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DATE: CATEGORY:青山純
『HIT SONG MAKERS~栄光のJ-POP伝説~』青山純追悼スペシャル

2014年12月20日にBSフジで青山純さんの追悼番組が放送されました。
生い立ちからドラムのチューニングやセッティングまで・・あらゆる角度で編集された素晴らしい番組でした。

仙波さんが仰ってた「粋」なドラマー、人を思いやるドラマー、青山純。
青山純さんは、バンドをやりたいと言われてたそうですが、今はもうそのお姿を見ることが出来ません。

私が大学生の頃、80年代の山下達郎さんのライブで初めて青山純さんを拝見し、その綺麗な音色と安定した大地のようなドラムに圧倒され、感激したたことを今でも覚えています。

このブログでは、青山純さんを偲んで、放送された内容のほんの一部をテキスト化しています。誤字脱字は、ご容赦くださいませ。

※放送音源や映像に関するお問い合わせにはお応えできませんのでご了承ください。

番組名:『HIT SONG MAKERS~栄光のJ-POP伝説~』青山純追悼スペシャル
放送日:12月20日(土) 19:00~20:55
出演者:

(順不同)
ナレーション : 野宮真貴

ドラマー (初代ローディー) 阿部薫
レコーディング・エンジニア 吉田保
ギタリスト 安藤正容
ギタリスト 和田アキラ
ベーシスト 伊藤広規

ドラマー 渡嘉敷祐一
ギタリスト・音楽プロデューサー 土方隆行
キーボーディスト 新川博
歌手・音楽プロデューサー 杉真理
16代目ローディー 田中利明

パーカッショニスト 仙波清彦
ドラマー 青山友樹
ドラマー 青山英樹
ドラマー 阿部薫
ドラマー 長谷頼晃
ドラマー 大西英雄
パーカッショニスト ジャイアン谷口

歌手 小川美潮
ギタリスト 平沢上侍
キーボーディスト 近藤達郎
キーボーディスト  Ma*To
ベーシスト mecken
パーカッショニスト whacho

ドラマー 山本雄一


◎ 冒頭

ナレーション:

ドラムセットとは、大小様々なタイコとシンバルなどの打楽器を一人の奏者が演奏可能なように配置したもの。

その、一つ一つの特性、そしてセッティングやチューニングが演奏者の個性に繋がる。

ドイツ製のSONOR。
このドラムセットでJ-POPの歴史を作った人物がいる。

ドラマー 青山純

彼の存在無くしては80年代以後のJ-POPシーンは語れない。
しかし、彼はもうこの世にはいない。
昨年(2013年)12月、青山は突如としてこの世を去った。

愛用の楽器がレリーフとなった彼の墓石。
青山純、享年56歳。

しかし、SONORから生み出された数々の名曲は、今なお色あせることはない。
J-POP史上に燦然と輝く名盤でのプレイ。

♪ 山下達郎「SPARKLE」

伊藤広規:

金モノは小さい。
革モノはデカイ。

濁点のある、ドスン!バターン!ドカーンって・・

阿部薫:

手数で物を言うんじゃなくて、言葉少なめに全部説得させるじゃないけれども・・
判ってもらえるようにプレイするっていう。

吉田保:

エンジニアの立場からいうと、とにかく音は録りやすかったですね。

ナレーション:

技巧派のバンドでも青山のドラムは光輝く。

安藤正容:

一本筋が通って曲がったことが嫌いだ、みたいな。
適当な音楽はやりたくねぇ、みたいな。
ごっつい感じが僕にはあって、それがもう、音にも出てるし。

和田アキラ:

持ってるリズムは、ほんとに黒人とか外人みたいなノリでしたよね。
青山は最初から。

パーン・パーンといくと、すごいこう・・・他の人にはない、こう・・・
惹かれるものがあるんですよ。

ナレーション:

ロック、歌謡曲、ニューミュージック・・・
青山のドラムは音楽の寿庵るを超え、時代を彩っていった。

日本中で青山の演奏を耳にしないことはない。
誰しもが彼のドラムを体験しているのだ。

渡嘉敷祐一:

その・・・青ちゃんのビートとサウンドじゃないと、これは無かったという曲が、具体的な曲がいっぱいあって・・・
日本中に。

土方隆行:

例えば、ラジオとかでかかってきても、青ちゃんの音ってすぐ、やっぱり分かるんですよ。
そすと、もうあの時代っていうのは、ほとんどが、これも青ちゃん、あれも青ちゃんって感じで。

新川博:

本人は、全く変わってないんですけどね。
世の中の方が、背景の方が変わるんですよ。


ナレーション:

曰く、「どんな歌謡曲でも、青山純のハンコをバーンと押して帰りたかった」

時代が移り変わってもアーティストは青山の音を求めた。
共演する演奏者はもちろん、ボーカリストからも絶大な信頼を寄せられる青山のドラム。


杉真理:

ドンッ・バンッ・ドンッ・・・っていう、なんか・・
そのへんの、彼のビートが、スイートスポットに入るんですよね。たぶん。

青山純のスイートスポットは、かなり個性的で・・
グットきちゃう。

小川美潮:

一体感ですかね・・・
曲を表現しようとして・・うぉーっと高みに行くみたいな。

仙波清彦:

「歌もの」の人ですね、ほんとに。
ドラム自体もよく歌ってるんだろうし。


ナレーション:

曰く、「ボーカルに対してドラムは映画の助演男優。それが理想。」

スポットライトを浴びる表舞台ではなく、その後ろから音楽界を支えてきたドラマー、青山純。

その足跡を振り返る。

作曲家、作詞家、アレンジャー、ディレクター。
歴史を彩る名曲の陰でメロディーを紡いだ音の職人たち。

ヒット曲の裏側にある創作に傾ける情熱と、その足跡。

彼らはJ-POPの歴史を作り、そしてこう呼ばれた。
『ヒットソングメーカー』

~CM~

◎青山純と杉真理

ナレーション:

J-POPの歴史を支えたドラマー、青山純。
56歳で亡くなるまで、彼はドラム一筋の人生を送った。
唯一無二 誰もが魅了された青山のドラム。

青山純、1957年、東京世田谷生まれ。
幼少の頃の青山を意外な人物が知っていた。

まだデビュー前の杉真理である。

杉真理:

たぶん、あのぉ・・・業界では僕が一番古いんだと思うんですけれども。
僕の小学校の時の同級生で青山っていう仲の良いやつがいまして。

そいつがよく家の、僕が住んでる団地に弟を連れて、遊びに来てたんですよ、「純」ていう名前の。

それで、僕が小学校の頃から、結構ビートルズ好きだったんで、ビートルズを聴いてて。
そしたら、その青山兄弟がやってきて、兄貴の方は「変な曲だなぁ」なんて言いながら、興味を示してて。

その横で遊んでたのが青山純だったんですね。

で、逆に青山の家に行って、初めて青山のお母さんにグラタンっていうものを、ごちそうになったりしたんですけれども。

生まれて初めて食べたでしょう・・
なんだこれは!と思いまして。

(スタッフ)美味しかったですか

おいしかったです(笑)。

ナレーション:

1977年、学生時代からのバンド仲間の参加したアルバムで杉はメジャーデビューする。
その中の一人に、青山純がいた。

杉真理:

銀座のヤマハで練習場を借りてたんです。
そしたら、そこに出入りしている青山っていう、やたら腕の良いドラマーがいて。

僕のデモテープなんかにも手伝ってくれて、一緒にやるようになって。
その時は、それがあの、弟の純だとはお互いに気づかずに、知らないでやってんたんです。

それで、青山君がうちに帰って「杉 マリ」って書いて「まさみち」って読む人がいるんだよってお母さんに報告したら、お母さんが、「えっ! けい・・・」って兄貴なんですけど「けいの友達にいたよ!」って写真出してきたら、みんなで一緒に写ってたっていう。

それで判明したんです。

次の日にスタジオに行くと、純君が「杉くん! あの時グラタン食べてた杉くん?」って(笑)

ナレーション:

杉のデビュー・アルバム、それが青山のプロデビューでもあった。

これは1977年の青山の日記
その中には当時の杉とのことが記されている。

杉の初コンサートのステージには青山がいたようだ。
その日記を杉に見せてみた。

杉真理:

おーっ!!
4月だったんだ・・

うわぁ~ これ(日記の表紙に貼ってあるシール)、このアルバムを作った時に作ったシールなんですよ。
僕もその当時使ってたアコースティックギターにも貼ってあるやつで。

そうか、貼っててくれたんだ!
嬉しいなぁ・・・

ナレーション:

杉は当時の青山のドラムを、どう評価していたのだろう。

杉真理:

音圧、風圧、それから精神圧じゃないけど、そういうのが、非常にガッとある感じで。
なんかこう・・歌ってる人をノセる・・

本人は意識してるかしてないか、判らないけど、ノセるなんか、こう・・・力が彼にはある。

もう、アマチュア時代から持ってましたね。
この人は、遅かれ早かれ世に出る人だなとは思ってました。

ナレーション:

杉にとって、一番想い出深い曲。

♪ トゥナイト

杉真理:

最初にレコーディングした「トゥナイト」っていう曲なんですけども。
あれは、あのぉ・・・留年した後輩の竹内まりやが冗談交じりに「杉さん、私に曲書いてよ。慰める為に」って言って。

本人は、本気じゃなかったらしいですけど・・書いた曲なんですよ。
「あ、ほんとに書いちゃった」って言われて(笑)

それを、青山純が叩いてるんですけども。

やっぱり今聴いても、堂々としてるし、青山純だなぁーって、思わせる・・
なんか、その時、僕なんかは客観的には聴けないんですけども、その時に、誰もプロじゃなくて、これからやっていけるのかなぁって、不安がちょっとと、さぁ頑張るぞっていう希望が一杯と。

っていうような、なんかこう初めの頃の、ちょっと青いんだけど、胸を張ってるっていう感じが僕は伝わってくるんで。

僕は「トゥナイト」の彼のドラムは大好きです。

♪ トゥナイト/杉真理


◎ドラムとの出会い~

ナレーション:

青山とドラムとの出会いは、意外と早い時期に来る。
小学校5年生の時に、青山は父にせがんでドラムセットを買ってもらう。

何故、ドラムだったのか。

青山は後に、そのことについてラジオ※でこんな風に話している。

※コミュニティFM 三角山放送
「Surfin' Rabbit Station」
2012年11月10日収録

(パーソナリティ)純さん、初めてドラムをなさったのは子供の頃ですか。

青山純:

子供の頃ですね。
小学校5年生くらいですかね。

なぜかドラムに目が行って。
そこが理由がよく判んないですけど。

自由が丘の丸井でね。
28000円のgracyの3点セット(笑)

(パーソナリティ)すごい高級品じゃないですか。

青山純:

そうそう、そうそう(笑)


◎中学、高校時代

ナレーション:

しかし、中学でバスケットボールに夢中だった彼は、本格的にドラムを始めるのは高校生になってからだ。

その頃の日記を見るとドラムスクールにも通っていたらしく、そこの先生に向けた言葉があった。

『体にリズムがない、とジョージさんに言われ相手にされなかった。
悔しくてたまらない。
こうなったら、ムチャクチャに練習してやる!』

自宅でテレビを見るときもスティックを離さない。

もしかすると、こんな高校時代に青山は自分の将来の夢を描き始めたのかもしれない。
高校時代の青山を知る人物がいる。

新川博

後に作曲家、編曲家、キーボーディストとして多くの名曲を世に送ることになる人物。
新川に高校時代の青山について聞いた。

新川博:

同じ学校ではなかったんですけど、ぼくの友達の後輩で。
その友達が、うちの学校に上手なドラマーがいるよっていうことで、紹介されて。

それがたぶん最初だと思います。

色白の・・
病弱な・・子って感じですよね。

ナレーション:

「色白で病弱な子」

新川博:

その・・高校生なんかだと、日曜日って男の子なんかだと、ほとんど家にいないもんじゃないですか。

で、今日はいるかなぁと思って電話すると、居て。
まず、そこで驚きですよね。
はぁ、家に居るんだとか思って。

「遊びに行っていい?」とか言ったら「いいよ」とかいって行くと、色白の少年が出てきて、ドラムセットを家で磨いてるみたいな・・・
シンバル磨いてる、みたいな印象だったんで(笑)

ナレーション:

日曜日は自宅でドラム磨き。

新川博:

どっちかっていうと彼はプログレとか、そういうロック系の音楽が凄く好きで。
ジェネシスか・・青山が好きだ好きだと、よく言ってましたけどね(笑)

ナレーション:

好きな音楽はプログレ。
特にジェネシス。

◎初めて組んだバンド

ナレーション:

青山は高校時代に初めてバンドを組んでいる。
彼の日記の中に出てくる「KANN」というバンド。

ジェネシスのコピーバンドだったようだ。

その青山のバンドを目撃した人物がいた。
ギタリスト土方隆行。

数多くのアーティストとの共演、スピッツや河村隆一などの編曲やプロデュースでも知られる人物だ。

土方隆行:

青ちゃんと出会ったのはですね、実は40年くらい前にですね、まだ僕も青ちゃんもアマチュアだったんですけども。

高田馬場のビックボックスで大学対抗のバンドコンテストがあったんですね。
その頃ね、青ちゃんはプログレのバンドやってたんです。
僕らはハードロックのバンドやってて。

それが、予選、準決勝、決勝って3回やりまして、ふたつとも最後まで残って。
その時にお互いちょっと声をかけあったというか。

結果、僕らが勝っちゃったんです(笑)
ま、その、たぶんね僕らだけオリジナルやってたんですよね。
たぶん、そこを審査員の方が評価されたんだと思うんですけど。

それがね、もうほんとにね、最近までその話はね(笑)、合う度に結構していましたね。

◎MAGICAL CITY

ナレーション:

その後、青山は、そのキャリアの原点とも呼べるバンドに参加する。
彼の日記に、そのバンド名が記されていた。

『MAGICAL CITY』

リーダーは新川だった。

新川博:

MAGICAL CITYというバンドなんですけど、青山純君とベースが伊藤広規。
で、ギターが牧野っていうギターがいて、それと僕と4リズムですね。

ナレーション:

おそらく青山の人生において、最も重要な人物の一人となるベーシスト伊藤広規との出会いだった。

伊藤広規:

キーボードの新川博の家で・・
家に遊びに行った時に・・
その部屋の奥のほうで、こう横になっていたんです。

「こいつ、ドラムの青山純っていうんだよ」って。
”ふーん、そうなんだ”っていう感じですかね(笑)。

そいで、「僕」とか言ってたんで、足立区出身の俺は「僕だってよぉ!」とか言ったらしいです(笑)。

初めてドラムを聴いたのは、志賀高原でバンド演奏するっていうんで、その新川と青山と、あと何人かでしたけど・・だいたいそんな感じかな・・

そん時に初めて何曲かやって、演奏した時に、結構オカズもしっかり叩けてて、はっきりしたドラムだなという印象でした。

”あとはカッコよさだな!”とか思いました(笑)

ただ、ひとつ、話してて面白かったのが、音がいいんですよね、一個一個。
何故って聞いたら、昔FEN※っていう・・・今でもありますけど。
※ FEN:エフイーエヌ、Far East Network 極東放送網

あれのドラムって、リミッターが効いてて、すごい、いい音してるじゃないですか。

ドゥーン・ヴゥーン・ヴゥーン ってこのリミットの効いた何かいい感じあるじゃない、あの選曲と。

生音でそれを出そうとしてたっていう。
何も理屈が判らない男の子が考えた感じですね。

(スタッフ)伊藤さん、どう答えたんですか?

”そーれは、いいー”って(笑)
”そんな事真似るヤツ、誰もいない!”


◎アルファ・ミュージック

ナレーション:

まだ無名のバンド。
しかし彼らはプロとしてのキャリアをスタートさせていたようだ。

新川博:

その後アルファ・レコードというふうに、なっていくんですけども。
そこの前進でアルファ・ミュージックっていう会社がありまして。

そこは要するに若いクリエイター、まあ、だから・・ユーミンだとか、そういう人たちですよね、それが出版社に集っていてというか、入り浸っていて。

うちのおふくろが詩を書いてまして、うちのおふくろが村井さん※と、なんかの仕事のきっかけで、知り合いになって。

※村井邦彦 アルファミュージック創設者

じゃこうやって、デモテープ作るの手伝って上げてと、いうあれで・・
確か、それがきっかけだったと思います。

伊藤広規:

アルファの会社の新人の人たちが作った曲をデモテープにして会社に渡すという。
そういう内容で・・

来たデモは、歌ってる人が・・アーティストが自分ちでギター1本で歌ってるヤツとか、そういうヤツをもってきて、それを聴きながら、こうしようって皆で意見出し合って、作ってったって感じですね。

随分そのお陰で、レコーディングっていうノウハウを知りましたね。

一人、月5万で・・やりました。


ナレーション:

後にスタジオ・ミュージシャンとして功績を残す彼らの原点とも呼べる作業。

新川博:

オリジナルの音楽を演る、と。
人のコピーではなくて。

そこだと思います。

その後は僕らなんかは、スタジミュージシャンとかね、アレンジャーとかになるわけですけど。
まぁそこで、きっちり試行錯誤が出来たかな、という感じで。

ナレーション:

後に盟友となる青山と伊藤。

そのきっかけとなる言葉があった。

伊藤広規:

MAGICAL CITYが解散っていうか・・・
確か「クビ!」みたいな、そういう危うい時があってね。

新川が青山に「どう思うんだよ!」って言ったら「僕は広規君と一緒にやりたい!」

もうその言葉ですね。
もうグッと掴まれました。

”よし、じゃぁ、こいつとは一緒にやるぞ!”


◎山下達郎との出会い

ナレーション:

そして二人は運命を大きく変える一人の天才と出会う。

山下達郎

青山純と伊藤広規を彼に紹介したのは吉田美奈子だった。

伊藤広規:

一番最初は吉田美奈子さんと青山と俺と、で・・
あと、達っつぁんと。

原宿の・・今は無くなっちゃった店なんですけど、そこで食事をした、っていう感じですね。

「君たちは、どんなのが好きなの?」
なんて言われて。

「オレはフランク・ザッパとラリー・グラハムと、北島三郎かなぁ」
とか言った覚えがあります(笑)

ナレーション:

二人は意外な形で山下と初めての共演をする。

伊藤広規:

その初めて会った時だったかな・・
その次だったなかぁ・・

そのままムーングロウっていうアルバムですか、それの"かぶせ"の時期だったんですね、その頃。
アルバムの歌かぶせとか。

で、そのまま・・
「歌かぶせあるから、遊びに来る?」って聞かれたんで、「行く行くー」って。
吉田美奈子さんと皆でスタジオへ行って。

丁度その時「SUNSHINE」って曲ですか・・・

♪ サンシャイン 愛の・・・ダラ・ラ・ララ~ ヤイヤイ

ってのを歌かぶせてきました。

風邪ひいて鼻声の青山と俺と吉田美奈子さんと3人で、その♪ヤイヤイをかぶせたという。


◎Peral MAPLE FIBER

ナレーション:

そして二人は山下達郎のサウンドを支えるドラマーとベーシストになる。
初めて参加したアルバムは日本の音楽界において金字塔とも言える傑作「RIDE ON TIME」

この時、青山が叩いていたドラムはPeralのMAPLE FIBER。
青山の生涯には16人のローディーがいるが、その初代を務めたのが、当時駆け出しのドラマーであった阿部薫。

阿部に実際に青山が使っていたPeralのドラムセットをセッティングしてもらった。

後にドラマーとしてTMネットワーク、浜崎あゆみ、安室奈美恵などのレコーディングやツアーサポートとして活躍する阿部。

彼は、この時期の青山を最も良く知る人物の一人だ。

阿部薫:

青山さん、触ってたやつを久しぶりに、ほんとに久しぶりに触ったんで。
ん・・・なんか亡くなったという印象がないし・・・

そのまま居るんだなって、青山さん、ここに居るな、居るかなぁ・・
みたいな、感じを覚えますね。

セッティングしてた時のことも思い出しますし。

黄色のセットだったんですけどもMAPLE FIBERっていう素材のやつで。
で、10インチ,12インチ,14インチ,16インチっていうセットになってます。

ナレーション:

実は青山は左利き。
セッティングはどうなっていたのか。

阿部薫:

これはもう、正に右利きのまんまなんで。
左利きの方が右利きのセットを叩いてらっしゃった。

僕らは右利きなんで、右から入るフィルインとかが、左から入るフィルインのお陰でフレーズがちょっと違って聴こえる。

たぶん、最初にこれで練習しちゃったからじゃないですかね。

ナレーション:

そして阿部はライドオンタイムのレコーディングを間近で見ることになる。

阿部薫:

もう、真後ろですよね。

青山さんがここに座ってたら、自分はここに座って(笑)
こうやって、一緒にヘッドホン聴いてる。

もう最高でしたよ(笑)

いやぁ、この人はやっぱ違うなと。
全部はっきり物事を言う人(笑)、ドラムで言う人(笑)

一個一個の音がはっきり出てるってことですよね。
ハットにしてもスネアにしても、キックにしても。

勝手にみて、あ、これカッコイイなと思ったのを頂きますって、勝手に自分でコピーして演ったっていうのは、ありますよね。

(スタッフ)例えばどんな

ラテンチック・・ラテンでは無いんですけど

♪~

こういう感じです。
これ頂きましょうと(笑)
カッコイイな、と。

で、逆に「青山さん、これ、ちょっと演ってもらえませんか?」って言ったことがあるフレーズがあるんですよ。

それが・・
♪~
っていうのを、演って下さいよって言ったら、ある曲の中で2,3回やってくれて(笑)

もう自分は袖でもう大喜びですよ(笑)
やってくれたぁーっって(笑)

まさか本番で演らないだろうなと思ったら、本番で演ってくれて・・
もう、嬉しい!(笑)

勝手に喜んだだけですけど(笑)。


◎YOUR EYES

ナレーション:

阿部が一番好きだった曲は?

阿部薫:

「YOUR EYES」が好きですね。

♪ YOUR EYES

理由はもう・・・泣かされるんですよ、あの曲で。

ナレーション:

青山と伊藤が参加して2枚目のアルバム、その中に収められている「YOUR EYES」

阿部薫:

やっぱり、歌と相まって、あのリズムにしろ、オカズ、フレーズにしろ・・
もちろん、凄くシンプルですし。

ものすごく、曲に合いすぎちゃってて。
で、それで泣かされちゃうんですよね。

何も難しいことしてるんじゃないんです。
なんか・・・
難しいこと、してないんですけど(笑)

至ってシンプルなことなんですけど。
もう極みですよね。

ナレーション:

シンプルな青山のドラミング。
難しいことはしていない。

ならば、誰もが同じように叩けそうであるが・・・

阿部薫:

できません!

はっきり言っちゃいますけど(笑)、出来ませんって言いますね。

(スタッフ)何故ですか?

青山さんしか出来ないから。

あタイミングで・・
あの音色で・・
あのバランスで・・・

そしてあの、隙間が凄いんですよね。
隙間っていう言い方・・・ううーん、正しいかどうか判んないですけども。

音符と音符の隙間だったりとか。
その間に、いわゆる上の楽器の方達とか、その間を埋められる・・
埋めやすく、その隙間を作ってるんですよね。

青山さんの表現をしろ、して下さいと言われても、出来ないですね。


◎楽器のバランス

ナレーション:

山下達郎サウンドにおける青山のドラムを別の角度から見ていた人物がいる。
エンジニアの吉田保

吉田保:

とにかく、その・・・
楽器のバランスがいいっていうのが、すごい第一印象でしたね。

だからセオリ通りに・・
例えばタムとかスネアはマイクを例えば45度に向けて録るのが、ある程度アタックと響きを上手く混ぜて録れるっていう。
45度というのが理想的なんですけど。

楽器のセッティングによっては、例えば20度になっちゃったり、10度になっちゃたり、平行になっちゃたりしないと、突っ込めないという部分が、マイクが突っ込めないという部分がありますけども。

ただそういう風な、レコーディングに関する論理を上手く当てはまって録れるドラマーであったことは確かだと思いますね。

◎チューニング

ナレーション:

しかし青山のチューニングの仕方はかなり変わっていたようだ。

伊藤広規:

チューニングの仕方が普通のドラムの人と違うんですよね。

普通、タイコの周りをコンコンって叩いて音程を合わせるみたいなことを普通、ドラムの人はするんですけど。

俺も昔ドラムだったんで、そういうことしたんですけど。

青山の場合は、もう・・・
ダーン! ダーン!(笑)
ダーン! ダーン! って。

なんか大工仕事のリズムなんです。
このダーン! ダーン! が。

スタジオ行くといつも遠くからダーン! ダーン! ダーン!って聞こえてくると、”あっ、今日は青山なんだ”っていうのが、すごく判りましたね。


◎キックペダル

ナレーション:

このアルバム(FOR YOU)には、青山の他にもドラマーがいた。
「ミュージックブック」という楽曲でドラムを叩いた渡嘉敷祐一。

同じドラマーから見た青山の印象は・・・

渡嘉敷祐一:

青ちゃんの、独特なペダルと靴を見て、あぁやっぱりあの設定のペダルで、あのキックが・・
重たく設定されてるんですよね。
踏むのに凄くたいへんな・・・
普通の人だったら、ちょっと踏めないかなっていうくらい・・・

初期設定がすごい後ろにあって、エイッて踏まないとドンッていかない。
それをずっと訓練してると思うし、そのタイミングと力加減であのビートっていうか、あのサウンドが出てたと思うんで。

必ず靴もボクサーシューズに履き替えてやってましたよね、当時ね。

必ずその靴とペダルがセットになってるっていう・・・


◎SONOR

ナレーション:

青山が参加して3枚目の山下達郎のアルバム。
彼がここで大きな変革を遂げる。

ドラムをパールからソナーに変えたのだ。
その時のことを本人が後にこう語っている。

青山純:

ソナーっていう楽器に乗り換えて、タイコが鳴らないんですよ、普通に。
ドーンって。

上手く鳴らないんだ。
トゥーン、トォーン、トォーンって。

ゴツゴツ、ゴツゴツしてるわけ。
ベードラもなんかゴツゴツ、ゴツゴツしてて。

で、だんだん、だんだん、煮詰まってきて。
やっぱりパールに戻ろうかなって、一瞬思ったんだけど。

でも、追求してるうちに、だんだん、だんだん”あっ、この音は、こういうふうにして叩かなきゃいけないんだ”っていうような。

ペダルを、ベードラのペダルを押し付けたりしないで、打って離す、ドーンと。

(スタッフ)それまでは押し付けた感じで・・・

そうそう、押し付けてた。
それが大きいですね。

ナレーション:

青山の代名詞とも呼ばれるソナーのドラムセット。
そのセッティングには何か青山の特徴のようなものがあったのだろうか。

16代目、最後のローディーとなった田中利明に聞いてみた。

田中利明:

だいたい、もうベーシックなセットだと思いますね。

やっぱりこのタムのインチがね、10,13,18ていうのは、もう青山さんならでわのものですし。

これ、10インチ,13,18インチなんですけど。
極端に開くセッティングは青山さんらしいというか、特徴的な。

あとは、このシンバルですね。
この位置に(前方 タムとタムの間の中央部分)シンバルがあるっていうのも、クラッシュシンバルがあるっていうのも、青山さんの特徴的な部分だと思いますね。

本来なら、ここは開いてまして、シンバルがこのへんにあったりとかするんですけど。

クラッシュ・シンバルがここにあるってのは青山さんらしいところだと、僕は思います。

ナレーション:

そして、このスティック。
実は微妙に左の方が太く作られている。

◎夜翔(Night-Fly)

ナレーション:

エンジニアの吉田に、青山の特徴がよくわかる楽曲を選んでもらった。

吉田保:

彼の一番器用だなと思うのは、オーケストラとドラム、ベース、そのコンビネーションが一番はっきり出てる、上手いなと思ったのが、ここにあるメロディーズの中にある「ナイトフライ」という曲だと思うんですけども。

♪ 夜翔(Night-Fly)

今、お聴かせしたような、最後のダイナミックスの持って行き方なんていうのは、やっぱり広規と青山純さんのコンビネーションがあったから、ああいう盛り上がりが作れて、そのバックに弦とブラスの、その細かいフレーズが、タカタカ・タカタカ、パパパパとか、そういうバランスが絶妙ですよね。

そういう部分はやはりベーシックに録ったリズムの・・リズムセクションによって全てある程度決まるっていうのが、あると思いますね。

ナレーション:

青山と伊藤は、以後長い間、山下達郎サウンドを支えるリズム隊として活躍する。
そしてドラマー青山の、その活動の場を広げていく。

~ CM ~

◎ザ・スクエア

ナレーション:

山下達郎バンドと並行し、青山が参加したのがザ・スクエア。
リーダーでギタリストの安藤まさひろに当時の青山の話を聞いた。

安藤まさひろ:

結構有名で、すごいドラムがいるっていうのは、僕らの業界で結構噂になってて。

スクエアがデビューして直後くらいなんですけど、ユーミンのサポートをやってた時期がありまして。

79年に最初にオリーブツアーだったかな・・
ってのがあって、その後、秋口からマジカル・パンプキンっていう、また別のツアーが始まりまして。

最初のツアーの時は別のドラマーがやってたんですけども。
ちょっとロック系のドラマーだったこともあって、ユーミンの方から違う人をお願いしたいっていうような事を言われたりしたのもあって。

で、その秋口からのマジカル・パンプキンっていうツアーの時に、青山純がスクエアのメンバとして入ってユーミンのサポートするっていう形で出会ったのが最初でした。

彼と最初に作ったアルバムが「Rockoon」(1980)っていうアルバムがあるんですけど。
その時に、あらためて青山純の凄さみたいなものを感じましたね。

やっぱりそのタイトなグルーブとガッチリとしたドラムのサウンド、それはもう凄いなっていうのを、レコーディングして、ようやく自分は理解したような気がしますね。

◎仙波清彦

ナレーション:

このバンドには、後に青山の師匠と呼ぶ人物がいた。
パーカッショニストの仙波清彦である。

仙波清彦:

スクエアに彼が入ってきて、ほどなくね、スクエアでユーミンのツアーをやることになるんで。
そのユーミンのツアーが結構強力に覚えてるかな。

入りたての頃は、よくSONYのスタジオで、チューニングをね研究っていうか・・・
新しいドラムが来ると必ず彼はスタジオ入って「仙波さん、一緒にやろうよ」ていうような話になって。

彼のチューニングを外から聴く役ていうか・・
独特の彼のチューニングが・・
僕もね、かなり影響を受けてるんですけど。

1日中やってましたね。
いい時代でしたよね。

スタジオにブースってのがありますよね、ドラムがセットされてて。
そこで叩いてる音が、このコンソールの中で同じ音じゃないとイヤな人なの。

面白い話があって、僕らがレコーディングしてる時に・・
最初に青ちゃんが「そういうんじゃ、ないんだよなぁ」ってエンジニアの方に注文をするじゃないですか。

いーっぱい、色んなことやるじゃないですか。
でね・・
「いやぁ・・これじゃないんだよな、あれちょと・・」
「あっ! それそれ、それそれ!!」
つった時に、ノー・インキューだったり(笑)

要するに、そのまんまだったり。

だから、それ研究してたかな。
音に関してはね。

例えばアップテンポの曲でね、これは彼を悪くいう訳ではなく・・・
ポンとね、青ちゃんのドラムだけね、裸にすんの、たまにね。

そーすとさ、めっちゃ下手なのよ(笑)
下手なんじゃないのよ。
例えばね、キックが先行ってて、スネアがちょっとレイドバックしてる感じで。

なんか、エ~っていう感じなんだけど、オケの中に入れるとバッチリで。

だから生理的にそうなこのベーシストで、どうのこうのっていうのは瞬時に判る感じじゃない。
だからスピード感があるのに、落ち着いてる感じ、と。


◎ちょっと違ったドラマー

ナレーション:

仙波と安藤は青山が普通とはちょっと違ったドラマーだったと証言する。

仙波清彦:

大胆なんだけど繊細なんですよ、すっごい!
バラードみたいなのも、パンッってスネア打った時に、そっと指が付いてるとかしますね(笑)

こう・・あの・・ちょっとだけミュートしたりとかね(笑)
そん時だけ。
そのくらい繊細。

あんまり人が着眼しないようなところ。
例えばハットを踏むだけの音とかね。

踏むっていうのは、あれキープとかじゃなくて、あれも一個の音だっていう考え方ですから。

フレーズの中に踏む音を入れたりとかね。
「チ」とか・・

ああいうのは普通のドラマーにない感覚ですね、結構。

安藤まさひろ:

僕は別の仕事で、青ちゃんにお願いして、ここちょっと、曲に入る前にフィルを欲しいと。
僕としては、なんか・・トゥラ・トト・トトン・ダーン!とかいうフィルを期待して青ちゃんに言ったんですけど。

カウントが「カ・カ・カ・カ」って鳴るじゃないですか。
来るかなぁと思って、最後に・・
「チ・ダーン」って(笑)

ハイハット一個「チー」って・
それがフィルだったんですよ(笑)

チョ~考えられん(笑)
判りました~って(笑)

"そういんじゃなくて"って言えなかったですね(笑)

ナレーション:

後に安藤がリリースしたソロアルバム〈MELODY BOOK(1986)〉
ドラムは青山純が叩いている。

♪ アナザー・ナイト/安藤まさひろ

安藤まさひろ:

何しろ、青山純のドラムが・・
なんて言えばいいんでしょうね・・

今で言えば、パッド
後ろになるべくサウンドを一体化させるためにパッドをファーって鳴らしたりすること多いんと思うんですけど。

それが無くても、俺にまかしとけっていうような・・
大地のようなドラムをしてくれて。

自分のソロアルバムだったんですけど、あれ青山純のアルバムなんじゃないかなって(笑)
いうくらいドラムがすごかった(笑)。

◎PRISM

ナレーション:

更にドラマー青山の需要は加速していく。

和田アキラ:

最初に会ったのは、プリズムがまだアルバムとか出る前ですけど、下北のロフト行ってライブやってる時にバッドシーンっていうバンドでチャーの前でギターやってた牧野ってやつが連れてきたんです、青山純を。

その時、初めて会った時で。

ナレーション:

日本初のフュージョンバンドとも称されるプリズム。

和田アキラ:

青純は、その頃からリズムがはっきりしてるっていうか。
ちょっと日本人ではない感じで。

彼の場合、ドンカマ使ってもぴったし合うし、そうじゃなくてもドンカマ使ってるみたいな・・・
非常にはっきりしてて、男らしかったですね、最初から。

最初、青山が入って出したアルバムがSURPRISE(1980)っていうアルバムなんですけど、それは案外、ドンカマ使ってるようなリズムなんだけど実はそうじゃないのが結構あるんで。

「UP SIDE DOWN」とかいう曲なんかも、カウベルを使ったパターンで作るんですけど。
他の人にはちょっとない感じですよね。

♪ UP SIDE DOWN

青山はね、でもねドラムソロがあんまり好きじゃないんですよ。
あいつはね、割とやりたがらないし、ドラムソロやれって言っても、こう・・

ずっとリズムをキープしてるみたいなパターンを・・
だから派手な、ダダダッとかそういうのはやんないで。

ズッ・タッ ズッ・タッ

とパターンをやって(笑)もってくとか。
そういう奴でしたね。

ナレーション:

青山のドラムはバンドの音楽性自体を変える力もあったと和田はいう。

和田アキラ:

最初、リズム録りって・・・ベーシックにちょっと感じられるんだけど・・
何曲かリズム録りに録ったソロを、そまま使ってるのもあるから。

それくらい、ノリがいいっていうか、だから出来ちゃったと思いますね。

それは今までに無かった形のものが出来るようになった・・と。
こういう曲は青山にしか出来ないだろうとっていうのがあるんです。

ハッキリしたリズムが欲しいパターンとかを作るのが、他の人とは違う感じがしましたね。

それが、ありきたりじゃないんですよ。

◎80年代のJ-POPシーン

ナレーション:

そして青山は80年代のJ-POPシーンを席巻していく。

♪ 松任谷由実「5cmの向う側」
時のないホテル(1980)

♪ 山下久美子
「赤道小町ドキッ」(1982)

♪ 渡辺美里
「GROWIN'UP」(1985)

♪ 竹内まりや「元気を出して」
Expressions(1988)

♪ 近藤真彦
「ハイティーン・ブギ」(1982)

♪ おニャン子クラブ
「セーラー服を脱がさないで」(1985)

♪ 大沢誉志幸
「そして僕は途方に暮れる」(1984)

ナレーション:

歌謡曲、ニューミュージック、アイドルまでジャンルを関係なく、あらゆる音楽が青山純のドラムの音になっていった。

新川博:

80年代から音楽シーンが変わっちゃって、音楽シーンの方が青山の方に近づいていった、っていう。

青山自身は何にも変わってなくて、世の中の背景がガランと変わったっていうか。


♪ 松田聖子「一千一秒物語」
風立ちぬ(1981)

♪ 菊池桃子
「卒業-GRADUATION-」(1985)

♪ 中森明菜
「DESIRE-情熱-」(1986)

♪ 今井美樹
「Boogie-Woogie Lonesome High-Heel」
mocha(1989)


◎家族

ナレーション:

私生活では1983年に結婚。
3人の男の子の父親となる。

仙波清彦:

子どもが生まれた頃によく、音楽の話じゃないけど、家に遊びに子ども連れてきたりとかして。

すごい・・パパって感じ(笑)

ナレーション:

そして二人が青山と同じドラマーの道に進む。
三男の友樹は昨年よりプロのドラマーとしてのキャリヤーをスタートさせた。

彼の父親との一番の想い出は、小学生の時のこと。

青山友樹:

ある日、図工かなんかで、小学生の時に。
新聞を使うっていって、新聞をみんな持ってきてて。

で、なんか、ふと見たら竹内まりやさんの武道館公演みたいな、バーンってでっかく出てて。

「あっ、これ今度うちのお父さんでるよ」
って言ったら、先生がすごい食いついて
「エッ?マジで?」って。

その新聞切り抜いて(笑)、学校の掲示板みたいなところに貼ってあって(笑)
これが何年何組の、なんとかのお父さんが出ます、みたいなことが書いてあって(笑)

ちょっと恥ずかしかったなぁと(笑)
でも、なんか・・自慢でしたね。

誇らしい感じと思ってました。

ナレーション:

次男の英樹もプロドラマーとして活躍。
彼の父親との想い出は、ちょっと微笑ましい出来事だった。

青山英樹:

結構、ラーメン好きで・・
結構気に入ったとこ、目つけてよく連れて行かれてたんで。

新しく出来たラーメン屋、豚骨系だったんですけど。
もろ、すごく、旨いって話になって(笑)

それが一番印象的でしたね(笑)
あと、僕がそこで帽子を忘れちゃったんですよ。
かぶってた帽子を。

で、店長が走ってとりに来てくれて。
そこで親父もなんか「あぁ、あの店長、いい人だね!」みたいな。

どうでもいい話ですけど(笑)
印象的には、一番それが想い出深いですね。

◎父親

ナレーション:

しかし、二人が子どもの頃は青山が人生で一番忙しかった時期でもある。

そんな父親を二人の子どもは、どう見ていたのだろう。

青山友樹:

基本は、家にいなかったイメージがあったので。
たぶん飲んで帰って・・・

学校に朝起きると・・よく起こされてたのがありました。
「学校に行けー」
「俺はもう寝るぞ」
みたいな。

小学生のころは、特に忙しかった時期で。
週、5,6レコーディングしてライブしてみたいな。

お父さんっていうよりは、どっちかというと忙しいドラマーのイメージでしたね。

ナレーション:

忙しいドラマー。
でも成長した二人に青山がドラムを教えるような事はなかったのか。

青山英樹:

パタパタやってると、おーやってるなみたいな感じで来るんですけど。
僕はもう、結構激しいの好きだったんで。

親父も、見よう見真似に激しく・・こうやってやるんだよって感じで叩きこんでて。

気づいたら、自分がそれを練習しちゃってて(笑)
こうやってやるんだって言いながら(笑)

僕のことほったらかしで、自分がそのまま練習してたりしましたね(笑)。

ナレーション:

現在、青山の家には一匹の犬がいる。
名前はボビー。

青山友樹:

7年前くらいに、「今度、大分に行こう」って。
何で大分に行くのって・・・
「いや、俺犬飼いたくてさぁ」

そこに、いっぱいラブラドールレトリーバーがいて、この中から一匹選ぼうって。
今のボビーっていうんですけど、ボビーっていう子を選んできて。

じゃ、三ヶ月後に飛行機で送ってもらうからって。
で、三ヶ月後に迎えに行って。

で、その時に、飛行機から荷物が降ろされてきて、犬が出てきた瞬間の喜び様が、もう・・・
「よーし・よしよしよし!」って。
こんな顔見たこと無いくらい(笑)

ずっと犬飼いたかったらしくて。
で、迎えに行って、何で俺を連れてきたの?って言ったら
「お前がいれば、たぶんお母さんとかも、納得するから。俺だけだと絶対反対されるから」
目茶苦茶子どもっぽい(笑)

よく四男って言われてた(笑)
長男じゃない、四男って言われてた(笑)

下手したら犬のボビーより下かもしんないってよく言われてて。


◎オレカマ

ナレーション:

この日、スタジオにたくさんのドラムセットが運び込まれた。
やってきたのは、初代ローディーだった阿部薫、青山の二人の息子たち、そして仙波清彦。

仙波は親交のある3人の打楽器奏者も連れてやってきた。

80年代から仙波が手がける「はにわ」というプロジェクト。
その時々で「はにわちゃん」「はにわオールスターズ」と名前を変える。

その音楽は正に仙波ならではの世界。

なるべく普通でないもの、というコンセプトではあるが、その音楽性は高く、この91年に行われたライブも今や伝説となっている。

青山純はこのプロジェクトにも数多く参加。
打楽器奏者の中心人物として仙波が期待を寄せた。

その楽曲の中で打楽器のみで演奏する「オレカマ」という曲がある。
オレに構わず行け、という意味らしいが。

そう、仙波は青山純への追悼の意味を込めてオレカマを青山の二人の息子と演奏しようというのだ。

二人は今回のために、かなり練習をしてきた。

♪ オレカマ

ドラマー 阿部薫
次男 青山英樹
パーカッショニスト 仙波清彦
ドラマー 長谷頼晃
ドラマー 大西英雄
パーカッショニスト ジャイアン谷口

~ CM ~

◎90年代のJ-POPシーン

ナレーション:

90年代に入っても青山純は時代を代表するアーティストやヒット曲をドラムで支えていく。

♪ B's
「裸足の女神」(1993)

♪ とんねるず
「ガラガラヘビがやってくる」(1992)

♪ 福山雅治
「Message」(1995)

♪ 徳永英明
「壊れかけのRadio」(1990)

◎ボーカリストにとっての存在

ナレーション:

スポットライトを浴びるボーカリスト。
それを背中から支える青山のドラム。
ボーカリストにとって青山とはどんな存在なのだろうか。

古くから青山と親交のある小川美潮に聞いた。

小川美潮:

彼、結構、こうやりたいって言っておきながら、次の日には、もうちょっと早くとか遅くとか言って、変わっちゃうんですけど(笑)

その様子を見つつ、でもその音楽の、これはこれでしょっていうテンポをしっかりと出してくるっていう感じなんで。

だからそれだけ歌に入ってるっていうか、青ちゃんが。
通りすがりのドラマーじゃなくて。

仙波清彦:

「粋」っていうんですかね。
粋ってのは、ようするに人を思いやるってことじゃないですか。

人知れず。

それをドラムでやってるんですよね、きっとボーカリストに対しても。

ナレーション:

青山はこんな言葉を残している。

『歌と伴奏という関係では満足行かない。
たとえ2,3回しか一緒にしない人でも、なるべく時間を多く共有して通じ合いたい。

気持はいつもあなたと一緒にいますから。

そういう感覚ですよ。』

◎デンキ

ナレーション:

小川や青山と一時期を共にしたアーティストたちがスタジオに集まった。
ちょっとした目的がある。

1991年にリリースされた小川のソロアルバム(4 to 3 )
そのマスターテープが見つかった。

アルバムの中に収められた「デンキ」という楽曲。
その青山のドラムパートを楽曲制作に携わった仲間で聴いてみようというのだ。

♪ 青山のドラムパート

これが青山のドラムのみの音源

平沢上侍:

サビのところが、とても素敵な世界が展開されていて、他の音で気が付かなかったんですけど、裸になって、その良さもまたいいなと思いました。
あらためて。

近藤達郎:

青山さんって、やっぱりセッションドラマーとしては、すごく手堅く王道のエイトビートを叩くようなイメージがあると思うんだけど、この曲はもうすごく変なパターンで。

ほんとに、このドラムパターンで生まれ変わったっていう感じが僕はありますね。

Ma*To:

いろんなアプローチを考えて、また周りの音をすごくよく聞いてるんですよ。
歌を邪魔しないようにっていう・・
その辺がすごい一番特徴的じゃないですかね。

mecken:

この曲はメロディーとコードでもちゃんとした曲なんですけど、更に、そこだけでしか成立しない世界っていうか・・
ドラムは、存在が大きいと思います。

whacho:

この曲はパーカッションとして参加してないんですけど、オレ。
いらないって感じだね(笑)

CD聴きながら、青ちゃん、こう叩いてるのかってコピーした手順が、まるで違ってたんですよ。
もっと、ぜんぜん少ない・・・

タ・トロコッのあとは、ほとんど叩いてない感じが凄いなぁと思って。
ちょっと変わってて、人が叩かないようなロールのパターンなんだけど。

ナレーション:

この曲のレコーディングをするために、みんなで合宿をした時のビデオがあった。
在りし日の青山の姿もある。

あれから20年以上の時が流れた。
そして今、残された青山のドラムに仲間たちが再び音を重ねる。

ボーカリスト  小川美潮
ギタリスト 平沢上侍
キーボーディスト 近藤達郎
キーボーディスト  Ma*To
ベーシスト mecken
パーカッショニスト whacho

◎200年代

ナレーション:

2000年代に入ってもJ-POP界における青山のドラムは輝き続けた。

♪ 平原綾香
「Jupiter」(2003)

♪ MISIA「星空の片隅で」
SINGER FOR SINGER (2004)

特にMISIAはツアー、レコーディングメンバーという以上に青山を慕い、2000年代の青山を語る上で重要な存在となった。


◎ひとつ打ち

ナレーション:

その2000年代後半から青山は序々に体調を崩していく。
その青山が晩年に始めたもの。

それはドラムスクール。

あの青山純が直接マンツーマンでドラムを教える。
プロのドラマーであり、ドラム講師もする山本雄一。
彼もここに通っていた。

ドラム2台
青山純と向い合って練習をする。
そして青山がここに通ってくる生徒達に繰り返し教えたこと。

それは「ひとつ打ち」

山本雄一:

青山さんが、ここで説かれた「ひとつ打ち」っていうのは、ある意味、強打の連続ですね。
まず音出せっていう。
しっかりパーンって行けっていう。

ひたすらもう、パン、パン・・・
ここに来た生徒さんがドラムセットに全然座らせてもらえなくて。
ある日、ひたすらトレーニングパットでずーっと、もう汗だくになるくらいずーっと止めずに・・・

たぶん1時間あるとしたら、50分くらいノンストップで、いろんなテンポで。
でも、細かいことは言わず、ただひとつ打ちを続けてた。

で、それ、終わって、みんな1回ドラムセット行ってごらんって、演った時に、ものすごい音が違ったっていう。

それはレッスン、一緒に受けた周りの仲間もビックリしたと。

ナレーション:

この映像は、実際に青山が教えていた時に撮影されたものである。

(レッスン風景〉

晩年に青山が出したドラムの教則DVD。
天才が残したメッセージ

「ドラムはひとつ打ちが全て」

伊藤広規:

いやぁ、もう、もろ青山っぽいなぁという感じですよね。
「ひとつ」が大事ですからね。

結局ひとつの音がはっきりしてましたから。
初めて会った時から。

A*I

ナレーション:

共にプロのキャリアをスタートさせた青山と伊藤。
二人は山下達郎以外にも沢山のアーティスト達のレコーディング現場やツアーで一緒だった。

その二人が1枚のアルバム※をリリース。
ほぼドラムとベースのみの演奏。

青山が他界する1年前のことである。
※ A*I(2012)

伊藤広規:

特別ですね。
何故だか、もうほんとに、よくこんな俺によくそこまで合わせるなっていうくらい、合わせてきましたね。

お別れ

ナレーション:

しかし青山は昨年(2013年)12月3日、病気により急逝する。
年が明けた1月に行われたお別れの会。

祭壇にはドラムセットがおかれていた。

1980年代から30年、2000曲を超える名曲、ヒット曲をドラムで支えてきた青山純。

一体彼は何を求めていたのだろう・・

小川美潮:

「バンドやろうよ、バンドやりたいよ」って。
私は元々バンドを・・って思ってたけど。

”うんうん”って言って若いとは思いましたけど。
青ちゃんもバンドがやりたいのかと思って。

安藤まさひろ:

こんな音楽やりたいねっていう仲間が集まって始めるのがバンドじゃないですか。

そこには、もう何か変えられない、他では得られない繋がりっていうんですかね・・・
同士みたいな、そういう関係があるから、もしかしたら青ちゃんは、そういうものを求めてたのかもしれないんですけどね。

まあ、あのぉ・・伊藤広規は、すごいそういう意味では彼との・・
何て言うんでしょう・・
繋がりって、すごい強かったと思うけど・・

そこにもっと繋がっていく人達ができなかったのかもしれないし。


◎エンディング

ナレーション:

天才ドラマー青山純は、もうこの世にはいない。
しかし青山の残した音楽は今も当たり前のように日常にあふれている。

この時期になると、必ず街中で耳にする曲。
その曲を演奏するために青山の友人たちが集まった。

♪ クリスマス・イブ

小川美潮(vo)
伊藤広規(ba)
新川博(key)
和田アキラ(gt)
土方隆行(gt)
渡嘉敷裕(ds)

~ END ~

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