバムがヒットしてからすぐでしたね。

アカペラを出そう、あるいは、やろうというのは昔からやってらっしゃった訳ですから、出そうと思ったきっかけは何だたんですか。

達郎氏:

僕の場合は、1人アカペラで1人で多重でアカペラ作るって、すっごい変なやり方なんですけど。

ドゥー・ワップが好きだったんです。
50年代の、いわゆるアメリカのリズム&ブルースですよね。
だけど、誰も友達いなかったんです。
一緒にやろうって言っても、誰も「何それ?」って。

そんなのばっかりだったので、しょうがないから1人で淋しく多重録音でやってた。

クリス松村:

多重録音とかいう事もポピュラーじゃないから、「YOU BELONG TO ME」が流れてきたら、これが1人でこのコーラス、これも?あれも?全部自分でやってるの?
っていう衝撃がすごかったですね。

達郎氏:

何をやりたいって言ったら、リード・ボーカルをやりたかったんです。
”See the pyramids”
って歌いたかっただけなんです。

なんですけど、それアカペラでやりたくても、誰も付き合ってくんないから。
それだったらしょうがないから自分で1人で多重録音のカラオケ作って、それでやろうかなって、いうアレですけどね(笑)

クリス松村:

多重録音って、今は普通に多分言ってますけど、多重録音をするっていう、方法っていうんですか、それは大変な・・・
当時はどんな感じだったんですか。

達郎氏:

リズム・ボックスがありますよね。
ドンカマって言いますけど。

今みたいな、きちっとしたクリックじゃなくて”チキチキ・キッチョン”みたいなヤツがあって。
それにピアノでガイドのコードを入れてやって、それを元に、だいたい3パート・ハーモニーですから、1つのパートを2回か3回入れて。
3回入れると3×3=9でしょ。

で、ベースを入れて、それで12。
で、まあトップのラインが15
それにリードボーカル入れるって、そういう段取りですけど。

クリス松村:

やっぱり大変・・

達郎氏:

クリスマス・イブの間奏、50なんぼで、あれ8時間くらいかかりましたよね。
最初はね、始めた頃はあれですね、78年の「マリー」ってのがあって。
その前がCMで何回かやったことがあって。

クリス松村:

炭酸飲料のCMでやってましたね・・・

達郎氏:

そうですね。
その時から始めたんですけど。
初めは雰囲気でやるので、「うー」だの「あー」だのやるんですけど。

全部で15入れるとして、1から15まで15回やるわけです。
そすとね、人間って面白いもので、バイオリズム持ってるので、リズムボックス聴きながらやるでしょ、そすとね、1回目と15回目でね無意識にずれるんですよ。

だんだん、だんだんビートに合ってくるんですよ、体がね。
合う前のヤツに比べて、だんだん、だんだん重くなってくるっていうか。
そうすると、ズレちゃうんですよね。

それをズレないように、初めから同じでやるのに1年位かかりましたよ。
肉体的に訓練するってのは。

クリス松村:

肉体的訓練が・・・

達郎氏:

ちゃんとリズムボックスに初めからジャストで合わせる訓練ってのをやって、それで1年位かかりましたね。
どうしてもズレるんですよ。

それを初めの1年くらいやって、ようやく合うようになって、それでこれは面白いっていうんで、どんどんライブでアカペラやるようになって。
それが溜まって「ON THE STREET CORNER」になったんですけどね。

クリス松村:

でも新しい、まさに・・日本の音楽界・・

達郎氏:

これは新しかったですね(笑)

クリス松村:

扉を開いたっていう(笑)

達郎氏:

別にね、新しいことをやろうとかじゃない(笑)
やりたかっただけなんですよ(笑)

クリス松村:

ちょうど、だから80年というと、ラッツ・アンド・スターとかシャネルズがいて。
ちょうどドゥー・ワップっていうのが・・
でも達郎さんのは、また違いますからね、全然これは(笑)
1人多重録音!

達郎氏:

変態ですよ、ほんとに(笑)

クリス松村:

レコーディングで楽しいんだけれど、楽しいから多分それだけ時間かけられたと思うんですけど、ご苦労なさった事っていうのは。

達郎氏:

アカペラはね、絶対に1日で仕上げなきゃなんないの。
バイオリズムの問題があって。

例えば4声やって、2声今日やって、次の日2声やるでしょ、どんなに自分で同じだと思っても、訓練してても絶対にズレるんです、ノリが。

だから今日出来なかったら、翌日もう1回オールクリアしてやるしかない。

クリス松村:

その日のバイオリズムっていうのは、その時しかダメ。

達郎氏:

その時しかダメなんです。
だからカラオケはその日に作っちゃわないとダメなんです。

だからクリスマス・イブとか、ああいう混み入ったものになると、すごい大変で。
だから8時間かかるんですね(笑)

クリス松村:

でも何となく、やった事はないですけど、何かお話聞いててバイオリズムの話、すごいよく分かりました(笑)

それでは「ON THE STREET CORNER」から何か1曲。

達郎氏:

今日はライブ編なので、要するにライブでやりたいので1人アカペラ作ったのが最初なので。
これ、一番今日、お聴きいただく中で古い音源なんです。
1986年、ポケットミュージックのツアーですね。
10月19日の何故か郡山なんです。
これは割と歌が良い出来なので聴いていただきます「So much in love」。

それで、ついでですので、カラオケで途中で歌うんで、さんざんエスカレートしてオーケストラでスタンダードやりたいとかで始まって。
シーズンズ・グリーティングスっていうクリスマス・アルバム作った時に入れた「煙が目にしみる」これもついでに聴いて頂きましょう。

♪ So much in love(1986年10月19日、郡山)

♪ Smoke gets in your eyes(1999年02月04日、NHKホール)


◎ 今年のツアー

クリス松村:

達郎さん、いよいよ5日後の9日から35都市、64公演のロングツアーですよね今回は。
始まりますけども、ほんとに楽しみなんですけど。

マニアックツアーがあって、この対局にあるのでは、というか、達郎さん去年、なんか少し、来年は派手にしまーすみたいな事もおっしゃったような気がするんですけど。

どんなツアーになると思ったら、いいでしょうか(笑)

達郎氏:

これがですね、なかなか迷うんですよ。
曲がですね多すぎるんですわね。

クリス松村:

いやぁ、多すぎるどころじゃないですね。
何でしょう、もう12時間くらいやって頂きたい(笑)

達郎氏:

何をやろうか、じゃなくて、何をやらないかで悩むんですよね。

クリス松村:

候補はいっぱい挙がるけれども、結局時間制限があるから。

達郎氏:

今回のリハーサルも40曲近く、結局あれしたけど、半分くらいしか出来ませんから。

クリス松村:

ちょっと待って下さい!
40曲、リハーサルで、もうおやりになってる!

達郎氏:

やってます、はい。

クリス松村:

そこから削る作業をなさってる・・・

達郎氏:

しょうがないから、もう泣く泣く落としてますが(笑)
去年はマニアックツアーといって、ほんとに普段やってない曲ばっかりなので、こっちの方が決め易かったんです(笑)

クリス松村:

なるほど。
もっと限定的に出来るから。

今回は40周年記念・・・

達郎氏:

だから、せめてね、なるべく明るい曲で揃えて、暗い曲やめようと。
暗いっていうか、辛気臭い曲はやめようと。

クリス松村:

辛気臭い?

達郎氏:

マニアックな曲はやめようと(笑)

クリス松村:

でも、そういうのが好きな方もたくさんいらっしゃいますからね(笑)

達郎氏:

でも、マニアックでも明るい曲!

クリス松村:

ちなみに、去年のマニアックツアー Performance 2014、この曲順というのは、どういう風に決められたのか、あるいは、ここでも削った曲があるのかどうかっていう。

達郎氏:

自分がやりたい曲が優先になりますね。
歳もとってるし。
だから今年のツアーも去年のツアーでも、やっぱり非常に対照的なんですけど、選曲が・・・。

だけど基本的には自分がやりたい曲っていうか、そういうものですね。

聴いてて面白い曲とね、やってて面白い曲、違うんですよ。
それが演奏者と観客の、ある時点ではギャップになったりするんですよね。

クリス松村:

観客が聴きたいっていうものと、演奏してる側の気持が違う。

達郎氏:

違いますね。
だから、やってるヤツはえらい盛り上がってるけど、お客白けてるみたいなライブあるじゃないですか。

逆もありますよね。

お客がわーわーしてるのに、もう全然やってるヤツは冷めてるみたいな。
そこのやっぱり、上手いコラボレーションというか、幸福な共存っていうんですかね。
観客と演奏者の。

そういうのは若いころは心がけがありましたけれど、だんだん歳とってくるとね(笑)

クリス松村:

40年ですからね・・

◎ マニアックツアー

クリス松村:

去年もほんとにたくさん、マニアックな曲をやって頂いたんですけど。
今だから言える、ギリギリ落とした曲なんてありますか。

達郎氏:

随分ありますね(笑)

クリス松村:

私、名古屋のボトムライの方には行けなかったんですけど、あそこでは演奏されたんですか。

達郎氏:

いや、それの時は、割りとそうでもないですね。
ベタな曲ですね。
「LOVE SPACE」とか、それ一昨年やりましたので。

「ブギウギ・トレイン」とか夏フェスとかでやる・・・
おかげ様で6,7年同じセッションでやってるので、ぱっとやっても出来るんですよ。今はね。

だから、ほんとはね(笑)
こういうツアーで毎日演る曲変えるとかね、そういうのが面白いんだけど。
そすと、僕が凄くストレスが溜まるので。

クリス松村:

もう例えば40曲リハーサルは終わっていても、やっぱり曲順が変わってきたり、構成が変わってくると・・・

達郎氏:

イヤです。
僕の場合は全部同じじゃないとダメなんですよね。
64本だったら、64本全部同じセットリストじゃないと、僕ダメなんですよね。

ボブ・ディランみたいに毎日変えるみたいにね。
そういうのダメなんですよ。
コンセントレーションが保てないんですよ。

クリス松村:

最初に結構、ツアーの初日なんかは、割りと曲目が1,2曲多いような。

達郎氏:

多かったりしますけどね。
最近では、そういうのが、だいぶ減って。
昔は曲順自体が変わったり、違う曲になったりっていうのが1週間くらい続くとかね。
そういう事がありましたけど。

最近はおかげ様で、だいたい初日のセットリストでそのまま行けますね。

クリス松村:

このマニアックツアーの話を終えて、なんかかけたい曲って・・

達郎氏:

マニアックツアーっていうのは、いろいろやりたい曲があったんですけど、この曲が一番やりたかったので。
これは「イッツ・ア・ポッピン・タイム」といって1978年のライブアルバムにしか入ってない。

ライブアルバム用に書き下ろした曲なんですよね。
意外とこの曲、僕好きで(笑)

全然やってなかったんですよ。
それこそ30年ぶり!
30数年ぶりにやった曲なんですけど。

意外と良い出来なので。

去年のマニアックツアー29公演だったんですが、それが終わって10月10日にですね、名古屋のボトムラインでライブハウスで、33年ぶりにライブハウスでやったんですよ(笑)
その時の録音です。

PAアウトですけど、宜しくお願いします。

♪ 雨の女王(2014年10月10日、名古屋ボトムライン)


◎ 40周年のツアー

クリス松村:

今回は40周年ということで、35都市64公演のロングツアーなんですけど。
今回ね、表現したいというか、ものっていうのは・・・
40周年っていうのが、そうしても私達の中では、頭にあるんだけども(笑)

達郎さんの中では、やっぱりやりたい曲をやるっていう事なんでしょう・・・

達郎氏:

いや、ベタなツアーにしようと思ってたんですけどね。
去年のマニアックツアーやった時は来年はベタで行きます・・・そうでもないですね。

クリス松村:

そうでもない!
という事は、もしかしたらマニアック・コーナーがあったりする(笑)

達郎氏:

先程も申し上げたように、明るい曲、辛気臭くない曲ね。
それで自分がやりたい曲。
自分がやってて楽しいやつ。

優先順位、色々あって。
そういうので、いこうかなって思ってるんですよね。

今回はだから、初めて北見とかね、北見は生まれて初めてなんですよね。
三重も生まれて初めてです。
そういう初めてのところが未だにあるという。

クリス松村:

初めてのところが40年経っても、あって。
結構ワクワクなさってますか。

達郎氏:

そうですね。北見・・もうすぐ網走ですからね。

クリス松村:

そうです、もうちょっと行けばっていう。

達郎氏:

ありがたいことです。

クリス松村:

でも「ゴー・アヘッド」の頃の心境からしたら・・

達郎氏:

夢のようですよ。
しかも、まず、だいたいオリジナルキーでやれてますから。
ありがたいことですね(笑)
それはもう、神様に感謝するしかないですよ。

クリス松村:

なんか凄く楽しみですね。

達郎氏:

頑張りマース!

クリス松村:

それでは、曲をお願いしたいんですけれども。

達郎氏:

2012年のライブ、2012年3月31日、神奈川県民。


♪ 恋のブギウギ・トレイン(2012年03月31日、神奈川県民ホール)

◎ エンディング

達郎氏:

というわけで、山下達郎がお送りして参りました『山下達郎 40th Anniversary Special Part1 ライブ40年の軌跡』、そろそろお別れの時間が迫って参りました。

クリス松村:

とても短い時間だったんですけど、今日は達郎さん、如何でしたか。

達郎氏:

全部ライブって珍しいですよね。

クリス松村:

そうですね、全部音源がライブっていうのは。

達郎氏:

それもNHKで。

クリス松村:

もうこれ、マニアック(笑)

達郎氏:

ふははは(笑)

クリス松村:

ある意味、マニアックですよね(笑)
聴いてる皆さんは既にお気づきかもしれませんが、今回の番組のタイトルは『山下達郎 40th Anniversary Special Part1 ライブ40年の軌跡』ということだったんですけど、パート1と付いてるんですけど、どいうことはパート2はあるんですよね。

達郎氏:

今の情報だと、冬にお送り出来るのではないかと。

クリス松村:

それは、もうね、パート2が、どんな内容になるのか、凄く楽しみですね。

達郎氏:

数日後にライブがスタートしますので、ライブを先にやっちゃったんですよね。
ですのでパート2は40周年の40th Anniversaryなので、レコーディングソースを中心にアレなんじゃないですかね。

クリス松村:

すごく楽しみです!

達郎氏:

という訳で『山下達郎 40th Anniversary Specialライブ40年の軌跡』パート1でございました。
この時間のお相手は、私、山下達郎と・・・

クリス松村:

クリス松村でした。

達郎氏:

どうもありがとうございました。



~END~
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