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DATE: CATEGORY:山下達郎サンデーソングブック 
モータウン特集第2回目、今週の最後の曲はジャクソンファイブの「I Want You Back」。
達郎さんは、この曲を最後に流すことに因縁を強く感じるとおっしゃってます。
おそらく悲報が入る前に番組構成(ジャクソンファイブの曲を最後に・・・)がされていたのだろうと思います。
放送内容をテキスト化してみました。誤字脱字はご容赦のほどを。

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思い起こしますとコンサートのリハーサルから始って、もうはや8カ月余り近くがたちますが、殆どその間仕事ずーっとやっていた、ありがたいことです。

それでももう6月も終わりでで、いよいよ今週シングルの最終ミックスダウンでマスタリングで工場へ行く、来週めでたく工場に納入したというご報告ができれば。

番組はモータウン特集・アーカイブ。13年前にこの番組で行いました企画の再現放送。今週はその2回目になります。1960年代を代表する黒人音楽のレコードカンパニー、モータウン。
レコード会社ということを飛び越えまして、ひとつの音楽スタイルあるいは社会現象にさえなりました。

今年はモータウン50周年でありまして、いろいろなところでモータウンについて語られております。
今更モータウン特集なんて誰がやっても同じじゃないかという感じも致しますけれども、山下達郎なりの、いろいろ工夫を凝らし、特になによりもビギナーの方に良く分かってお分りいただけることを目指しまして、昔から語られてきました黒人音楽。

これはソウルとかソウルじゃないとか、あるいは商業的な問題、よく言われますがモータウンは白人に媚を売っているとか、そういう評論家的な事柄はあまり気に留めずに純粋に音楽的なことだけに着目していこうと、13年前と同じく今回もそういう風に思って始めております。

先週はモータウンの誕生、ベリー・ゴーディーという一人の男が設立した小さななレコード会社がだんだん成功して大きくなっていく過程、モータウンレコードの創設当時の歴史をお届けいたしましたけれども、今週はモータウンの全盛期、1964年から70年代に足が、かかるあたりまでのモータウンの黄金時代、我々が今日モータウンサウンドと呼ぶ場合、まさにこの時代の音のありさまを指すわけです。

ですので、今週は有名ヒットソングが、後から後から登場いたします。
今日もまた時間の関係で若干駆け足で行かざるをえません。
55分間にいつも以上にかなり詰め込んでお届けいたしますので、いつもより増して早口です。そこいら辺一つご容赦して、先週に引き続きモータウン特集・アーカイブPart2。
全盛期のモータウンサウンドの数々を本日はお聴き頂くことに致します。


4週間の予定でお届けいたしますモータウン特集・アーカイブ。今日はその2回目でございます。
先週はモータウンの発生から、その爆発前夜まで。
今週第2回目は、まさにその全盛期・黄金時代。

モータウンの全盛期はさいさん申し上げておりますように1964年から1968年くらいまでのことを指します。
我々が今日モータウンサウンドとかモータウンの音楽とか称する場合には、まさにその時代に製作されたレコードの数々のことを想定しているわけでございます。

現在も脈々と続いております、アフリカン・アメリカンミュージック、ブラックミュージック、リズムアンドブルースとかソウルミュージックと呼ばれる音楽様式の編曲技法、作曲技法といった音楽的要素から始まりまして、タレントやレコードを売り出すマーケティング、プロモーションに至るまでアフリカン・アメリカンミュージックの宣伝、制作ノウハウというものは、この時代のモータウンの方があるいは転換点とするということができると思います。

(1) Where Did Our Love Go/The Supremes

1950年代までは黒人の作る音楽というのはレイスミュージックなどという言われ方をしておりまして、黒人の聴衆向けのみ制作されているレコードがほとんどでありました。
それが1950年代のロックンロールというかたちで白人の、特にティーンエイジャーの子供たちが黒人音楽の世界に興味を持つようになりました。

イギリスをはじめとするヨーロッパでは、こうした現象がさらに大きなムーブメントとなりまして60年代に入るころには黒人音楽が白人の聴衆にもかなりふつうに聞かれるようになりました。それは音楽的にも商業的にも大爆発させたのがこのモータウンというレコード会社でありました。

当時の白人の一般聴衆は、まだまだ黒人音楽の持つ特有の熱気とか、泥臭さ、あるいは性的なメタファーといったものに対して苦手意識が多かったので、そこで黒人の歌ってる音楽なんだけれども、より口当たりのいい聴きやすいものへと、モータウン音楽は白人マーケットのためのニーズを開発していき、またそれについれてどんどん変わっていいきます。

先週のモータウンの発生時期の音楽をお聴きをいただきますと、50年代の泥臭いフィーリングがまだ感じられる、そういう作品が結構ありましたけれども、だんだん60年代中期になってまいりますと、そういうものがどんどんソフィシティケイト、優しく口当たりが良くなってまいります。
その結果としまして、世界的なモータウンのブームにつながるわけであります。

その皮切りとなりますのが1964年、そしてモータウンのソフト路線で最も象徴的な存在として登場致しますのが、「Supremes」という女性ボーカルグループであります。

主役はリードボーカルのダイアナロス。
結成当初はダイアナロスがリードボーカルではなかったのですが、その後だんだんダイアナロスを主役にする形で路線変更が加えられました。

そこに現れたのがソングライターチーム、ホーランド=ドジャー=ホーランド(Holland-Dozier-Holland)という3人組の作曲チームで、これは後でご説明しますけれども、この作曲家チームは「Supremes」の曲を書くようになりましてからデビュー時はしばらく泣かず飛ばずだったこの「Supremes」というグループがいきなりヒット曲を連発するようになります。

それの皮切り1964年全米No.1になりました本日1曲目にお聴きをいただいております「Where Did Our Love Go」邦題「愛はどこに行ったの」という、これを手始めに1968年までに実に12曲のNo.1ヒットが出ます。

これは13年前のデータでは女性ボーカルグループとしてはいまだにアメリカの記録でも打ち破られてないという、今は誰かが破ってるかもしれませんが。
特に凄かったのは64年の「Where Did Our Love Go」を皮切りにですね5連発、1年間に1位の曲が5曲連続して出るという記録です。恐怖の5連発。

そこで本日は、この「Where Did Our Love Go」から始まりまして64年から65年にかけて「Where Did Our Love Go」、「Baby Love」、「Come See About Me」、「Stop! In The Name Of Love」、「Back In My Arms Again」の5曲、5連発。

私自宅でエディットしてメドレー作ってまいりましたので是非お聴きをいただきたいと思います。それではちょいと戻りまして再び「Where Did Our Love Go」からどうぞ。

(2) Where Did Our Love Go/The Supremes
(3) Baby Love/The Supremes
(4) Come See About Me/The Supremes
(5) Stop! In The Name Of Love/The Supremes
(6) Back In My Arms Again/The Supremes

「Where Did Our Love Go」邦題「愛はどこへ行ったの」というこの今日が64年8月のNo.1。
「Baby Love」ガ10月、「Come See About Me」が12月、明けて65年3月に「Stop! In The Name Of Love」、そして6月に「Back In My Arms Again」邦題「涙のお願い」という、わずか10カ月ほどの間に5曲のナンバーワンヒットを出します。

1962年にデビューして2年ほど不遇をかこっておりましたけれども64年からいきなり人気が爆発いたしまして、60年代アメリカを代表する女性ボーカルグループへと成長していきます。

Supremesの恐怖の5連発、エディットしてお聴きをいただきましたけれども「あれっ、どこで曲が変わったのかな」っておっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。曲調が似ている、テンポ同じ、キー同じ。一世を風靡する大きなブームになるようなポピュラー音楽というのは概してそういう部分があります。
似た曲調、それから立て続けの連続ヒット、そういうものが特徴としてあることが多いです。

Supremesがこれほど連続してヒットが出せたのには二つの大きな理由があるといわれております。
まずはリードボーカルのダイアナロス。この人は当時の黒人女性シンガーとしてはとても新しいキャラクターでありました。それまでの黒人の美人女性というのは出るとこがドンと出てる、つまりグラマーな人ですね、そういう女性じゃないと人気が出ないと言われてたんですけどもダイアナロスという人は目がギョロッと大きくて体系が”きゃしゃ”でとてもスリムな、わりとモノ・セクシュアルなキャラクターです。

それまで、そういうタイプの黒人女性シンガーというのはまず大成しないといわれていたんですけれども、それが60年代の豊かなアメリカの世相、そういうものに合ったのでしょうか。

余談ですけれど、Supremes、売り出しの顛末を題材に作られましたのは映画にもなりましたミュージカル「ドリームガールズ」です。このダイアナロスというキャラクタの存在がまず一つ。

もう一つは先ほど申し上げましたホーランド=ドジャー=ホーランド、エディーホーランド、ブライアンホーランドそしてラモント・ドジャー、この3人組の作曲家チーム。この人達がモータウンのサウンドづくりの中核となっていきます。

実際に60年代モータウン全盛期にたくさんのヒット曲を生み出していきまして、ヒット製造工場、ヒットファクトリーなどと呼ばれました。

日本では、こうした複数の共同作業で曲を書くというのはあまり一般的ではないんですが、アメリカではこうしたコンビ、集団でアイデアを出しながら曲を書くという作業というのは昔からごく普通に行われておりました。
モータウンレコードの中でもとりわけホーランド=ドジャー=ホーランドというこの3人が作りだすヒットソングの色合いというものが最もモータウンサウンドらしいとして広く認知されていくわけであります。

今日お聴き頂きますのも多くがホーランド=ドジャー=ホーランドのコンビの曲なんですけれども、もちろんそのほかにもたくさんのライターがおりまして、そういう人たちが競争して切磋琢磨、ある時は一種の合議制のような形でレコードを作っていくという、モータウンの制作システムが、またさらにヒットを生んでいくという、まさにヒットファクトリーであります。


1964年にはもう一つ、モータウンを代表する重要なグループがデビューしております。
リードボーカルのリーヴァイ・スタッブス、素晴らしいボーカルに支えられました黒人4人組の男性ボーカルグループ「Four Tops」。Four TopsとSupremesが最もホーランド=ドジャー=ホーランドの恩恵を受けたグループです。代表曲のほとんどがホーランド=ドジャー=ホーランドの作品であります。

64年に「ベイビー・アイ・ニード・ユア・ラビン」でデビュー致しました。65年に待望の全米ナンバーワンが生まれます。これももちろんホーランド=ドジャー=ホーランドの作品です。
Four Tops、I Can't Help Myself

(7) I Can't Help Myself (Sugar Pie, Honey Bunch)/Four Tops

私の個人的好みでは、このリーヴァイ・スタッブスというFour Topsのシンガーが声の質という点ではモータウンの全男性シンガーでの中で最も好きな人でありますが。
Four Tops、1965年の全米ナンバーワン、I Can't Help Myself 、ホーランド=ドジャー=ホーランドの名作であります。この翌年には名作リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア (Reach Out I'll Be There) が出ます。

さて、お次は皆様良くご存じのモータウンが生んだ名曲中の名曲。Temptations、1965年の全米ナンバーワン。
My Girl、そしてMarvin Gayeの1965年初頭のベストテンヒットHow Sweet It Is、2曲続けてどうぞ。

(8) My Girl/The Temptations
(9) How Sweet It Is (To Be Loved By You)/Marvin Gaye

それまでの黒人男性ボーカルの概念を一新いたしました5人組。モータウンが誇るボーカルグループ、The Temptations。こちらの方はデビュー時よりスモーキーロビンソンとノーマンホイットフィールドという二人の交互プロデュースを軸に作品が作られていきまして、60年代後半にはノーマンホイットフィールドによってさらに新機軸が打ち出されますが、それはまた後半にご紹介するとして、ここでは1965年の大ヒット「My Girl」。
スモーキーロビンソンのペンによる超有名曲であります。

「曇った日でも太陽がある。外は寒くたってここは5月。
何がそんな気にさせるかって?僕のあの子がいるからさ。」
デヴィッド・ラフィンの素晴らしいボーカルに乗せてポップスシーンに燦然と輝きます名曲「My Girl」。

そしてMarvin Gayeの1965年初頭のベストテンヒット。これは先ほどのスプリングスのスタッフと同じホーランド=ドジャー=ホーランドの、これものちにジェームステーラーを始めてとしましていろんな人がカバーをしておりますがHow Sweet It Is 、To Be Loved By You。あなたに愛されるのはとてもスイートという曲でございます。TemptationsでMy Girl、Marvin GayeでHow Sweet It Is 、どちらも65年のヒットソングでございました。

(CM)

私先週の1回目で、”間抜け”かましてしまいました。ミラクルズの「ショップ アラウンド」、カーペンターズがカバーしたと申し上げましたが、キャプテン&テニールですよね。何を考えたんでしょうか?
久留米市の常連平川さんからお便りいただきました。ありがとうございます。お詫びして訂正いたします。

今回この特集にちなみましてプレゼント2点ご用意いたしました。
まずはマービンゲイの伝記本「マービンゲイ物語 引き裂かれたソウル」、ちょうどおりよく翻訳され出版されましたので、私ようやく先週読み上げましたが、父親との確執から逃れられなかったマービンゲイの悲しい悲しい人生、それと裏腹の珠玉の作品たち、アメリカの芸能界のすさまじい実態、何とも言えない読後感の本ですが、デビットリッツが80年代現した有名な著作を、著者と親交の厚かった吉岡正晴さんが力を込めて翻訳されました。

「マービンゲイ物語 引き裂かれたソウル」、この本を今回5名の方にプレゼントいたします。

もうひとつ、今回の駆け足特集をCDでじっくりと再確認していただけるように60年代モータウン作品の紺ぴレーションCD、「モータウン・ゴールド」これを5名の方にプレゼントいたします。モータウン45周年のときに制作されたCDでありまして、ヒット曲が時系列で収録されておりますので今回の特集と一番マッチしております。

さて、モータウンレコード。
ベリー・ゴーディーはモータウンのサウンドを称して「サウンド オブ ヤング アメリカ」という名前を付けました。若いアメリカの音楽。
全盛期のモータウンの音楽というのは早い話がアイドルポップスでありました。ユーザーというのは10代前半ティーンエイジャー子供たちに向けての作品でありました。
歌っているのも10代から20代前半のシンガーばっかりです。

そういう意味では日本でのアイドル歌謡路線とそれほど変わらないんですけれど、歌手、作曲家、編曲家、演奏しているミュージシャンといった制作にかかわる人々が単なるアイドルポップスにとどまらない作品を作り出していったという。

60年代初期の豊かなアメリカの国力をバックにして、ジャズ、ロックンロール、リズアンドブルース、そこからラスベガスのナイトクラブで行われているような音楽まで含めた一大クロスオーバー、そうしたものが、こうしたモータウン、何もモータウンに限った話ではなくて、その時代の、例えばフィルスペクターの作っていた音楽、ビーチボーイズの音楽、そういうものすべてに見られる要素なんですが、単なるアイドル歌謡、ティーンエイジャー向けの、作られていた、あの時代の商業音楽の多くには、それ以上のものがあったと。
時代を超える説得力となって、後世、今なお鑑賞に堪える、そういう文化となって残っていると。
モータウンもまた、そうしたもののひとつだと言えるわけであります。

引き続き65年から66年にかけてのヒット曲、スティービーワンダーもだんだん成長して参りまして順調にヒット曲を飛ばしていきます。66年初頭のスティービーワンダーの全米3位の大ヒット曲「Uptight」。
続きましてはすモーキーロビンソン率いるミラクルズの、これもスタンド―ド中のスタンダードでございます。65年のヒットソング「Ooo Baby Baby」、2曲続けてお聞きをいただきましょう。

(10) Uptight (Everything's Alright)/Stevie Wonder
(11) Ooo Baby Baby/The Miracles

私が中学高校のころにはグループサウンズのライブでありますとか、あとディスコティック、当時のディスコは生演奏でしたので、そういう場所では必ずこの曲が演奏されておりました。スティービーワンダー、「Uptight」。

そして、これはもうスタンダード中のスタンダードですが、いわゆるスイートソウルといわれるモノの最初の完成形になろうかと思いますが、スモーキーロビンソン&ミラクルズ、「Ooo Baby Baby」2曲続けてお聴をいただきました。

しかし、みんな歌がうまい。リーヴァイ・スタッブス、デヴィッド・ラフィン、スティービー・ワンダー、スモーキー・ロビンソン、みんな20代の歌手でありますが、驚くべき時代です。

65年といいますと、すでにビートルズを代表とするイギリスのロックバンドが音楽界を席巻しておりました。当時のビートルズに対抗できるアメリカの勢力というのは、「ビーチ・ボーイズ」「フォー・シーズンズ」そしてこのモータウンぐらいだといわれていた時代であります。

この頃になりますとモータウンはもうヒットに次ぐヒットという時代でありましたので、後から後からレコードを出して行くんでありますが、それに伴いだいぶ歌手の層に幅が出てきまして、この人などはサックス奏者でボーカリストという変わり種。ジュニアウォーカー、彼の率いるグループ、Jr.Walker & The All Stars。1965年全米4位のヒット曲、これもリズム&ブルースのスタンダードナンバーであります、「Shotgun」。

そしてこの人はモータウンの女性シンガーのなかでも大好きな人でございます。
日本では今一人気が出なかったんですが、最高のシンガーだと思います、Gradys Knight。
彼女をメインに3人の男声コーラスを伴いました、Gradys Knight & The Pips、1967年の全米2位のヒットソング「I Heard It Through The Grapevine」、作曲はノーマン・ホイットフィールドとバレット・ストロングのコンビですが、この作品はすぐ後、1968年にマービン・ゲイのバージョンが出まして、そちらの方はヒットもヒット、大ヒット、全米7州連続一位というマービン・ゲイ人生最大のヒット作となりました。

ついでにこちらも一緒にお聴きをいただきましょう。3曲続けてどうぞ。

(12) Shotgun/Jr.Walker & The All Stars
(13) I Heard It Through The Grapevine/Gradys Knight & The Pips
(14) I Heard It Through The Grapevine/Marvin Gaye


今日の前半とただいまの3曲ではお聞き頂いて若干音の感じが違うかと思いの方がいらっしゃるかと思います。前半は私が何度も申し上げておりますザ・モータウンサウンド、判りやすいアイドル歌謡であります。ところが65年あたりからベトナム戦争の激化などでどんどん政情が不安定になってまいります。

黒人社会でもカリフォルニア州ワッツ市での暴動が起きた年であります。
黒人の政治勢力も、これまでの穏健派から次第にブラック・ムスリムやブラック・パンサーといった過激な政治主張を唱える人たちが台頭して参ります。

ブラックパワーという言葉が生まれまして、それは、それまでの50年代60年代前半にベリー・ゴーディーが志向していたものとは違うものがたくさん出てまいります。
この頃になりますと、モータウンの成功というのは、いわゆるアイドル歌謡を前提とした成功、女性グループはカツラにドレス、テンプテーションやフォートップスはタキシードを着ていたせいで、あんなものはアンクルサムだ、白人に魂を売り渡している、そういう批判も出てきました。

あまり成功しすぎると出る杭は打たれる、どこの世界も同じであります。
それに対してとった方策が、新しいレーベル、「ソウル」というレーベルでございまして、そこの二大スターがただいまお聴きいただいた「Jr.Walker & The All Stars」そして「Gradys Knight & The Pips」。

一番最初にお聴きをいただきましたSupremesあたりと聴き比べますと音がパワフルといいますかディープといいますか、そういう社会背景を反省して、もうちょっと泥臭い世代という一言でモータウンと申しましても時代に沿って変化や幅が出てきたということであります。

そういうわけでモータウンレコードが音楽的にはっきり変質を始めましたのが1968年、まさにマーティン・ルーサー・キングが暗殺された年であります。
 ベリー・ゴーディーはなんたって自分の子供にケネディと付けたくらいで、この息子さんは後でロックウェルというシンガーになるのですが、公民権運動の熱狂的な信奉者でありました。

ですので、マーティン・ルーサー・キングの暗殺という事件はベリー・ゴーディーにとっては非常にショックな出来事でありました。世情の変化がブラックカルチャー全体に微妙に影響を及ぼしていくという。
それが68年過ぎのことでございまして、モータウンにもそれが否応なしに降りかかってまいりました。

Supremesもだんだんヒットが出なくなってダイアナロスが抜けてしまう。今回はそこまで触れられませんけど、そうしたモータウン70年代に向けて変化をしていく。
ついにはデトロイトから逃げ出してロサンゼルスに本社を移してしまうという、そういう兆候が出始めるのが68,9年の話でございます。

今日の最後は、その辺の音をちょっとだけ舐めておこうと。
スティービーワンダー、彼は盲目の天才い少年としてデビュー致しましたけれども、あてがい節のプロジェクトやそうした歌に満足できなくて自分で制作を統括したい、もっと自分独自の音楽世界を展開したいと本腰を入れて作曲の勉強を始めまして1969年にシングルを出します。
ここらあたりからスティービーワンダーの70年代に向けての、あの天才が始まるわけでございます。
1969年の全米4位大ヒットナンバー「My Cherie Amor」。

そして、Temptations。テンプスと例えばシュプリームスやフォートップスの最大の違いはソングライターとプロデューサーです。ホーランド=ドジャー=ホーランドは金銭トラブルと言われておりますがモータウンが止めます。それと前後してTemptationsと、それまで以上にがぜんノーマン・ホイットフィールドは深く変わりだしましてモータウンに新譜を吹き込むんですが、ノーマン・ホイットフィールド、この人はTemptationsの大イメージ転換を試みまして、作曲パートナー バレット・ストロングと組んでより攻撃的なハードなサウンドを志向することになります。
69年初頭、Temptations、いわゆるファンク路線の発祥として世に名高い「Cloud Nine」、2曲続けてどうぞ。

(15) My Cherie Amor/Stevie Wonder
(16) Cloud Nine/The Temptations

スティービーワンダー「My Cherie Amor」、テンプテーションズ「Cloud Nine」でございました。

本来ならば何週間もかけてやらなければならないことを、たった2週間に詰め込もうと、なかなか大変でございます。10年分くらいの駆け足で歴史的な要素を主眼にざっとながめてみました。
また最終週でもう少し曲をご紹介しつつフォローしてみたいと思います。

13年前の企画の時に申し上げましたが、こういう基礎的な特集って言うのはラジオでしょっちゅうやらないといけないんですけど、なかなかそうもいかないようであります。

なお、13年前にこの企画を立ち上げた時に音楽評論家の渡辺亨さんに構成を手伝っていただきました。彼なしには、とてもこんなに手短には纏まりませんでしたし、10年間たっても大した修正もなしに再現オンエアできますのは渡辺さんの力量におうところ大であります。この場を借りて御礼を申し上げます。

さて、来週は3週目なんですが、ちょっと閑話休題という企画で、モータウンというのは後世の音楽シーンに実に多大な影響を及ぼしておりますので、音楽的に見たモータウンというのは一体何か、モータウンの音楽っていったいなんだったのか、そういうものをモータウンに影響を受けた他の音楽、アレンジ、作曲、いろいろと拾っていきながら来週は一味違った角度から検証してみたいと思っております。

社会学的なことではなくて、あくまで音楽的な視点からの分析。
モータウンの影響、音楽的影響について来週はモータウン以外の音源を使ってやってみようという試みであります。

というわけで今日はモータウン特集アーカイブス第2段、全盛期のモータウンについてほんとにかいつまんでお届けを致しました。

今日の最後はこの一曲。69年も押し迫っていよいよ70年代になろうという時に、一つのグループがモータウンからデビュー致します。これがモータウンの70年代の方向を決定づけていくことになります。

マイケル・ジャクソンがリードボーカルをておっております、ジャクソン・ファイブ。
マイケル・ジャクソンが1959年生まれ。まさにモータウンが生まれた年に生まれた人でございまして、それも何かの歴史の因縁、さらに、さらに私の番組で、本日このモータウン特集で、この曲が最後にかかることに、私はさらに大きな因縁を感じてしまいました。

マイケル・ジャクソンは誰もが認める不世出のアーティストでありましたけれども、マービンゲイ同様にアメリカ芸能会の地獄で燃え尽きてしまいました。

ご冥福をお祈りしつつジャクソン・ファイブ、1970年初頭を飾りましたデビューヒットにしてミリオンセラー「I Want You Back」邦題「帰ってほしいの」。

(17) I Want You Back/Jackson 5

以上








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